お市ですまたまた性懲りもなく書かせて頂きに参りました
もう12月なのに、なんか本当すみません
おりょうさんが出勤だったら、このたばこ盆の引き出しの中に、また「アイツ」が仕掛けてあったんだろうなぁ…ちょっとだけさみしい(笑)
あ、しまった
今回こそは10月11日の千秋楽の日の記事です
そうです今さらお恥ずかしながら、千秋…
…えっと、薬
志野さんのお茶目なイタズラでした(^_^;)
でも結局当日は、こうやって書いてもらっても実感がないまま(もしや「薬」のせいか)、午前中の舞台が終わりました
おゆうちゃん一八との最終舞台、おゆうちゃんは、ラストの一八の語りの後に「末永くお幸せに」と加えてくれました(o^冖^o)
あまりにラストシーンにぴったりの言葉だったので、それがアドリブとは、お客様はもちろん、恐らくほとんど誰にも気付かれていなかったと思いますが、しっかり受け取らせて頂きましたよ
ありがとう、おゆうちゃん
そして、午後。
一八は、この12年半をずっと支えてくれた雪乃さんが入ってくれました
あっという間に3回目公演まで終わり、気付けばもう次が最終公演です
毎日やらせて頂いている舞台。
でもほとんどのお客様にとっては初めて観る舞台。
だからこそ一回一回を大切にしなければと心がけていました。
でも引退を決めてからはそこに、私情になってしまいますが、一回一回を噛みしめながらやりたいという想いが加わって、今まで以上に気合いを入れて舞台に臨んできました。
前日の夜も、自分の太夫初舞台のビデオを掘り出してきて観たり、憧れの先輩太夫のビデオを観て、士気を高めました
そして、その先輩太夫の出(登場シーン)があまりに素敵だったので、夜中にいきなり部屋で稽古を始めてしまいました
今さらやってもしょうがない、こんなの一晩で身に付くものじゃない、と頭では分かっていましたが、何もしないで最終日を迎えるなんてできませんでした。
「最後なのに」ではなく「最後だから」、ギリギリまで足掻いてみたかった、ほんの少しでも理想に近づきたかったんです
きっと、多かれ少なかれ、時代村のみんなにはこの気持ちが分かってもらえるんじゃないかと思います
役者って負けず嫌いですから(⌒-⌒; )
そんな、はっきり言って自己満足な悪足掻きと気合いと共に、最終公演の幕が開きました
最後まで足掻いた太夫の出。
ここでお客様に拍手を頂けた時の喜びと誇らしさは、太夫にしか味わえない、特別な感覚だと思います
あの場所から観客席を見た光景、あれを見られるだけでも、長く辛い稽古を重ねて太夫の座に着かせて頂いた者へのご褒美になる、と私は思います。
劇場の全員の視線が自分に集まっていることへの尋常じゃない緊張感。
そして、その緊張を通り越した快感はおそらく、自分自身ではなく「太夫」という人格が感じていたものでしょう。
さらに、そこに湧き上がる拍手や声援が、自分が主役としてお客様に認めて頂いているという誇らしさと共に、その拍手が起きるように組み立てられた演出への感謝を強く感じさせてくれます。
完璧なタイミングと音量で入る音響、それに合わせて息を揃えて襖を両側から開ける新造・禿、そして登場した主役に、絶妙な間で掛け声をかける一八…
裏方を含めた全員が、その拍手のために、太夫のために、全力でサポートをしてくれているのが分かるから、そんな仲間がいることのありがたさを感じずにはいられない至福の時間でした
それにしてもこの写真、誰が撮ってくれているか分かりますか
キメのタイミングもいい角度も、完全に分かっているからこそ撮れるこれらの写真の撮り手は、なんと当日お休みだったはずのおりょうさん
お休みなのに、わざわざ来てくれた上に、いっぱい写真を撮ってくれたんです
ありがとうございます~(ノ◇≦。)
あ、何のこっちゃ分からない方は、過去のブログのどこかしらに「アイツ」を載せたような気がするのでご覧ください(紹介が雑すぎて探す気にもならんわ)
たばこ盆の所作は、太夫稽古で一番最初にオッケーをもらえたものということもあり、好きなんですが、知り合いが見ているとどうしても緊張で手が震えて((((;≡д≡;i))))ヵ゙タヵ゙タ㌦㌦…
何年やってんだと我ながら情けないですが、お大尽役のお客様がもっと震えているのを見ると、私がしっかりしなきゃと頑張れました(だから何年やってんのよ)
昔は、一回注いだお酒を、お大尽も他のお客様も飲めなかったら、舞台人が互いに譲り合い(押し付け合いともいう)ながらも一滴残らず飲み干していたものです
酒の一滴は血の一滴精神か、単純に盛り上がるからか今となっては分かりませんが、運転がなかったメンバーはちょいちょい飲まされました(^_^;)
私なんて子供役のはずの禿で「未成年でありんす~」と、痛々しくも上手に断ったはずが、太夫の凝視と運ばれてきたお酒のいい匂いに負けて飲んだこともありました
当時の一八さんが「みなさんこれはナイショですよ~」って言ってたのに
ま、まぁ時効ということで
決して強制ではなかったですし、間違っても運転のあるメンバーに飲ませることは絶対にありませんでしたから
