ひろしまに行ったなら | 奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~

ひろしまに行ったなら

 義実家、広島に帰省中、平和記念公園に行きました。

広島駅からは、味のある路面電車に揺られ原爆ドーム前で下車。

高校の修学旅行以来の広島原爆ドーム・平和慰霊碑
あの時は駆け足スケジュールで、平和記念資料館は行かなかったと思います。

強い日差しから逃れるようにさくさくと平和記念資料館に入りました。
入場料はたったの50円。イヤホンガイド300円を借りても、合計350円也。

東館と本館があって、最初の東館は、原爆前後のジオラマ比較や街の写真だったり、比較的表現もソフトでちょっと堅い感じ、ずいぶんと抑えたトーンなんだな・・と思いながら渡り廊下を渡り、本館へ。

本館は、あぁ、こっちが本編だったのか・・と感じる展示内容。残酷さは抑え目に表現されていたけど、その状況を実感するための濃い空間でした。

 広島出身の夫、実家は広島市から離れた隣県境なので被爆した親戚はいないものの、子供の頃から他県よりも原爆については学んでいて、ここにくる機会も多かったようです。
資料展示は、年々変るようで、以前はもっと生々しい(リアル)表現もあったみたい。

 私は、中学の時、体育館で原爆のアニメ映画はだしのゲン の上映会があって、怖いとパニックになる私は、
「怖いのよーくわかってるし、戦争かっこいいなんて絶対思わないから、もうこれ以上トラウマになるようなの見せないで」
とジャージをかぶって耳ふさいでたのを覚えてます。

残酷すぎると、それだけで見るのがつらくなりすぎて距離を置いてしまう事もあるから。。
伝えるのってむずかしい 。
 原爆の威力や破壊力を示すような、の壊滅状態や建物や焼けた瓦やガラス街を見るよりも、
普通にその場に暮らしていた人の話、家族を失ったり、戦火で助けきれなかったり、ひどい後遺症におびえたり、苦しんだり・・
普通の人の生の声の方が、よほど訴えるものは大きい・そう感じました。

$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-do-mu


 "昔のこと‥自分に関係ない遠い世界のこと"としか捕らえにくい話も、
自分の子供が自分の家族が、そんな目にあったら・・
そう思うと、自分が巻き込まれたら・・というのよりもその怖さに実感が沸く気がします。
 子を悲惨な形で失った親の声、炎に追われ瓦礫の下から家族を助け出せなかった人の苦しみどんな国の人にでも共感できるし想像できる地獄
今は、そういうものの展示がけっこう多い気がします。

13歳の子供達の焼け焦げた服が立体展示されてたけど、13歳にしては二人とも小さい。。
 この時 戦争で食べるものも少なく栄養不足で体が小さかったのかな。。もうその時点で充分つらい思いしていたのに。。

 百聞は一見にしかず。見るのってわかりやすいです。

 戦争や原爆はなんとなく知ってても、どうしても印象がサードインパクトとか火の七日間とか非現実的なイメージで、自分は絶対危ない目にあわない他人事な大爆発・・とか危機感をもてない人に特に見てほしいなぁ。
 修学旅行がTDLとかハワイとか、、やっぱりなんか違うょね。。
「親睦もいいけど、こういうのってやっぱり多感な時期に見た方がいい気がする。。
 広島にきたら、ドームや平和公園でお祈りするだけじゃなくって、ちょっこし平和記念資料館にも足をのばしてくださいね。
いろんなこと、すーっと わかるから


そんな、普通の家族の声がわかる本。
被爆した子供たちが語った実体験集。

『わたしがちいさかったときに』―原爆の子 他より/長田 新
¥1,260 Amazon.co.jp


P.S.
この記事を書き始めた頃、ちょうど、TVで原爆の特集で「はだしのゲンの作者中沢啓示さん」のインタビューを放送していました。
 私は知らなかったんだけど1972年から二年間「はだしのゲンは、少年誌「週刊ジャンプ」で連載されてたんですね。
 現在だとちょっとに敬遠されそうなリアルで残酷なグロテスクなまでの惨状を描いてある作品。だって被爆した主人公ゲンは、作者本人がモデルだから。作者は想像でもなんでもなく、その惨状を自身の目の当たりにしてるから。
 その作品を、「ワンピース」や「銀魂」を読むのと同じように、当時の少年たちはジャンプで読んでたんだなぁ。。という事に驚きました。
 とっても、意義のある事だったと思います。。

 平和記念資料館には、被爆者が描いた絵がたくさん展示されています。
 上手とは言えない絵もあるけど、充分その地獄は伝わってきます(上手すぎるととても直視できないかも。。)
 
 水木しげるさんが、戦争従軍の際、全員玉砕の中、左手を失いながらも生還して、本当の戦争の惨状を漫画「総員玉砕せよ」等で伝えたように、
 はだしのゲンの作者も、あの地獄を人に伝えるために生き残されたんじゃないか・・それを漫画にして描ける才能を与えられたんじゃないか・・そんな気さえします。
 描かずにはおれないような体験をした多くの人の代弁をし、。無知さからまた同じ失敗を繰り返さないよう、この世の地獄を伝える尊い仕事をされたんだなぁ・・・。



 はだしのゲンの連載は、原爆・その火災やその後遺症で家族を全て失ったゲンが上京するところで終わってるけど、実は、続きがあるそうで、ただ、作者の体調悪化で、頭に構想はあるのに描きおこせなくなったとこのこと。

そのかじりだけ、口述を再現ドラマのようにナレーションでその番組で紹介していました。

「上京したゲンが、散髪屋で出身を聞かれ、広島と答え被爆した事を答えると、
「でていけー!被爆したやつの傍にいくと放射能が伝染る!」
と追い出されてしまうお話。ひどい誤解
 もう原爆投下から何年もすぎてても、当時はGHQ情報統制下で広島近辺以外の地域では、正しい知識も情報も報道されず、ひどい噂だけが浸透していたとのこと。
 それ以降、広島出身であることを隠していたゲンだけど、漫画家のアシスタントとして働き、仲良くなった同僚達と野球を見ていて、広島カープを応援して出身を悟られ、もう気心しれてるしと被爆の事実を答えると、部屋は静まり返ってしまった。。」と。

被爆者は、後遺症だけでなく、何年も何年も、そういう無知と誤解による差別にも苦しんだ・・と描きたかったそうです。


そうか、戦争の愚かさ怖さを理解するだけじゃなくて、バトンを受け取った私達は、バトンをリレーしていく努力次の世代に伝える努力もしなきゃいけないんだな。。
。そう、感じました。

奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~  width=