わたしのピアノワークを支えてくださっているのは、
ボイスアートの師匠まやはるこさん。
ご自身はシンガーソングライターだから、
ピアノは弾けない...のに、ワーク・セッションはできますね、と
前回も笑い合っていました。
わたしのピアノワークは決して、ピアノが「上手く」弾けるようになるための、
レッスンをしているわけではないからです。
自分が(いい意味で)空っぽになった状態で、
「自我」の囚われから音を出すのではなくて、
自分の「今」を聴き、それを表現していく。
「自我」の囚われ...とは、
例えば、上手く演奏してやろう、とか
他人はどう評価するんだろう、ということを気にしたり、
上手く聞かせたい...とか、
自分の欲や、外への意識が強すぎる状態、と言ったらいいでしょうか。
そうではなくて、ただ静かに自分自身を聴く、
そこから始めて、その先に表現がある、音がある。
その瞬間は、きっと「祈り」にも近い瞬間かもしれない。
自分の「今」が、喜びに、感謝になる。
きっと表現、ってそんなところに辿り着くんじゃないのかなぁ...
最近のわたしはそう、思っています。
歌い手でもある師匠は、自らの身体、自らの声を使って表現するひとだから、
余計にその実感をもっておられるのかなぁ、とわたしは見ていますが、
今日のセッションの中で、この言葉がわたしに響きました。
音をナメたら、あかん
音には、神さまが宿る
歌うことは、一番神さまに近いところにいる
なんにせよ、最近、
わたしにとって即興表現が、少しずつ楽しいものになってきています。
ふふ、今後の展開が、とっても楽しみです。
そう、音に、わたしの命を吹き込むのです。
わたしはわたしの「今」を存分に、生きるぞー
そんな気分です。