私が日本酒が好きだから自ら飲む方向に行っていただけで(それはそれでどうなんだ)、おりょうさんなんて大体いつも立候補でしたし❗️(だからさぁ❗️)
一八と太夫の間にお客様であるお大尽さまが座っていらっしゃるので、太夫を写そうとすると一八はどうしても一緒には撮れないんですよね
と言っても、ほとんど常にお大尽さまと行動を共にする一八ですから、お客様の顔を写さないようにお客様が向こうを向いた瞬間を狙うと一八も向こうを向いてしまう…という撮り手の苦労を感じてこんな顔をしている、わけではありません
引退が決まってから、このセリフを言う度に感慨深いものを感じていました。
「ここを、離れるのか…」そのさみしさと、新たな人生への希望が混ざった、複雑な気持ちでした。
うまいこと自分の感情とマッチできれば良かったんですが、太夫と私とでは、そのさみしさと希望の割合がたぶん逆なので、気持ちを調整して言っていました。
でもこの千秋楽の時だけは、最初の「来年の三月で」と言った時に、「来年の三月まで私いないんだ」とふっと思って、その瞬間すごいさみしさが押し寄せてきてしまって、さみしさ割合がいつもより増してしまいました。
そんな自分の中の些細な変化なんて周りには伝わらないとは思いますが(^_^;)
なんとか「市川純」が出てくるのを抑えて、ラストの一八さんのしゃべりです
雪乃さんはブレることなくあくまで一八さんのまま(そりゃそうなんですがね)、明るく楽しく、お客様に喜んで頂けるよう、いつもと同じように舞台を仕切って、シメてくれました
最後までカッコ良く、プロのあるべき姿を見せてくれました
太夫に合わせて踊ることに必死になっていた新人の頃は、まさか自分がその太夫になって、みんなの真ん中で踊らせてもらうことになるなんて想像もしていませんでした。
運動神経が悪いを通り越して、指先から何から、もはや自分の身体を動かすこと全般の能力が、人並み外れて低い私にとって、日舞は「ステキ」ということ以外、見ても何をどうしたらいいか分からない、再現不可能な動きでした(=ω=.)
先輩たちと明らかに違うこと、自分が全くできていないことだけは分かるのですが、どうすればそれを近付けることができるのかが、どんなに見ても、お願いして丁寧に指導してもらっても、全然分かりませんでした
でも、ダサいままは嫌だし、そんな状態でも舞台に立たせて頂いている以上、お客様にも共演者のみんなにも申し訳ないので、自分の動きをひたすらビデオに撮ったり、毎回ダメ出しをお願いしたり、先輩を隠し撮りしたり(その技術すら不器用なため成功したことはありませんが)、あらゆる足掻きをした結果、ある時、少~~~~~しだけ何かが掴めた気がしました。
「ここまで手を上げちゃうとなんか違和感がある」という感じで、日舞としておかしい形になった時に「なんか違う」と気付けるようになってきたんです
毎回ではないですし、気付いたところでそこから正解に辿り着く道はまた長いのですが
それでも、新人時代、あの客席を毎日延々と歩きの稽古でグルグル回っていたこと、ただとにかく腰を落として、派手さも面白みもない基礎の踊り(おい)を繰り返し繰り返し踊っていたことで、こんな、脳みそからの指令通りになかなか動いてくれない私の身体にも、日舞の動きが少しは染み付いてきたんだと感じて、「あぁ、やってきた事って報われるんだ」とここまで続けてきたことを誇らしく思え、初めて、ちょっとだけ自信というものを持てるようになりました。
12年半やってきて、せいぜい3年前くらいです、ようやくそれを感じられるようになったのは。
普通の人だったらきっとこんなに時間はかからないのでしょう。
でも人と才能の違いを比べて泣いていても時間がもったいない、と途中で気付かなかったら、もっと時間がかかっていたと思います
うわぁ、また思い出に耽ってしまいましたΣΣ( ̄◇ ̄;)!
さて、カーテンコールです
いつもと変わらず舞台を仕切ってくれた雪乃さん一八が、お大尽さまの紹介の後、付け加えてくれました
「われらが高尾太夫、本日千秋楽を迎えます、市川純でございましたー」
雪乃さん、ありがとうございました
多くの千秋楽を見てきて、ここでご挨拶をすることは覚悟していたものの、いざとなるとやっぱり緊張してなんだか早口になってしまい、せっかく雪乃さんが振ってくれたのに、感動も何もないご挨拶になってしまいましたすみません
最後まで情けないやつ…(T▽T;)
舞台後の写真撮影のために幕から出て行った時も、お休みの日に来てくれたおりょうさんと、お客さんを装って私服…にしては特殊ですが、自前の和服をアレンジして着たお蘭ちゃんが、花束を渡しに来てくれたのですが、「嬉しい❗️けど、これから写真撮影だしどうしよう、他のお客さんとの写真でも持っていていいものなのかな、でも下に置くのもよくないよな」と、なんだか分からなくなってしまい、結局受け取らず、普通に写真撮影を始めてしまいました
一回受け取ってから誰かに持っていてもらえば良かったです(=ω=.)
