元信が物見台を降り城内に入ると、それを待っていたかのようなタイミングで城門に駆けつけてきた者がある。

 商人風のその男は、清須に放っていた密偵だった。

「申し上げます。清須より信長の軍勢およそ1千、熱田の方へ向け進軍しております」

「いつ出た」

「およそ1刻(2時間)前、さるの頃ではないかと思われます」

 申の刻はこの時期なら現在の夕方4時近くとなる。何の前触れもなく清須城の城門が開いたかと思うと、長槍隊を先頭に軍勢が続々と城から出てきたという。

「どこへ向かっているかは、分かるか」

「分かりません。申し訳ございません」

「そうか」

 普通ならば出陣の時点で情報を得ていないのは職務怠慢だといわれるだろう。出陣前には農村への兵の徴集や家臣の城への伝達など何らかの前触れがある。

 しかし元信は密偵を責めることが出来ない。

近頃の織田にはそういう手配りが見られないからだ。

清須城内に武士ともいえないような無頼の徒が集められているというが、あれを兵として使っているのだろう。いったいあの連中は何の役に立つのかと常々思っていたが、と元信はやや苦々しい気分でいる。

「他の城には」

「笠寺、星崎、大高および沓懸には別の者が向かっております」

男は第一報ということで駆けつけてきた。後から別の密偵が続報を持って来る予定だという。

 報告を聞き終えた信元は、すぐに城内全員での防戦準備を命じた。

 足音やざわめき、怒声など様々な音が耳に響く。

(さて、どう出る。織田は)

 近臣たちが信元の左右に並んで座る。信元は城内の喧騒を聞きながら用意された床几に座り、頭の鉢巻を固く締め直していた。

 

 次の密偵は意外な場所からやってきた。

「申し上げます。緒川城の水野勢約5百、城を出、西に向けて進軍しております」

 水野氏の緒川城周辺に放っていた密偵の1人だった。

「こちらに向かっている模様か?」

 信元が直に聞く。示し合せた攻撃か、と瞬時に思った。

「分かりませぬ。しかし弓や槍、鉄砲などの武具に加え、囲い用と思われる木材や荷駄の数が多いように思えました」

 信元の質問に密偵は緊張した声で答える。

「ほう」と一声発した信元は、

「ということは、夜討ちではないように見えた、ということか」

「は、それがしの見立てでは

 では、どういうことだ、と信元は自問する。

確かに夜襲を仕掛けるならもっと深い時間だろう。

そういえば緒川城が周囲の木を切って城内に入れているという報を以前に受けていた。

その時は城の防備をさらに固めるか、もしくは新しい曲輪でも作るつもりか、などと考えていたが、これのことだったのか、と思い返している。

(ということは、砦づくりか)

しかし、どこに造る気か?

鳴海の周りには中継の中島砦を合わせて3つ、大高には計4つの砦がある。織田はこれで両城の囲みを完成させたのだろう、とこれまで信元は見ていた。

(囲むだけなら今で十分なはずだ。これ以上どこに造ろうというのか)

 と、

「申し上げます。織田の軍勢、熱田の浜より分乗し、舟で移動するようです」

 新たな一報が来た。



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