強さだけでなく繊細さも | 恩寵と共にある

恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

以前瞑想会に参加していて、休憩時間に隣に座っていた人から、「すごく強いエネルギーが伝わってきますねえ」と言われたことがある。

 

 

そして私がエネルギーヒーリングを行うと、大概の人が強めのエネルギー、時にはとても強烈なエネルギーを感じるとよく言われる。

 

 

そのようなことを言われると以前は喜んでいたが、今ではそうでもなくなってきている。ただ強いエネルギーだと、そこに繊細さがない。本当に次元が上がってくると、ただ強いではなく繊細さがでてくる。強さだけではまだ次元が低い。

 

 

先日あまりスピリチュアルなワークを体験していない人にエネルギーワークをしてみたら、エネルギーが強すぎて、違和感やつらさがあると言われた。

近頃ではただ強いエネルギーを流すのではなく、相手に合ったものが提供できればという思いではあるが、長年強いエネルギーを扱うことになれてしまうと、つい相手に寄り添えずに独りよがりになってしまう。これは気をつけないといけない。

 

 

近頃では静かに座っていると、意識が穏やかになり、エネルギーも以前よりは繊細に感じられる。強さを追求していた時には、繊細さが完全に欠けていた。

 

 

私が以前そうだったが、いわゆる行者タイプは精神やエネルギーがとても強いが荒々しい、というケースが多い。激しい行や瞑想をしていると、「自分はこれだけ修行が進んでいる」とか「何が何でも解脱、悟りを達成するのだーー!」という思いが強くなりすぎ、強烈さは発揮されるが、繊細ではなくなってくる。

 

 

私が以前ヨガや瞑想を教わった人は、5メートルくらい離れていても、強烈なエネルギーを感じさせる人である意味すごかったが、人を見下したり、自分の言うことを聞かせようとする傾向がでてきて、終いには悲惨な状況に陥ってしまった。

 

 

今から思えば私に指導をしてくれた人は、エネルギーの強靭さは誰よりもすごかったが、繊細さに欠けていた。本当に信頼できるスピリチュアル関連の人は、エネルギーが強いだけでなく繊細でもある。

 

 

繊細なエネルギーをしている人は、他者への思いやりや気配りがあり、何よりも自分を大切にしている。それはとても重要なことだ。

 

 

私にかつて指導してくれた人は、自分の身を削っても、他者へエネルギーを流したり、指導をするような人だった。それを私は素晴らしいことだと思っていたのだが、今ではその人は自分を大切にせず、いたわることがなかったのだと思う。

 

 

自分を大切にし、いたわることができなければ、他者を真の意味でいたわることなどできない。そのことが近頃わかってきた。

 

 

そして自分をいたわり、他者をも大切にする人は、繊細でかつ深みや広がりが生じてくる。そこに真の安らぎが生じる。