『フレンチ警視最初の事件』について
ふれておきたいことが
もうひとつあるんでした。
恋人の犯行を疑ったダルシーが
法廷弁護士の許へ相談に行った際、
自分も犯罪を犯しているという後ろ暗さから
すべての事情を話せないために、
実は自分は推理小説を書いていて
その題材として元総督の自殺に目をつけた
というような作り話をします。
その場面で、次のようなやりとりがあります。
「(略)田舎に暮らす年老いた紳士の
殺人事件を扱った物語ですが、
当初は殺人とは思われません。
疑惑が持ち上がるのは老紳士の死後
しばらくたってからで、
真相は徐々に明らかになります。
ここまではよくあるパターンですね」
「繰り返し使われるのは
それだけの価値があるということでしょう。
要は細部の描写ではないかと思います」
(霜島義明訳。p.201)
最初の台詞がダルシーの、
ふたつ目の台詞が法廷弁護士のものです。
とはいえ、誰が何を言ったかではなくて、
お約束のパターンを擁護する発言があるのが
たいへん興味深いのでした。
というのも、新訳版の解説で小山正が
「確かにクロフツは器用な作家ではなく、
引き出しが多いわけでもない。
作品を続けて読むと、
その三角関係は前にもあっただろう、
とか、
このあいだも同じような
共犯の事例を読んだんですけどねえ、
などと
ツッコミを入れたくなる場合がままある」
と書いているからです。
小山はそのすぐあとに
「ワンパターンなのは表面上だけ」で
「細かいプロットの展開やトリックにおいては、
クロフツは毎回、手を替え品を替え、
様々な驚きを仕掛けている」
とも書いていますので、
クロフツの意を汲んでいるわけですが、
要するに、ワンパターンじゃないか
という批判を当時のクロフツも受けていて、
それに対するさり気ない反論が
上に引いたやりとりとして
出ているのではないか
ということなんです。
飽くことなく同じような話を書く
ミステリ・ジャンルに対する批判への
擁護が感じられると同時に、
素材は同じでも料理の仕方を見てくれ
というクロフツの想いが垣間見えて、
興味深いなあと思ったことでした。
で、同じ書影をあげるのも芸がないので
旧訳版の書影を掲げておきます。

(1949/松原正訳、創元推理文庫、1962.12.28)
装丁(カバー装画)は広橋桂子。
こういう抽象的なのが、
昔の創元推理文庫の特徴でした。
ちなみに、先に引いたやりとりは、
旧訳版では次のように訳されてます。
「私の本は、田舎に住む初老の紳士の
殺害事件を扱うのです。
でも、最初のうちは
他殺の疑いはかけられない。
あとから疑いが生じ、
やがて真相が明らかになるのです。
あまり独創的じゃないとは思うのですけれど」
「何度も繰返すだけの価値ある
シテュエイションですよ」とリデルは答えた。
「私の考えでは、問題は細部にある」
(松原正訳。p.211)
リデルというのは法廷弁護士の名前です。
主旨は同じなのでしょうが、
不思議と微妙に印象が異なりますね(苦笑)
あ、あとひとつ。
本作品の第4章の出だしには
『不思議の国のアリス』への言及があって、
これはクロフツにしては珍しいんじゃあ
とか思ったことでした。
備忘的なネタで済みませぬ(^^ゞ
ふれておきたいことが
もうひとつあるんでした。
恋人の犯行を疑ったダルシーが
法廷弁護士の許へ相談に行った際、
自分も犯罪を犯しているという後ろ暗さから
すべての事情を話せないために、
実は自分は推理小説を書いていて
その題材として元総督の自殺に目をつけた
というような作り話をします。
その場面で、次のようなやりとりがあります。
「(略)田舎に暮らす年老いた紳士の
殺人事件を扱った物語ですが、
当初は殺人とは思われません。
疑惑が持ち上がるのは老紳士の死後
しばらくたってからで、
真相は徐々に明らかになります。
ここまではよくあるパターンですね」
「繰り返し使われるのは
それだけの価値があるということでしょう。
要は細部の描写ではないかと思います」
(霜島義明訳。p.201)
最初の台詞がダルシーの、
ふたつ目の台詞が法廷弁護士のものです。
とはいえ、誰が何を言ったかではなくて、
お約束のパターンを擁護する発言があるのが
たいへん興味深いのでした。
というのも、新訳版の解説で小山正が
「確かにクロフツは器用な作家ではなく、
引き出しが多いわけでもない。
作品を続けて読むと、
その三角関係は前にもあっただろう、
とか、
このあいだも同じような
共犯の事例を読んだんですけどねえ、
などと
ツッコミを入れたくなる場合がままある」
と書いているからです。
小山はそのすぐあとに
「ワンパターンなのは表面上だけ」で
「細かいプロットの展開やトリックにおいては、
クロフツは毎回、手を替え品を替え、
様々な驚きを仕掛けている」
とも書いていますので、
クロフツの意を汲んでいるわけですが、
要するに、ワンパターンじゃないか
という批判を当時のクロフツも受けていて、
それに対するさり気ない反論が
上に引いたやりとりとして
出ているのではないか
ということなんです。
飽くことなく同じような話を書く
ミステリ・ジャンルに対する批判への
擁護が感じられると同時に、
素材は同じでも料理の仕方を見てくれ
というクロフツの想いが垣間見えて、
興味深いなあと思ったことでした。
で、同じ書影をあげるのも芸がないので
旧訳版の書影を掲げておきます。

(1949/松原正訳、創元推理文庫、1962.12.28)
装丁(カバー装画)は広橋桂子。
こういう抽象的なのが、
昔の創元推理文庫の特徴でした。
ちなみに、先に引いたやりとりは、
旧訳版では次のように訳されてます。
「私の本は、田舎に住む初老の紳士の
殺害事件を扱うのです。
でも、最初のうちは
他殺の疑いはかけられない。
あとから疑いが生じ、
やがて真相が明らかになるのです。
あまり独創的じゃないとは思うのですけれど」
「何度も繰返すだけの価値ある
シテュエイションですよ」とリデルは答えた。
「私の考えでは、問題は細部にある」
(松原正訳。p.211)
リデルというのは法廷弁護士の名前です。
主旨は同じなのでしょうが、
不思議と微妙に印象が異なりますね(苦笑)
あ、あとひとつ。
本作品の第4章の出だしには
『不思議の国のアリス』への言及があって、
これはクロフツにしては珍しいんじゃあ
とか思ったことでした。
備忘的なネタで済みませぬ(^^ゞ