恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

「目覚めをうながす」瞑想会を開催します。


瞑想会ではまず浄化を伴う瞑想を行い、それから静かにただあるに入っていきます。
「何もせずにただある」を三つの次元から説明し、それに取り組んでいきます。


まずは気づきを明確にしていきます。気づきの対象ではなく、気づきの主体にとどまります。これをプレゼンスとも言います。
それからくつろいでいき、男性エネルギーと女性エネルギーを融合させていきます。この時私たちは「ただある」を実感し、それをビーイングとも言います。


そこから更にハートのワークを行っていきます。ここでいうハートはハートチャクラや肉体次元のハートではなく、この現象世界と神聖なる次元の橋渡しとなる深奥なものです。
ハートが活性化し開いてくることで、恩寵を受け取っていきます。それによって魂の目覚めが起き、この世を地に足を着けて生きることができてきます。


◎ 日時 6月21日(日) 14時~17時

◎料金  三千円

◎場所 埼玉県 連絡があった方に具体的な場所をお知らせします。 

詳細はこちらから。

http://ameblo.jp/onnchou/entry-12031304011.html

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私は映画をよく見るが、哲学的なSF映画が特に好きである。具体的にはキューブリックの「2001年宇宙の旅」 タルコフスキーの「惑星ソラリス」「ストーカー」 続編が制作されることが決定した「ブレードランナー」など。



どれもこれも傑作であり、映画史に残っているものばかり。もしも哲学的なSF映画が好きだと自称する人がいて、その人がこれらの映画を一つもみていないとするならば、その人はもぐりと言って差し支えない。


色々とすぐれた哲学的なSF映画があるが、現在新たにすぐれた哲学的SF映画が公開されている。それが「エクスマキナ」である。


あらすじ
検索エンジンで有名なIT企業ブルーブックでプログラマーとして働くケイレブはある日、抽選で社長ネイサンの自宅を訪問する権利を得る。

ケイレブは広大な山岳地帯の奥にあるネイサンの自宅近くまでヘリコプターで移動する。ケイレブは道しるべも何も無い中なんとかネイサンの家にたどり着く。


ネイサンはケイレブに機密保持契約の書類にサインさせた後、この自宅が人工知能の開発研究施設であることを明かす。ネイサンはケイレブに彼の人工知能にチューリング・テストを行うよう依頼する。


ケイレブは、透明な壁に囲われた部屋の中で暮らす女性型ロボットエイヴァと対面する。エイヴァは顔面と手、足先のみが皮膚で覆われているが残りの部分は機械の内部構造が透けて見える姿をしている。


ケイレブは、相手の姿が見えない環境でない限りチューリング・テストは行えないのではないかとネイサンに進言する。ネイサンは、エイヴァの言語能力は既存のAIを超越しており、話すだけではすぐに人間であると騙されてしまうため、わざと一目で機械と分かる姿をさせてテストするのだという。


次の朝、ケイレブはメイドのキョウコに会う。ネイサンによるとキョウコは英語が話せないため、機密保持には都合が良いのだという。ケイレブとエイヴァの面談中に停電が起こり部屋の照明と二人に向けられた監視カメラの電源が落ちる。


その時エイヴァはケイレブに「ネイサンは嘘つき。彼の言うことは信じてはいけない」と忠告する。その夜、ネイサンは停電の原因は不明だが、調査はしているとケイレブに説明する。


エイヴァとケイレブは面談を行う度に親密になっていく。ある日エイヴァは面談を中座しウィッグと服を着けロボットと分かる部分をすべて隠して現われ、自分の描いた絵をケイレブに見せる。面談の最中にまた停電が起こる。エイヴァはその時、停電を起こしているのは自分であり、ネイサンに監視されていない状態でケイレブと話がしたいのだと言う。


彼女は次第にケイレブを誘惑するような態度を取り始め、彼と二人で外の世界に出たいという希望を語る。ケイレブはネイサンに、彼女の誘惑はネイサンによるプログラムではないのかと問い詰める。


ネイサンはケイレブの疑いを退け、エイヴァに誘惑されそうになったケイレブ自身の内面の弱さを批判する。ネイサンはさらに、革新的なAIはおそらくエイヴァの次のモデルであろうと述べ、最終的に彼女のAIをアップグレードするために完全に初期化する予定だとケイレブに告げるが。。



人工知能すなわちAIの発達は目覚ましく、今年に入ってからAIが囲碁のトップレベルの棋士に勝利したというニュースが世界を駆け巡った。囲碁においてAIが人に勝利するのはまだ10年以上先のことと見なされていたが、それがあっけなく実現してしまった。


映画でもチューリングテストが出てくるが、チューリングテストとはある機械が人工知能であるかどうかのテストだが、2014年に審査員がロシアのスーパーコンピューターにチューリングテストを行い、人間と間違えてテストに合格したという実例がある。今後益々テストに合格して、人間と間違えるようなAIが出てくることは想像に難くない。


