いつもニコニコ笑顔だった父。
モノ作りが大好きで何でも作ってしまう手先の器用な人でした。
兄の影響で始めた海釣りも、はまってしまい
海釣りで使うおもりを型を作り、鉛を溶かして作っていました。
その後、始めた渓流釣りでも川魚をとるためのタモ網を手作り。
山の中でY字型の木の枝を探してきては『いい木があった。』と子供のように喜び
木の枝を時間をかけて曲げていき、木肌にヤスリをかけてピカピカに磨いていました。
『このタモは買ったら何万もするんだよ』と・・・自慢の作品を良く見せてくれていました。
さらに、釣ってきた魚を塩焼きにするために
仕事場で機械が入ってきた廃材を利用して
大きな炭火焼き機を作ってしまうほど。
父が釣ってくるイワナやヤマメを炭火で焼いていただく
格別の美味しさでした
母も随分とアイデアを出してくれたようで改良に改良を重ねて1号機・・・2号機・・・3号機というふうに何台も制作し
今も、現役で毎年、夏のバーベキューに活躍してくれています。
さらに、手作りの道具や釣り竿などを収納するために
物干しを改造して部屋を作ってしまったほど・・・
釣りが大好きで キノコや山菜を採るのも大好きで
秋にはたくさんのキノコを採ってきてくれました。
父の愛車の荷台には渓流釣りの道具などが一式積んであり、機械の修理などの仕事で山間部へ行く事もあったのですが
魚がいそうな川やキノコの出そうなところなど。
ついでにリサーチしていたんでしょうね。
そして、一番の思い出は父が54才の時にスキーをやってみたい!と言うので
私が父のコーチになり、手取り足取り教えて一緒にスキーも・・・
リフトに乗って一面の銀世界に感動していました。
父がスキーを始めてからは姉家族と共に、毎年蔵王へ
家族旅行を兼ねてスキーと温泉を楽しみに行っていました。
どんな時にも、いつもニコニコ笑顔で
父の怒った顔は見たことがありません。
末っ子の私をとても可愛いがってくれて、私も父が大好きでした
父が亡くなってから早いもので17年・・・
急性白血病で
あと1週間持つか・・・1ヶ月持つかわからないと告知されてから
2ヶ月・・・
12月1日に58歳で天国へと旅立ちました。
いつも
思い出すのはニコニコ笑顔の父。
きっと、天国でもニコニコ笑顔で家族の事を見守ってくれていることでしょう。