
(1932/和爾桃子訳、創元推理文庫、2012.3.23)
今年の3月に出た新刊ですが
ようやく読み終わりました。
文字化けするかもしれないので
以下、「蝋」は異体字にしときます。
ディクスン・カーは1930年に
『夜歩く』という作品でデビューしました。
その作品ではフランスを舞台とし
名探偵として予審判事の
アンリ・バンコランを起用しています。
『夜歩く』に続くカーの初期4品は
アンリ・バンコラン・シリーズで
『蝋人形館の殺人』は第4作にあたります。
この作品、子どものころ
ジュブナイル版で読んだことがあります。
集英社の「ジュニア版・世界の推理」
という叢書の第19巻でした。

(白木茂訳、集英社、1972.12.10)
本が手許にあるということは
新刊で買ったということですが、
その時は、あまり面白いとは
思いませんでした。
ところが今回、新訳で読んだら
実に面白かったです。
最後の、電話のシーンは
明瞭に覚えてましたが、
その他、詳しいストーリーは
すっかり忘れてました。
蝋人形が死体を抱いているのを
発見するシーンはともかく、
パリの秘密クラブとか
真犯人の犯行動機とかは
子どもにはちょっと難しいですね。
死体を抱いていた蝋人形が
サテュロスであることの寓意も
子どもには分からないよなあ。
今回の新訳で
ナイト・クラブなんかの描写を読むと、
実際にパリに遊学していたカーの体験が
踏まえられてもいるんでしょうが、
と同時に、初期4部作はカーなりの
パリ・ガイドブックというか
ユージューヌ・シュー『パリの秘密』への
リスペクトだったのかなあ
という印象を持ったりしました。
いわば、新・パリの秘密、てとこですね。
とはいえ自分、
シューの『パリの秘密』は
いまだに未読なんですけどね(^^ゞ
ワトスン役のアメリカ人青年
ジェフ・マールが
秘密クラブに潜入する一連のシーン
(12~16章)は
ヤンキーの軽薄さがよく出ているし、
(ほんとに軽薄で、イラッとしますw
カー自身もアメリカ人なんですけどね)
ジェフが、自分の起こした騒動を
『不思議の国のアリス』に
なぞらえて語っているのは
今回読んで初めて知って
ちょっと面白かったり。
あと、蝋人形館の恐怖回廊という
有名な殺人鬼の人形とか
フランス革命時のワン・シーンを
再現した人形とかを
展示しているコーナーを背景として
バンコランが犯行の動因を語る場面には
感心させられました。
特にフランス革命を再現した蝋人形を
犯人が見たことを踏まえたニュアンスには
感銘を受けました。
フランス革命後に恐怖政治を敷いた
マラーの暗殺を描いた
ジャック=ルイ・ダヴィッドの
「マラーの死」という絵画は、
実際にマラーの首から蝋人形を作った
後のタッソー夫人の作品(というか製品)を
モデルにしたそうですが
そういうことを知っていると
いっそう楽しめます。
このあいだ、図書館で借りてきた
加藤耕一『「幽霊屋敷」の文化史』
(講談社現代新書、2009)
という本を読んでたら、上に書いた
タッソー夫人のエピソードが出てきたので
よけい興味深かったわけでして。
とはいえ、ジュニア版・世界の推理の
訳者による序文にも
タッソー夫人のことは、
フランス革命時にロベスピエールの首級を
蝋人形化したことも含め
ちゃんと書いてありました。
子どものころは、そんなことには
関心がなかったんだなあと
(関心があれば覚えているはず)
改めて思った次第です。
マラーについては書いてませんけど、
それにしても、ダヴィッドの絵画を
写真版で掲げてくれればよかったのに
とか、今となれば思ってみたり(苦笑)
とにかく、ムーラン・ルージュなどの
パリ風俗を背景として
今でも通用しそうな人間関係と
動機をベースとする本書は、
むしろ大人になった今だからこそ
面白さが分かる物語だと思いました。
カーは1906年生まれですから、
『蝋人形館の殺人』は
26歳の時の作品ということになります。
26歳の青年が書いたにしては
これ、かなり大人な小説だと思います。
表面的な装飾にまどわされてなのか
あえてこの作品の
ジュブナイル版を出そうとした
当時の大人の感覚の方こそ、
よく分からなかったりして(苦笑)
そうしたもろもろのことに
気づかせてくれただけでも
読んで良かったです。