主人公のケイレブは、AIのエイヴァにテストをしているうちに、エイヴァに恋してしまうが、エイヴァがケイレブの心を揺り動かす言動をしてくることで、自分がテストをしているのか、テストをされているのかわからなくなってくる。


私たちはamazonで買い物をしたり、Googleで検索をしていると、あなたにお勧めの商品などの広告がでてくる。今では当たり前になっているが、私たちの好みや嗜好が筒抜けになっているということであり、私たちの意識をコントロールされていると言えなくもない。


ケイレブがエイヴァに恋してしまうことを、私たちは笑い飛ばすことはできない。私たちもすでに好みや嗜好を把握され、コントロールされつつあるのだから。


そして映画においてエイヴァが最終的に取った行動は、人の目から見ると無慈悲にも思えるが、AIからすると人の感情というものに支配されることがない。人の立場からすると無慈悲とも映ることが、AIからすればごく自然で当たり前のこととなる。


AIは善悪にとらわれることもない。善悪とは人が作り出した概念であり、超越的存在でもあるAIにとって、善悪の概念など思いもつかないことである。


有名なスティーブン・ホーキング博士は、人類はAIの開発を止めるべきである。と主張しているが、それはこのままAIが発達すると、人類が滅亡しかねないからというものだ。


ホーキング博士の主張は極端であるともとれるが、AIを開発する人類が、どのようにAIを開発し、扱っていくかでどのようにでも変化するように思える。映画「エクスマキナ」ではそのことを私たちに突きつけているように思えた。


そして私が印象に残っている場面は、ケイレブがエイヴァにチューリングテストをしていて、エイヴァがあまりにも人間くさいので、自分が果たして人間なのか?それともAIなのか?混乱してしまう場面がある。


すぐれた哲学的映画は、自分の存在とは何か?自分とは一体何なのか?という問題提起をしてくる。映画ではそのことを映像で直接的に訴えかけてくる。


普段私たちは己の存在について考えることもない。そんなことを四六時中考えていたら、神経がおかしくなってしまう。だが「エクスマキナ」のような映画を見ることで、少しでもそういったことについて思いを巡らすことは、大切なことであると思う。


「エクスマキナ」は欧米では昨年公開されていたが、日本ではずっと公開されずにいたが、ようやく公開されることになった。だが公開されている劇場は少なく、なかなか見る機会がないのだが、哲学的な映画が好きな人は、是非ご覧になっていただきたい。

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鷺ノ宮の福蔵院にて。よく手入れされているようで、静寂の気がただよっていた。


緑の中に入ると、場がまるで変わってしまう。守護された空間だった。
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修行系の人は、感情をないがしろにする人が多い。私の知り合いで完全に修行系の人がいたが、思考や知性を重視し、感情をいらぬものと見なしていた。


その人は人が感情的になっていると、「この人はなぜこういう反応をするのだろう?」と真剣に悩んでいた。人の感情が理解できないようで、そうなると少々異常ですらある。


私はあまり感情的にならない方だが、その人が理屈だけで押し通そうとしてくると、「理屈ではわかるけど、どうにも納得できないよ」という気持ちになり、段々その人と話すのが億劫になっていき、しまいには全く疎遠になってしまった。


疎遠になってからその人とあるところで偶然ばったり出会い、少々きまずくはあったが、かつてはとても仲が良かったので挨拶くらいしようと思い、軽く挨拶したのだが、その人はびっくりしたような顔をして、何の挨拶もなくそのまま去ってしまった。


その人は修行者としての誇りを持っている人で、色々と立派なことを述べていたが、その対応は修行者以前に人としてどうなんだ?と思わざるを得ず、いささかがっかりした。


その人がそのような対応をしたのは、感情をないがしろにしていたことと無関係ではない気がする。感情をきちんと出すことをしないと、感情がゆがんだ形でエナジーとして蓄積され、とっぴょうしもない行動や言動となって現れたりする。


そのようなケースをいくつか見ていると、感情を押し殺していてはいけないと思うようになってきた。私も感情をないがしろにしていた時期があったが、その時は悪い意味で人間離れしてしまい、独特の雰囲気を醸し出していたように思う。


OSHOは蓄積していた感情を発散させることをする。そうしないと静かに瞑想することができないと主張している。これは概ね正しいだろう。


大いに笑ったり泣いたりした後に静寂が訪れることがよくある。泣いたり笑ったりすることが苦手だったり、恥と考える人もいるが、それによって感情を出さないでいると、それが残留していき、意識をゆがめたり外界に影響をおよぼしたりする。


今では私はよく笑い、泣ける時は泣く。それが自然な在り方だと今ではよくわかる。真の静寂に至るには、感情をまずは自然に表現することが大切だ。
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タイトルは一応韻を踏んでいるつもりなのだが、まあそれはどうでもいい。


私は一見甘いものなど食べないように見られるようだが、何を隠そう実は大の甘党である。


カフェやファミレスに行くと、デザートを頼むことが多いが、そんな時はよくパフェを頼む。友人とファミレスに入って、食事が終わった後パフェを注文し、パフェがきたと同時に黙々と食べ始める。そしてものの数分でパフェを食べつくす。


