今週の土曜日、僕が通院している病院で行われる家族会(患者さんの家族が集う会)。


そこで僕がスピーチする予定の原稿の内容です。


(PDF)

新垣病院『3月19日での家族会のスピーチ』


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デイナイトケアのこと


デイナイトケア利用者:古謝哲也


 皆さん、こんにちは。私はデイナイトケアを利用させていただいている古謝と言います。
 これから、私とデイナイトケアとの関わり、そして、デイナイトケアについて、お話をさせていただきます。

 今から、30年近く前、高校2年のときに、私は統合失調症で琉球病院に入院しました。退院後、復学し、通院する中で主治医の先生の勧めで、その病院のデイケアに参加するようになりました。

 そのデイケアは週に2回、火曜日と金曜日だけ。午前中は、調理活動、午後は音楽療法やレクレーションが行われていました。たまに、他の曜日に病院のバスで遠出をし、海洋博公園や県内の観光名所に行くこともありました。


 琉球病院へ通院して、4年か5年が経った頃、お世話になっていた知人の勧めで新垣病院へ転院後は、この病院のデイケアセンターへの通所を始めました。

 週に2回だけの琉球病院のデイケアと比べて、新垣病院は毎週月曜日から金曜日まで、そこでの活動は、農作業、軽作業、木工、手芸品作り、音楽療法は三味線教室、カラオケなど、その他、色々な活動がありました。また、病院の送迎バスでドライブや県内観光もありました。私は、そこで農作業や額縁作りなどの作業に参加しました。


 高校を卒業し、2~3年、親戚と一緒に土木作業をしており、雨で仕事が休みの日は、デイケアに行っていました。土方の仕事がない時期は就職活動をしていましたが、その頃は、精神障害者はなかなか就職できない時代でした。

 日雇いの仕事をしながら、その仕事がない日はデイケアに通いました。

 その後、大工の棟梁(とうりょう)が私を雇ってくれました。以降、大工を1年、次に障害者雇用で就職した園芸会社で6年働き、その後、リネンのランドリーに転職しました。こうして、仕事中心の生活が続き、デイケアからは遠ざかっていきました。
 
 リネンのランドリーで働いている間に、30歳になった頃、デイケアのケースワーカーの勧めでグループホームに引越し、一人暮らしを始めました。2001年2月のことでした。
 それから間もなく、デイケアのスタッフの誘いで、障害者のイベントの会場で、再開した友人が利用していた『地域生活支援センターおきなわ(地活)』に自分も通うようになりました。
 
 その頃には新垣病院ではデイナイトケアセンターも出来ていて、私はそこへも通所をするようになりました。
 週に3回は、リネンのランドリーで働き、それ以外の日はデイナイトケアに通ったり、地活を利用したりしていました。デイナイトケアでの活動にも参加したり、自主活動として、そこで漫画やイラストを描いたり、創作を楽しんでいました。

 

リネンのランドリーが倒産し、私はホワイト急便に就職しました。週に3~4回、ホワイト急便で働き、それ以外の日はデイナイトケアに参加しながら、創作を楽しんでいました。
 
 グループホームでの生活が10年目を迎え、その建物の老朽化と取り壊しのお知らせを聞いて、私は、実家に戻りました。ホワイト急便を退職して、2年半後のことでした。

 実家に戻った後も、週に3~5回、デイナイトケアに通ってい、自主活動をしたり、図書館で借りた本などを、読んでいました。その他の活動にも参加しました。
 

 私にとって、創作と読書の場になっていた、デイナイトケアは自分にとって、アトリエ見たいな場所になっていました。

 そこで描いた作品が少しずつ認められ始め、自分の描いた漫画が県外で出版されている障害者向けの雑誌に掲載され、アートイベントでは自作の絵画作品が展示され、賞を獲る事もありました。

 現在は雑誌『こころの元気+(プラス)』に連載漫画を描かせていただいています。

 また、内地の障害者のアート団体でも私の描いた絵が用いられ、その報酬が不定期で振り込まれています。
 デイナイトケアで作品を描き続けたことが実を結んでいます。最近は東京のクリエイティブ関連の企業からショートアニメ制作の協力を依頼され、その作業をデイナイトケアでしていました。
 

 デイナイトケアを利用する目的は人それぞれです。家にばかりいると寂しいし、孤独になります。

 時折、人と関わりたくて、デイナイトケアに来ています。私は、自主活動以外の活動にも参加していて、土曜日の買い物活動や、『てぃーだの会』でのドライブに参加するのも楽しみの一つです。


 デイナイトケアでの昼食や夕食も私の健康の支えのひとつです。たまにストレッチに参加したり、シネマの会でDVDを見ています。
 夏にはシャワールームも利用します。


 それぞれの活動への参加・不参加は個人の自由です。


 ところで、今年の3月まで、月曜から土曜日まで開いていたデイナイトケアが4月から、月曜から金曜日までとなるそうです。行政の介入によるものだと聴いています。
 いずれは、デイナイトケアも無くなるかも知れないとの情報もあります。すでに、それが無くなった病院もあります。
 私としては、そのまま、この施設の存続を望んでいます。そうしたことも含め、障害者向けのサービスが減少すると寂しくもありますし、生き辛さも生まれます。チャンスも減って当事者一人一人の生活にも良くない影響が出てくると思います。
 デイナイトケアが無くならない事を希望しています。


 今回、スピーチの機会を与えて下さった病院スタッフ、関係者の皆様に感謝します。ここにお集まり下さった皆様にも感謝します。

 ご拝聴、ありがとうございました。



  3月19日 デイナイトケア代表:古謝哲也



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……こういう感じのことをしゃべる予定です。