その後、こんな頭が回っていない私なんぞの千秋楽のためにわざわざ来て頂いたお客様方ともお話しでき、いろいろ素敵な贈り物も頂き、惜しんで下さることへの感謝と、もうお会いできないんだなという実感で泣きそうになりました(ノ◇≦。)
でも泣いてしまったら、最後の最後でメイクが剥がれた恐ろしい顔をみなさまの思い出に刻んでしまうことになるので、堪えました
お客様とのお別れの後、気付けば劇場のBGMが私の好きなマイケル・ジャクソンのオルゴール曲に
文化の音楽奉行(また勝手に)、お蘭ちゃんが探してきてくれたそうですありがとう~
そんな素敵な雰囲気の中、改めておりょうさんが、文化からと、なんと元忍者の大坪さんからの花束を手渡してくれました
憧れは非常にあったものの、絶対にできないと思っていましたし、まずそのチャンスすらないだろうと思っていた、くノ一
まさか、やらせて頂くことになるとは思わず、本当に光栄でしたが、それに応える力があまりにないことに落ち込み続け、それでも時代村の恥にだけはならないように、必死でした。
大坪さんは、そんな下手くそ過ぎる私を見捨てず、いつもアドバイスをくれた一人でした。
改めて、本当にありがとうございました
また感慨に耽っていると、今度は吉原繋ぎ(模様の名前)を着た背の高いコンビが声をかけてくれました。
文化劇場でもぎりのバイトをしてくれている、タジーこと田嶌くんと、カネゴンこと兼子くんです
もう3年?ですかね、ここに来て。
高校生ながらとてもしっかりしていて、最初の頃こそ教えなければいけないことがちょこちょこありましたが、仕事だけでなく、お客様と接するということについて学んだ今の彼らは、二人ともここにそのまま入ってほしいとみんなが思うくらい、頼りになる青年たちに成長しました
最近はすっかり頼ってしまって大してお世話もしていなかったのに、ニャンまげクッキーとニャンまげむしきんつばという、まさかの大江戸の舞台で宣伝していた時代村お土産セットをくれました
ここで頑張って稼いだバイト代から買ってくれたんだなと思うと、健気で嬉しくて、初任給で息子がプレゼントを買ってくれた時の母親の気持ちはこんな感じだろうか、よし、引き出しにしまっておこう、とこんなタイミングで役者根性が顔を出してしまいました
二人とも、本当にありがとう
これから社会人になったらいろいろなことがあると思うけど、周りを見る目と人の気持ちを考えられる心がある君たちなら大丈夫頑張ってね
でもなんだったら時代村に入ってもいいんだよ~・( ̄∀ ̄)・:*:
そしたらまた会えるし
バイト君たちにお礼を言っていると、玄関の方から雪乃さんの声が聞こえました。
「太夫ちょっとこちらへ~」
これは、もしかしてとワクワクして玄関に行くと…
大江戸さんと忍者さんが来てくれましたぁ~。・゚・(ノ∀`)・゚・。
「お疲れ~」
「お疲れ様でしたぁ❗️」
と、忍者代表の神保さんと大江戸代表の関谷さんがそれぞれの部署のプレゼントを手渡してくれました
うわぁ~ありがとうございます~ヾ(≧▽≦)ノ゙
お休みや仕事などの関係で全員はやはり揃いませんが、これだけたくさんの芸能メンバーと、衣装で写真を撮れるのはこれが最後。
みなさん、最後のワガママ、集合写真お願いします
あ、おりょうさん
私服でもいいじゃないですか入って下さい
あぁ、最後か…ここの一員でいられるのも…みんなと同じ立場でこんな写真を撮れるのも…
この時にそれを実感してしまっていたら、泣いて泣いて写真どころではなかったでしょう。
笑顔で撮れて良かった…
さて、以上が、完っ全に手前味噌ながら、私自身による千秋楽レポでした(* ̄∀ ̄)ゞ
が、しかし
写真、まだあるんですよねぇ~…
この後にもまだちょっと出来事があったんですよねぇ~…
最後の写真にいないあの人も来てくれたりしたんですよねぇ~…
ということで、すみません
もう少しお付き合い頂いてもよろしいでしょうか…
引っ張るつもりは毛頭ないのです
もはや12月ですし、私は過去の人間ですし
でも、写真が15枚までしか貼れないのと、やはり書いているうちにいろんな思い出や想いが溢れてきてしまって、なかなか収まりがつかないのです( ̄◇ ̄;)
まだ送別会の写真もありますし、もしよろしければ、タイムスリップからの時差ボケが未だに治らない女の戯言を、もうしばらく聞いてやって下さいませm(_ _)m