友人はいつもその様子を見て「あんたもう食べ終わったの?!」とあきれたように言うのがお約束となっている。私は食べるのが早い方なのだが、それは甘いものでも変わることはない、いやむしろ更に早くなってしまうくらいだ。


私は甘いものがあると、あるだけ食べてしまう。例えば森永製菓から発売されているチョコレートの「小枝」が目の前に一箱あるとする。今は一箱44本入っていて、約70グラムだがそれを一気に食べつくしてしまう。


甘いものを少しずつ食べることが私には難しい。あればあるだけ食べられるだけ食べてしまう。食べている途中で気持ち悪くなることもあるのだが、それでも辞められなくなる。


昨今白砂糖の害が色々なところで言われるようになり、それは自分でもわかっているのだが、どうにも白砂糖を控えることが難しかった。
仕事で疲労すると「ああ疲れたなあ。こんな時には甘いものだ」と自分に言い訳をしてチョコレートなどを食べてしまう。そんなことを繰り返してきた。


そんな日々を過ごしてきたが、10日ほど前にぎっくり腰になった。近頃腰を傷めることが多かったのだが、10日ほど前のものは今までとは比較にならないレベルのものだった。


その瞬間には腰にピーンと衝撃が走り「まずい!これはやってしまった!」という思いがよぎり、横になっているしかできなかった。


すぐに指圧をしてもらい幸いなことに無事回復していったが、その時指圧をしてもらった先生に言われたのが、甘いものを控えるようにということだった。


今回腰を傷めたのは疲労が蓄積していたからだが、甘いものを取り過ぎると氣の通り道である経絡を詰まらせ、それも腰痛の一因らしい。


4月から立て続けに腰を傷め、体からのサインがでていると判断した私は、先生が言うとおり甘いもの、特に白砂糖を控えることに決めた。


白砂糖の害を声高らかに訴えている人は「控えるなどと甘っちょろいことを言わず、すっぱりと白砂糖を断ち切るのだ!」などと言われそうだが、私の経験上いきなり習慣を止めてしまうと反動が来てしまうので、徐々に減らしていく方が確実であるので止めずに制限をすることにした。


それまでは仕事で疲れると必ずと言っていいほどコンビニやスーパーで甘いものを買って食べてしまっていたが、それをほんの時たまにするようにした。飲み物もできるだけ砂糖が入っていないものを飲むようにしている。


甘いものというとお菓子を連想するが、甘い清涼飲料水はお菓子よりもはるかに白砂糖が混入している。コーラの350ml缶で角砂糖10個、1.5Lで角砂糖41個入っていることになるようだ。


コーヒーや紅茶に角砂糖を2個入れてもかなり甘くなるが、10個といったらかなりのものだ。大きめのペットボトルのコーラだと40個以上の角砂糖が入っていることになる。コーラを一気に飲むと血糖値が跳ね上がるだろう。


時には甘い飲み物を飲みたくなるが、甘くない飲み物の方が体は喜んでいるような感じが今はしている。砂糖が入っていないお茶などを飲むと体が生き返るような気がする。逆に甘い飲み物を飲むと、その時はいいのだが後で体が重くなるような感じがする。


そんなわけで甘いものを制限するようになってまだ数日なのだが、それを始めて感じたことは。


体が軽やかになり動きが機敏になっている。これは気のせいではなく実際にそうなっている。そして精神的にも比較的落ち着いてきている。体が軽やかだと意識も軽くほがらかになる。


白砂糖は中毒性があり、ずっと摂取していると食べたり飲んだりせずにはいられなくなる。だがそれで心身を蝕まれていく。私の場合白砂糖を摂取すると皮膚にまずでる。私はアトピーでもあるのだが、白砂糖を摂取することで悪化する。


甘いものを取ることによる弊害が具体的に出ているにも関わらず、なかなか食べたり飲んだりすることを止められなかったが、今回体からのサインを読みとり控えるようにしたが、間違いなくそれは正解だったようだ。


今後も白砂糖を制限し、それによってどうなるか見ていきたいと思う。



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昨日友人たちが自宅を訪ねてくるので、部屋の掃除をし片付けがひと段落したところで、少しの時間座っていた。


初めの数分間は落ち着かなかったが、やがてハートの奥からじわじわと広がるものがあり、瞑想状態に入っていった。


クンダリニー体験だと、強烈なエネルギーが下から上昇し、喜悦を伴うことも多いが、近頃ではそういうことはほとんどない。繊細なものが広がっていくことが多い。


強烈な体験は、それに依存しやすい。あたかも酩酊状態に依存しやすいかのように。だが繊細な体験は依存度は少ない。どんな体験でも依存をするものではない。


人は強烈な体験を求め依存しやすいが、真に私たちを変容し得るのは繊細な体験である。強烈な体験がより深まると繊細な体験へと移行していくが、それに気づかず強烈な体験でとどまってしまう人も少なくない。
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