坂本冬美『夜桜お七』 X 早乙女太一 | ⋆

 
◆坂本冬美 『夜桜お七』



前項からの続き。

八百屋お七は1666年で午年とする説があり、丙午(ひのえうま)の迷信を広げることに。
ただ、実際には戌申の生まれという説が有力。

天和2年12月28日(西暦1683年1月25日)の天和の大火(てんなのたいか)で
檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓と恋仲となった。

翌年…彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火。

火事になれば、また逢える、と…。

S i n g - O N  『 え ん 』

そして、
放火未遂を起した罪で捕らえられた。

その時彼女はまだ16歳になったばかりであったため、
(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)
町奉行・甲斐庄正親は哀れみ、何とか命を助けようとした。

当時、15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならないと言う規定が存在したためだ。

厳格な戸籍制度が完備されていない当時は、
役所が行う町人に対する年齢の確認は、本人の申告で十分であった。

甲斐庄は評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と問うた。

S i n g - O N  『 え ん 』

それに対し、彼女は正直に16歳であると答えた。

甲斐庄は、彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、
「いや、十五にちがいなかろう」と、重ねて問いただした。

ところが、彼女は再度正直に年齢を述べ、
かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでした。

これでは、もはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかった。

そして、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。

S i n g - O N  『 え ん 』

こんなお七の想い(行動)が、
こんなカタチとなって表現されてるんだから、ますます熱い。

S i n g - O N  『 え ん 』