面接対策特講23 ~学校教育の歪み~ | 岡野朋一ブログ ~数的処理 特講~

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前回、「教育をやりたいなら勉強しなければならない」という趣旨のことを書きました。
今日は「教育をやりたい」と語るときの大前提として知っておくべきことを書きます。

Ⅰ バブル崩壊までの学校教育
江戸時代の日本は、寺子屋を中心に教育が行われていました。
そして、明治になり欧米の学校教育の制度を導入します。
「富国強兵」のスローガンを掲げていた明治政府は、学校教育において、「集団行動のできる人間」を育てました。朝礼で整列したり、運動会で行進したりということを通じて、「従順な兵士」を育てました。
この学校教育の成果で、日露戦争に勝った日本は、「一億玉砕」の太平洋戦争に突入することになります。
そして、敗戦後の日本は、教育の内容は変わりましたが、「集団行動のできる人間」を育てるというコンセプトは変わりませんでした。
すなわち、「従順な労働者」を育てることに成功し、高度経済成長を成し遂げました。

Ⅱ バブル崩壊後の学校教育
しかし、1990年代にバブルが崩壊し、銀行や証券会社までもが倒産するような不況に入ります。
それまでは、「企業は終身雇用で、従順にご奉公していれば一生安泰」と信じられていましたが、その企業自体が倒産するような時代になり、人々の価値観も変わっていきます。
「自分のキャリアは、自分で築かなければならない」という個人主義の価値観が広がり、インターネットの登場で、その傾向は加速していきます。
バブル崩壊前は、「受験戦争を勝ち抜き、一流企業に就職することが一生安泰のコース」という価値観が共通認識になっていましたが、バブル崩壊後は価値観が多様化し、子供の育て方に関しても様々な考えが出てきます。

Ⅲ 個人主義と価値観の多様化
その結果、学校教育にも、「個人主義」と「価値観の多様化」という2つが入り込んでいきます。つまり、「うちの子にこういう教育をして欲しい」という親が増えていきます。
そして、それが行き過ぎた親は「モンスターペアレント」と呼ばれるようになります。
「うちの子が分かる授業をして欲しい」、「うちの子のやる気を引き出して欲しい」という思いが行き過ぎて無理難題を要求するのがモンスターペアレントですが、無理難題を要求しないまでも、このような思いを持っている親は多いです。
この親の思いに応えるような学校教育になっていないというのが、いまの学校教育の課題の一つです。

Ⅳ 学校教育の歪み
では、親の多様な要望に応えるような学校にするためには、どうすれば良いのでしょうか。
一つの学校で、多くのメニューを取り揃えるのは不可能です。
ありえるとすれば、学校ごとにコンセプトを打ち出し、市民がどの学校に入れたいかを選択できるようにするような仕組みしかありません。
そして、そのためにはまず、学校がコンセプトを持たなければいけませんが、学校がコンセプトを持つということ自体が難しい。
なぜなら、大人が「お金」以外のモノサシを持っていないからです。日本全体が、「お金」以外の価値観を持っていないからです。

子供に「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞かれたら、なんて答えるでしょうか。
「将来、自分で生きていくためだよ」と答える人もいると思います。これは平たく言えば、「将来、稼ぐため」ということです。
ちょっと気の利いた答えに、「自分の可能性を広げるためだよ」とか「自分の選択肢を増やすためだよ」というものがありますが、これも平たく言うと、「自分の仕事の可能性を広げるため」とか「自分の職業の選択肢を増やすため」という意味で言っていることが多く、要は「お金のため」です。

Ⅴ 価値観なき日本
いまの日本は「価値観の多様化」と言われますが、突き詰めると「お金のため」という価値観であることが多いです。
いま学校教育がうまくいかない根本の原因はここにあります。
いろんな価値観の大人がいますし、様々な価値観がweb空間を飛び交います。
しかし、「要は何なの?」と問うと、「お金のため」であることが多い。
このことを子供たちは直感的に感じ取ります。そして、学ぶ意欲を失います。

例えば、不登校の問題。不登校になる原因には、「クラスに馴染めない」とか、「いじめを受けた」とか、様々なものがあります。
しかし、これらを乗り越えて「学校に行こう」と思えるような価値観を与えられていない大人の側に責任があります。
大人は「学校に行きなさい」、「学校は行くべきだ」と言います。
しかし、「何で学校に行かなければならないの?」と聞くと、みんな結局は「お金のため」と言うわけです。
これでは、「俺は別にお金を稼ぎたくないよ」という子供は、不登校になります。
また、「お金」=「学力」以外のモノサシで「君にもこんないいところがある」と肯定してあげられないところに、日本の根本的な問題があります。

Ⅵ 障害者の問題
例えば、「障害者雇用」の問題。
いま、日本では法律で障害者雇用が促進されていますが、法律を守るためにしぶしぶ障害者を雇っている企業も少なくありません。
障害者は、企業の戦力としては弱いと見なされるからです。「お金」のモノサシです。

しかし、障害者を積極的に雇っている企業もあります。
チョークの国内シェア30%を占める日本理化学工業は、社員の7割が知的障害者です。
きっかけは50年前、研修として受け入れた2人の知的障害者の働く姿に心を打たれ、次第に障害者を雇うようになったそうです。
大山会長は「彼らから教わることの方が多い」と語っています。
働く場がなかなかない障害者に働く喜びを与え、その姿から多くを学ぶ。素晴らしい企業です。
しかも、ボランティアやNPOではなく、きちんと企業として利益を追求しているところが素晴らしいです。

教育から発展し、障害者雇用まで触れてしまいましたが、教育の問題の根底には、日本が抱える重大な問題があり、そこを捕まえた上で、具体的な教育の施策を見ていくべきなのです。

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