この年末のNHK地上波やBSなどで、今年来年の国際情勢や経済状況の総括や展望を聞いていると、どの学者、評論家、解説者も、例外なく異口同音に“中国の台頭”の話をしている。
清朝が滅び、孫文が中華民国を建国したのが1912年。アヘン戦争以来東洋の猛虎は、だんだんと牙を抜かれ力を削がれ、列強の帝国主義の餌食となって半ば反植民地のような状態が続いていた。第二次世界大戦で連合軍が勝利し、日本が敗れた後、共産党が国民党と熾烈な争いを繰り広げ政権を奪取した。だが、文化大革命のように極めて原理主義な政策を取った結果、経済社会が疲弊した。その体制を変え、改革開放を進めていくまでには建国から実に30年を要した。
それから、30年以上がの年月が過ぎ、中国はかつて清国の最盛期、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3代の皇帝が統治した時代、広大な領土を持ち、世界のGDPの実に30%以上を誇る大帝国であったその時代の再現を図ろうとしているようだ。
ちなみに、日本の最盛期はいつの頃だろうか。戦前の、北部はソ連のアッツ島、大陸では、朝鮮半島から中国の満州(今の東北三省)、沿岸部の各地域、東南アジアではフィリッピン、ベトナム、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドの国境に近くまで、そして南方は、南太平洋の島々、ニューギニアからオーストラリア北部に至る地域まで、環太平洋の広大な地域をわずかの期間であったが支配していた時代があったが、領土としてはこの時が最盛期であっただろう。
国力としてはバブルの頃か。一人当たりのGDPはアメリカと並び世界一。国際競争力も世界一。まさに敗戦の焼け野原から40年そこそこで世界の頂点、坂の上にある白く明るく輝く大きな雲を掴んだ頃が全盛であっただろう。
では、日本の精神性の最高潮の頃は果たしていつだっただろうか。幕末から明治維新、そして日露戦争に至る時期でないという人はほんの僅かだろう。司馬遼太郎はこの頃の日本人について極めて高く評価している。国を思い、国のために命をかける。当たり前のことを明治の人間は見事に実践してきたからだ。
話が少し横道にずれてきたようだ。実は今日はアーバンフォレスト(都市林)のことについて話すつもりだったが、明日することにしよう。
現在の中国が、強かった清の時代、或いは大唐帝国の時代に思いを馳せるのは、当然のことである。それが国を愛する心の発露となり矜持となるからだ。自国の歴史に対して誇りを持つことを誰も咎めることはできないのである。
であれば、日本もまた、日本が政治的にも経済的にも、或いはその精神性においても強固な一時代を作ってことに対して誇らしげにすればよい。愛国心を持つというのはそう難しくないと思っている。
(上海万博の中国庭園で)