地震のあった日は、私も馬王も仕事、
息子は午前授業で家で昼食べて午後から友達と遊ぶ、
アヒルとその友達が東京から来ていたので、ラクダが休みを取ってくれて、ラクダの彼氏も休みだったので、
4人で松島観光、
そのあと家の近くのショッピングセンターの2時半からのスイーツとパンのバイキングをお昼代わりに考えていたので、
松島は海を少し見るだけ、本当は奥松島の海の綺麗なスポット見せたいけど、バイキングにまにあわないので行
かないであきらめて、
バイキングのあとは、私の仕事帰りを待たずに子供たちで私の用意していたもので家で焼肉して、
友達は夜遅いバスで一人先に東京へ帰るという予定でした。
地震のとき、私は勤務先のカルチャーセンターで
店長が東京出張のためカオリンと二人勤務でした。
2時からの太極拳の受付を済ませ、
教室が始まって落ち着いたので、
事務所兼給湯室みたいな細長い3畳分を細長くしたような部屋の一番奥の流しの前の小さなテーブルでで
お弁当を食べていました。同僚のカオリン(20代)とは、少し時間をずらして昼休憩とったので、
カオリンはお弁当食べ終わり、食後の一休み、
私はお弁当を食べながらカオリンと何を話していたかわすれるような話をしていました。
地震のとき、私は箸もってスパゲティー食べてました。
あまりの揺れにきょとんとする私を、
カオリンが「出ましょう」と細長い部屋の外に連れ出しました、
次の瞬間、ものすごい地震が来ました。
カオリンと生徒さん数人は店の外の駐車場、
私と生徒さん二人は店の受付ホール、
先生と生徒さん数人は体育スタジオ、
ピアノ室にはピアノの先生と生徒さんがいました。
そこから先は猛烈な揺れで、
わたしは壁によりかかり、
生徒さん二人を抱きしめて二人の頭に手を乗せてかかえこみ、この建物は平屋だから大丈夫だから、といい続けましたが
何回言ってもひどく長くゆれるばかりで、
揺れの途中で生徒さん一人が腰をぬかし、
今度は3人でしゃがんでこわがる生徒さんに大丈夫と言い続け、揺れを耐えました
カルチャーセンターは出入り口、ショーケース、ホールの大きな窓というか外から見える壁?全部ガラスで、
私たちがいたところは一番ガラスから遠くホールの中ではましな位地でした。
あまりの揺れに一歩も動けない、
大きな揺れが始まった瞬間にいたところにいるしかなかった、
そんな揺れでした。縦とか横とかそういう今まで経験したのではなく、大きくシェイクされる?
とにかく身動きできないまま、長く長く5分ぐらいに感じましたが、ホントは3っぷんぐらいだったのかもしれません。
とにかく長くて強い揺れでした。
おさっまて、先生と生徒さんの無事を確認し、けが人もなく、この隙に帰るようにいいました。
ホールの中央、みんな通るところの壊れた陶器だけ、ほうきで掃いて新聞でくるみ、みんなを外に出しました。
もう停電になっていて、本社へ電話もできませんでした。
その日は私携帯を家に忘れてきていて、かえってあきらめつきました。
先生の作品、陶芸の先生のとか、割れてしまい、かけてある絵も落ちて飾り物は飛び散りましたが、
建物のガラスやドアは割れませんでした。
カオリンは家が仙台市内でも南のほうなので、信号も止まって帰りが夜中になると思い、
すぐ帰るように言いました。
途中、車捨てて歩くかもしれないと思い、スニーカーさがしたけど、なくて、
パンプスのカオリンに少しでも歩きやすいナースサンダル持たせたけど、
今思えば、安全のため、雪かき用においてあった、スノーブーツのほうがよかったです。
もう、バスも止まっているに違いないから、バス通勤の太極拳の先生も、仙台駅まで、と、
一緒に乗っていきました。
13日にわかった話ですが、カオリンは夜の10時に車で家に着いたそうです。
(続く)