滋賀県には、「十一面観音像」があるお寺がたくさんある。そのどれもが琵琶湖に向っているそうだ。「観音様が琵琶湖を守っていてくださる」としてお参りをする人がたえない。


この「十一面観音像」のことを始めて知ったのは、井上靖の「星と祭」という本を読んだ時のことだ。もう30年以上も前、学生時代であった。日本で単行本を買って韓国に持って行き、一気に読んだ。ただ、それから随分日数が経ち、そのストーリーをあまり克明に覚えていない。


それでも、琵琶湖湖畔で、娘と息子を亡くした親同士が、供養のために琵琶湖周辺にある「十一面観音像」があるお寺に参るという話であり、亡くなった娘と父親との心の中の対話がとても切なく、感動的であったのを覚えている。


昔は、井上靖とか城山三郎、司馬遼太郎の小説をたくさん読んだものだが、最近はあまり時間が取れない。じっくり腰を落ち着けて、改めて井上靖の「楼蘭」や「風涛」、「天平の甍」、そしてこの「星の祭」を読んでみたいのだが、さて、いつになることやら。


琵琶湖の「湖西の道」は、浜大津から高島の今津、マキノ辺りまでを言う。この道は、朝鮮半島の東海岸から船を出せば、山陰や北陸にたどり着き、そこから京都や奈良を目指すとなると必ず通る道なのである。従って、渡来人の文化や史跡が数多くの残されている。


白髭神社は「日本の中の朝鮮文化」の著者である金達寿によると、新羅(しらぎ:韓国語でシンラ)から来た渡来人によって作られたとしている。そんな新羅にゆかりのある神社がこの湖西にはたくさんあるそうだ。


戦国の城の石組みを施工したのは“穴太(あのう)衆”と呼ばれる技術集団であるが、浜大津からさほど遠くないところに“穴太”という地名があり、ここを出自としているが、彼らもまた渡来人の末裔と言われている。


司馬遼太郎によれば、それ以外にも数多くの渡来人が残した“作品”があるという。そのようなものを探しながら、或いは眺めながら、湖西の道を歩くというのもまた、“おつ”なものに違いない。


大津の北部に“和邇浜(わにはま)”という海水浴場があるが、そこから見える“蓬莱山”と琵琶湖のコンストラストの美しさもまた格別である。“蓬莱”という名称は、どうやら中国からきているらしい。そして、昔、この辺りを根城に居住していた和邇一族もまた、渡来人なのである。


湖西の道を、もう一度、「東アジアの友好の道」として再現していきたいものだ。


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