
(書肆 盛林堂、2014.5.24)
今回はちょっとマニアックな本の紹介です。
といっても、
これまで紹介してきた本も
充分マニアックじゃないか
といわれてしまうかもしれませんが
これまで紹介してきたものは
曲がりなりにも商業出版で出たものですが
今回の本は同人誌的な
小出版のものなので。
海外のクラシック・ミステリを
原書で読むことで有名な
ROM というファン・クラブがあります。
その ROM の主催者が
今回紹介する本の著者で
その ROM から刊行している
ROM 叢書の一冊として
2008年に出たものが
本書の原型です。
これまでの海外ミステリ史は
英米の作品が中心で
フランスはともかく
ドイツやイタリア、北欧諸国の
ミステリの歴史は
ほとんど知られてきませんでした。
近年は例の、映画にもなった
スウェーデンの作家
スティーグ・ラーソンの
『ミレニアム』三部作(2005~07)が
ブレイクして以来
北欧のミステリの紹介が盛んですが
それでも、現代ミステリが主で
シャーロック・ホームズの時代や
第1次と2次の世界大戦間の時代
いわゆる戦間期(大戦間)の
作品の紹介は
まったくなされていません。
昨年の4月に、オーストリアの作家
バルドゥイン・グロラーの短編集
『探偵ダゴベルトの功績と冒険』
(1910~12)が
創元推理文庫から出ましたけど
グロラーは曲がりなりにも
海外ミステリ・ファンには
名前が知られておりました。
だから出た時には驚愕したというか
驚愕できたわけですが。
その名が知られていたのは
S・S・ヴァン・ダインという
かつて、たいへん尊敬されていた
アメリカの作家が紹介したから
(アンソロジーに加えていたから)で
江戸川乱歩が編んだ
『世界短編傑作集』第2巻
(創元推理文庫、1961)に
それが訳載されているからです。
それでも戦前は何作か
英米以外の作品も
紹介されたりもしてましたが
近年ではまったく顧みられず
クラシック・ミステリの紹介も
英米が中心というのが現状です。
そんな、英米以外の
ヨーロッパ大陸系のミステリを
ROM の機関誌に
こつこつと紹介した記事をまとめたのが
『失われたミステリ史』だったわけです。
そういう本が
同人誌として(ROM の叢書として)
出たことを知った時は
すでに在庫切れで
残念に思っていたところ
『ミステリマガジン』2014年8月号の
評論・周辺書のレビューで
再刊されたことを知り
あわてて購入したのでした。
盛林堂ミステリアス文庫の一冊として
再刊された、今回の増補版では
ROM 叢書版には漏れていた記事を付けたし
S・A・ドゥーセという
戦前の日本ではよく知られていた
スウェーデン作家の
短編の試訳四編を特典として付したものです。
すごいのは、独墺伊や北欧の
クラシック・ミステリを読むために
独学で語学を習得したという点で
これはさすがに
英語ですら苦労している
当方のような人間には
真似ができない
脱帽ものの情熱なのでした。
ミステリ・ブームとはいっても
海外ミステリ・ファンは
国内ミステリ・ファンより数が少ないし
ましてや欧米以外の作家に
さらにそのクラシック・ミステリに
関心を持つ人といったら
微々たるものではないでしょうか。
そういうニッチな分野に関する
日本語で読める資料としては
今のところ唯一無二の労作です。
その国ごとの
ミステリの受容状況も分かり
興味は尽きません。
ドイツなどは
ただでさえジャンル・ミステリの評価は低く
そのうえ、戦争の被害を受けたこともあり
ほとんど資料が残っていないのだとか。
ドイツの場合、活字の表記からして
戦前と戦後では変わっているそうで
戦前のミステリは
髭文字(フラクトゥール)で
印刷されているのだとか。
これだと現在の世代は
読もうと思わないのではないか
と書かれていて
これには驚きでした。
日本の旧仮名遣い、
正漢字の比ではない気がします。
江戸時代の木版刷をイメージすると
近いでしょうか。
ドイツもそうですが
北欧のミステリなどは
英語に訳されないと
どんなに優れていても
後世のミステリ史には残らないわけです。
上のドゥーセが日本で知られているのは
小酒井不木という戦前の作家が
ドイツ語からの重訳で紹介したからです。
ベルギー生まれのフランス作家
ジョルジュ・シムノンなども
戦前はドイツ語からの重訳が
多かったわけですが
戦前の日本は、英米中心ではなく
ドイツ語からの文化流入というルートも
あったわけです。
それが不幸な戦争のためもあり
戦後はそういうルートが途絶えてしまう。
それでも純文学などは
さすがに紹介されましたが
ミステリのような通俗小説の紹介は
まず皆無といっても良かった。
加瀬氏の本を読んでいて
なるほどと思ったのは
現在ではグローバル化の影響で
ドイツや北欧のミステリが紹介されているが
まさにそのグローバル化の影響で
その国々の特色というものが
失われてしまっている。
英米と何ら変わりのないスタイルのミステリが
英米以外の国でもスタンダードになってしまった
という指摘でした。
つまり、アメリカでウケなければ
世界の市場で勝負できない
ということですな。
こういう指摘を読んでいると
たまたま手にした
『学校英語教育は何のため?』

(ひつじ書房、2014.6.27)
というブックレットに収録されている
内田樹と鳥飼玖美子の対談でも
問題にされている
グローバリスト主導の英語教育と
同じような問題意識を感じてしまいます。
言語が差別化指標になっている現状や
言語植民地主義的なありようというのが
海外ミステリ史ひとつ例にとっても
その縮図を見て取ることができる、
『失われたミステリ史』というのは
そういうことを考えさせる本でもあります。
今の日本のグローバル化は
何だかんだいって
単なるアメリカ化でしかありませんし
単なるビジネス上の必要性しか
踏まえられてません。
そういう時流に棹さす人たちにとっては
本書は何の意味があるのか分からない
無駄な(無縁な)本
ということになるんでしょうね。
残念なことでございます。
