トルーマン カポーティの「冷血」 (新潮文庫)を読みました。

カポーティさんには失礼だけれど、高村薫さんが「新冷血」という連載を始めなければ読んでみようとは思わなかったであろう本家本元の「冷血」。・・・ズバリ、読んでよかった!!

正直読んでいて面白いとか楽しいって類の本じゃない。実際に起こった殺人事件を特に凝った趣向もなく淡々と書き上げるノンフィクション・ノヴェル。けれど気付くと、まるで自分が事件の起こった町の住民の一人にでもなったかのような、あるいは犯人のペリーを古くから知っている人間にでもなったかのような錯覚におちいっている。それくらいその話の「中」に取り込まれてしまうのだ・・・!

この感覚ってこれまで読んだ本で感じたのは宮部みゆきさんの「模倣犯」くらい。被害者側も加害者側も本当に身近に感じながら読むことができた。「冷血」も被害者となる家族一家と周辺住民、加害者となる男二人ディックとペリーの犯罪前後の行動や家族、生い立ち、また捜査官デューイとその家族・・・などなど周辺部まで実に細やかに描かれていて、どっぷりその世界に浸れる。そして犯人らの心理描写にいたっては、ぞっとするほど真に迫っている。真実というのはこの場合実際のところあってないものだけど、それでも、まるで二人の男の心の中を覗いたかのような気分になる。

舞台がアメリカなので(しかも1950年代の農牧と宗教が生活の中心にある閉じられた小さな町)日本人の私には想像しにくい部分もあるんだけど、そういう壁も取っ払ってくれるものがある。それはなぜか。それは社会的背景ももちろん大切だけれど、犯罪をめぐる人々の心理とか倫理観が国を超えて普遍的なものだからではないか。犯罪(社会)心理などに興味がある人にはかなりオススメだと思います。

終盤、ペリーに焦点を当てて精神分析的な手法で殺人にいたるまでの心理を追求するあたりはそれが正しいかどうかを抜きにすれば非常に興味深かったです。腑に落ちるものがちゃんとありました。もちろん、だからといってこの殺人事件についての感想が変わるわけではありません。後に残るのは虚しさだけなのです・・・。

高村薫さんが「冷血」のような小説を書きたいと思われ、実際今連載執筆中。何となく高村さんが書きたいと思われた理由が分かるような気がしました。読書中も高村さんが書かれたらどんな風になるかなーと思いを巡らしていました(結構楽しかった)。そんなことは別の記事でまた!


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読了日 2010年9月20日


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