$圏外の日乘-フレンチ警視最初の事件
(1949/霜島義明訳、創元推理文庫、2011.6.24)

クロフツの小説をよく読んだのは
中学生から高校生にかけてだと思います。

自分が子どものころに出てた
児童向けの海外ミステリのシリーズには
必ずクロフツが入っていたのと
(入ってなかったのは、
 鶴書房盛光社のやつぐらいかな~?
 て、マニアな話ですみません【^^;ゞ )
新刊書店の棚に割と揃ってたのとで、
いっときよく読みました。

その後は、80年代前半だったかに
それまでに未訳だったクロフツ本が
何冊か出てますが、
いちおう買っておくという感じで
さほど熱心に読まない時期もありましたが、
翻訳された作品はすべて持ってます。

中でも手に入らないのが、
60年代に一度訳されたきり
品切れ絶版だった本作品なのですが、
今回新訳で刊行されまして、
旧訳の方は入手済みだったのですが
未読だったこともあり(^^ゞ
いい機会ですので、ふらっと読んでみました。
(もちろん、新訳の方で。写真は新訳版です)


復員してきた恋人を迎えたダルシーは
自分の職場に空きができたのを幸い
彼のために仕事を斡旋するのですが、
金銭的なトラブルで揺すられていた彼のアイデアで、
職場で詐欺行為を働くことになります。

ここらへん、だめ男に流される
だめんずうぉーかー的な感じがよく描けていて、
いつの時代も男女の関係は変わらないものだなあと
興味深く読めます。

何度か詐欺行為を続けたおかげで
トラブルを脱した彼は、新しい仕事として
元植民地総督の秘書に採用されます。
そして元総督の娘と恋に陥る。
さらに、ダルシーはそのことに気づき、
何とか復讐の機会はないものかと思っている内に
元総督が自殺するという事件が起きます。

ダルシーはそれが恋人の仕業ではないかと疑い、
しかし殺人だとしてもその方法が分からず、
自分と恋人との関係を隠して、
著名な刑事弁護士に事件の相談するのですが……。


悲劇が起きるまでが全体の三分の一で、
作者クロフツは手際良く
事件につながる事実関係を紹介していきます。
その部分は、あえていえば脇筋だけれど、
この作者らしく、
詐欺のアイデアも手を抜かずに
細かく考えられていて、
ひとつの犯罪小説になっています。

続く三分の一は検屍法廷から始まるのですが、
びっくりしたのは検屍法廷の場面の最後に、
以上の書かれた部分から
後に探偵役(フレンチ警視)は
推理の手がかりを得たと
読者への挑戦状まがいの註が入っていること。

ダルシーは刑事弁護士に相談し、
刑事弁護士が私立探偵などを雇って調べると
確かに釈然としないものが残るけれど
これといった証拠は見つからない。
そこで、フレンチ警視に相談します。


残り三分の一がフレンチ警視の活躍
ということになるのですが、
相談を受けてすぐさま
捜査を始めるわけではありません。

それに地方警察がすでに捜査を終え、
検屍法廷で自殺という評決が出ているのだから、
スコットランド・ヤードが出ていって
再捜査を要請するというわけにも
簡単には行かない。
組織間で上手く調整する必要があるわけです。

地方警察の長官は
地元の警官の顔を潰さないようにし、
捜査に当たるフレンチも
地元警察の顔を潰さないように配慮し、
とにかくみんながみんな、ごり押しせず、
みんなが気持ち良く
最終目標である正義が達成するために
働けるように調整する。
気を遣いながら筋を通すありようが、
実に丁寧に書かれています。

どこかの国の大臣が偉そうに
上意下達で通そうとするのとは大違い。
本作品のキャラは誰一人として
偉そうに権力を振りかざそうとはしません。
読んでいて、彼我の違いに
涙しそうになりました。

上司は偉そうに指示すればそれで済むのではなく
部下が気持ち良く仕事できるように計らう。
それが最もよく成果をあげる道だと知っている。
そんな優秀な上司がいるという
ユートピアのような世界を描いた小説でもあります。

もちろん現在のイギリスでは
こんな気の遣い方をしないかもしれませんし、
こんな上司もいないかもしれませんが、
そういう気遣いのやりとりを丁寧に書く作家と
そういう小説を普通に読んでいる読者がいる
(少なくとも、かつては、いた)
ということに感心させられるのです。


で、自殺とされた事件は、殺人だとすると
一種の密室状況の事件になるわけですが、
すごいのはトリックよりも、
最後の詰めで、もう一度
真相をひっくり返そうとしていることです。
そしてその手がかりも、
検屍法廷の記録に示されているのです。

最も手がかりとはいっても、
ある事実に気づけば、1と1を足して2になる
といったタイプの手がかりではなくて、
きわめて現実的な思考を駆使する必要があり、
派手なものではありません。
ですから魅力には欠けるのですが、
大事なのは、最後の最後まで
筋の起伏を楽しませようとする
クロフツの職人気質的な小説作法にあるわけで、
ここまで粘るか引張るかと感心させられました。

何でもかんでも
最短距離でやればOKというものでもなく、
あるいは、パフォーマティブであれば良い
というものでもなく、
目的に向けて地道に誠実に取り組む
というありかた自体が、
拙速(拙遅かな? w)なばかりで
ロクに結果も出せない
どこぞの国の政府とは大違いなだけに、
今、この時に読む、という
タイミングの良さもあって、
読後感はステキに感動的でした。


最後のハッピーエンドはご都合主義というか、
ハッピーエンドを迎える二人以外の
ある重要人物のその後が描かれないのは、
現代の小説と比べるとやっぱり手落ちでして、
そこらへんは、古い小説だなあ
という感じがしなくもないのですが、
現代の小説にはない堅実さが魅力の一編です。

昔はこれくらい、イギリスの警官は
信頼されていた存在だったのです。
専門職に対するクロフツの敬意が感じられて
とても気持ち良く読める作品ですね。