読んだ本
郊外・原発・家族 万博がプロパガンダした消費社会
三浦展
勁草書房
2015.08

ひとこと感想
博覧会(展示会)を主軸にして、原発がどのようにプロモーションされたのかを知ることができる。しかも当時米国が世界に売り出そうとしていたものが、原発だけではなく、電化製品+キッチン、自動車、郊外の住宅といったアメリカ的生活様式(=消費社会)全体であったことを描きだしている。

みうら・あつしは、1958年生まれ。82年一橋大学社会学部卒。カルチャースタディーズ研究所代表。主著「「家族」と「幸福」の戦後史」など。

キッチンは、1930年代のシカゴ万博(1933年)やニューヨーク万博(1939年)から「女性の解放」のシンボルとして、すなわち、「家事という重労働からの解放」として、描き出され、中流家庭は「郊外」の住宅地に向かうとともに「消費社会」化が進んでゆく。

住宅も大量生産化されることが前提となり、その郊外住宅と職場とを結ぶ自動車への欲望もさらに高まる。

そして、ブリュッセル万博(1958年)など、1950年代の博覧会、イベントにおいては、「電気仕掛け」のキッチンが原発推進(軍事から平和というか商用への転換)のプロパガンダとして利用された。

キッチンの「電化」には、「原子力エネルギーが必須」(5ページ)と思わされるようになる。

これらをワンセットにして「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」がデザインされ、その基盤を支えていたのが「原発」ということになる。

一方国内でもほぼ同じようなタイミングで博覧会が仕掛けられ、とりわけ正力率いる読売はその旗振り役だった。

とはいえ、朝日新聞もまたそうした博覧会を主催している。これは端的に、各社のポリシー云々というよりも、米国の命令に従ったものではないかと三浦は推測する。

このことは、吉見俊哉の本に詳しいが、三浦は参考文献に含めていない。

私たちが運び続けた(悪)夢の原子力 ~吉見俊哉「夢の原子力」を読む
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11363831804.html

博覧会と記録映画に見られる原発推進の力 ~吉見俊哉「夢の原子力」第2章
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11364301925.html

私たちは「原子力の夢」から本当に醒めたのか ~吉見俊哉「夢の原子力」を読む その3
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11365298009.html

他方、海外では「アトム展」というのが開催されていたようだ。

例として挙げられているのは、1957年6-9月、アムステルダムのスキポール空港内。オランダの空港であるが、なぜか「ドイツの一般大衆の中に原子力の平和利用を受容する心をつくり出そう」(29ページ)という主旨だったという。

ここでは、GMが「明日のキッチン」がメインの展示だった。原子炉とキッチンがペアで展示されたが、原子炉の操作体験展示よりもボタンを押すだけで家事ができるキッチンがもたらしたインパクトの方が大きかったようだ。

だが当然、そうしたキッチンを実現するうえで、原発の導入は必須のように扱われるのである。

「第二次世界大戦後の10年は、核エネルギーと核兵器の危険性が、新しい科学技術が提供すると期待される利益によって覆い隠された時代だった。その期待こそが消費社会であった。」(33ページ)

ブリュッセル万博は、大阪万博よりもかなり早くに原子力の平和利用をアピールしたものだった。なにしろメインパビリオンは「アトミウム」である。ベルギー金属産業協会が建設、形は水晶の原子構造を1兆5千億倍に拡大したもの。この中では、以下の展示があった。

・ベルギー(原子力の平和利用)
・イタリア
・ブリュッセル
・ウェスティングハウス
・ドイツ

また、ル・コルビュジエがフィリップス館を設計しているが、その館内の映像と音楽を組み合わせた展示「電子の詩」が興味深い。これは、ヤニス・クセナキスとの共同作業であり、音楽には、エドガー・ヴァレーズが担当した。

映像は人類の歴史をふりかえるような内容で、後半のシーンで原爆によって生じたキノコ雲が使われていた。

この展示内容には「太古」への回帰イメージが色濃く表れていたが、奇しくも岡本太郎がその後大阪万博で打ち出したのも「モダニズムの限界」に基づいた表出であった。太郎について、三浦は暮沢毅巳の論考(万博と原子力)(暮沢、江藤「大阪万博が演出した未来」青弓社、2014年)を参照しているが、すでにこのテーマは2012、2013年に書かれた以下でも問われていた。

岡本太郎「瞬間」における原爆への怒り
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11580124241.html

近代の超克II フクシマ以後 (石塚正英編)を読む
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12074428574.html

以上が、第1章の内容で原発にかかわる部分である。

***

本書は郊外論でもある。

郊外が生まれるには一つの「都市」イメージが必要だった。それは「都心の高層オフィスと郊外の住宅地という都市構造をもった都市」(82ページ)のイメージである。

郊外化というものについては、1837年にシカゴ西部にケトルスリングス夫妻が開発を開始したのが最初と言われている。その後、1850年代には鉄道が開通、1900年代に入るとフランク・ロイド・ライトの設計した住宅がつくられ、大きくなってゆく。

またもう一つ、リバーサイドも19世紀にできた郊外住宅地である。こちらはフレデリック・ロー・オルムステッドとカルバール・ヴォーが設計、1868年に完成。オルムステッドはまた、のちに、セントラルパークも手掛ける。

シカゴやリバーサイドをもとに「田園都市」(ガーデン・シティ)をロンドン郊外に構想したのが、エベネザー・ハワードである。つまり19世紀の英国のランドスケープ思想が米国に影響を与え、米国において田園都市の原型が形成され、それが英国に移植され、その後、全世界に広がった。

米国における田園都市思想は、1906年に米田園都市協会が設立、そして、1907年にはニューヨーク地域計画協会(Regional Plan Association of New York)が設立、1923年には米地域計画協会(Regional Planning Association of America)が設立、ここにはクレランス・スタイン、ヘンリー・ライト、ベントン・マケイン、アレグザンダー・ビングとともに、ルイス・マンフォードが立ち上げにかかわった。

第1章とのつながりでいえば、郊外は、電気(家電)+自動車、によって支えられている。また、郊外に暮らす人たちの動機は主として「子ども」の育成にあった。

ほか、米国におけるニューアーバニズムについての説明がある。特徴は以下の4点である。

・エコ志向(自動車よりも電車)
・コミュニティ志向
・歴史志向(古き街並み)
・ミックス志向(居住、商業、会社)


目次
第1章 ブリュッセル万博、冷戦、原子力
 ナイロン戦争勃発
 原子力平和利用とキッチン ほか
第2章 シカゴ万博、郊外、明日の家
 近代資本主義都市シカゴ
 大火が生んだ摩天楼と最初の田園郊外リバーサイド ほか
第3章 ニューヨーク万博、家族、消費
 自動車のような大量生産住宅
 アメリカに注目されたコルビュジエ ほか
第4章 アメリカ博、ソヴィエト、キッチン
 郊外という新・巨大市場
 同質化と「アメリカ人」の形成 ほか
第5章 エコロジー、コミュニティ、脱消費社会
 都心再開発と郊外スプロール化への疑問
 郊外の諸問題 ほか


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