読んだ本
日本の原子力60年 トピックス32
原子力資料情報室
西尾漠 文 今井明 写真
原子力資料情報室
2014年3月

ひとこと感想
簡便な原発開発史であるが、この60年間に何が起こってきたのかということだけでなく、なぜ「フクシマ」が起こったのかをていねいに省みている点が本書の特徴である。

***

まず、本書で言う「原子力」とは、専ら、「原子力発電」のことであり、「原水爆」や放射線を使った医療診断や処置、工業的利用などは含まれていない。

よって、以下でみる「原子力60年」や「トピックス32」は、あくまでも「原発」にかぎられた内容である。

1954年に最初の原子力予算が国会で成立したことから60年を経た歴史的流れをたどろうとしている。

ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸事件、原水爆実験、キューバ危機などは、本書の対象とはならないことに注意したい。

言い換えるならば、本書の試みは、2011年に起こった東電福島第一原発事故を起点とし、そこから60年前に遡り、この間に、原発=原子力開発は、どのような道をたどってきたのかを見つめ直そうというものである。

まえがきで、原子力資料情報室の共同代表の一人である山口幸夫が次のように述べている。

「この60年、結果として日本はフクシマを生んだのである。」(2ページ)

これら「32」のトピックは1954年から年代順にならんでいるが、単に時系列を追いかけるだけでなく、以下のような原発をめぐる「課題」を再考することもできるとしている。

・原子力発電はどのように導入されたのか、そして以後、どういった影響があったのか

・原子力に関係する方や制度はいかなる変遷を経てきたのか

・これまでどういった原発関連事故があったのか

・住民や市民は原発にどのような抵抗と拒否をしてきたのか

・原子力を推進するための組織はどういった形で組み立てられ、どのように変更して原子力を温存させてきたのか

・原子力トラブルはどのように隠されどのように公になってきたのか、また技術的破綻はいかにして起こったのか

以下では、まず、年表的にみやすく並べることにし、段落を落としているのはトピック内の文章で登場した大事な出来事である。なお、気になるトピックや内容については、そのあとにまとめて抜き出しておくことにする。

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1954年 日本発の原子力予算が提案された

 1953年 アトムズ・フォー・ピース(アイゼンハワー米大統領)
 1955年 原子力予算の可決

1957年 日本原電成立

 1956年 原子力基本法施行

1963年 動力試験炉JPRDが発の発電

 1967年 動燃、発足
 1968年 労組との闘争激化
 1976年 
JPRD運転終了
 1986年 廃炉開始(~1996年)

1970年 軽水炉時代の開始(敦賀、美浜)

 1971年 東電福島第一原発営業運転開始
 1972年 ECCSの安全性の疑義が高まる

1973年 石油危機

 1974年 電力・石油消費規制
 1980年 第二次石油危機

1974年 電源3法公布

「これらの法律がつくられた背景には、各地の原発反対運動で新規原発の建設が難しくなっていたことがある」(26ページ)

1974年 原子力船むつの放射線漏れ事故

 1969年 むつの進水式
 1995年 むつの原子炉撤去

1975年 反原発全国集会――生存を脅かす原子力

 武谷三男、星野芳郎、久米三四郎、市川定夫、高木仁三郎などが参加

 1975年 原子力資料情報室開設

1976年 美浜1号燃料折損事故の発覚

 1973年 
美浜1号燃料折損事故(関電が隠し続ける)
 1976年 田原総一郎が内部告発を受け「原子力戦争」で暴露

1979年 TMI原発事故(米国)

 1980年代後半 炉心溶融が起こったことが報告される
 1985年 溶融燃料の改修開始(~1990年)

1980年 公開ヒアリングの開始(美浜3、4号機)

 1980年代 原発阻止がヒアリング阻止運動に転じ目的が形骸化
 2011年 公開ヒアリング制度抹消

1983年 放射性廃棄物の海洋投棄凍結(ロンドン条約締結国会議)

 1980年 原子炉等規制法改定、海洋投棄を企てる
 1993年 完全禁止

1984年 六ヶ所村「核燃」計画

 最終的に、1)ウラン濃縮、2)再処理、3)放射性廃棄物埋設、4)高レベル放射性廃棄物の貯蔵、5)MOX燃料の加工、を行う

 1969年 むつ小川原開発地域に指定
 
1986年 チェルノブイリ原発事故(ソ連)

 2005年 チェルノブイリフォーラムにて事故報告
 2015年 新シェルターの完成予定

1988年 新たな原発反対の動き

 1988年 原発止めよう1万人行動運動(日比谷公会堂)
 1989年 脱原発法制定運動(~1991年) 330万人分の署名を集める

1989年 東電福島第二原発3号で
再循環ポンプ破損

 1984年 同原発1号機でも同じ整流板の脱落
 1988年 同原発1号機で溶接部ひび割れ

1991年 美浜原発2号機で蒸気発生器の伝熱管が破断

 1987年 ノースアンナ1号機(米)で最初の
蒸気発生器の伝熱管破断

1993年 仏よりプルトニウム搭載船が到着

 1984年 仏より最初のプルトニウム搭載船が到着

1995年 もんじゅ事故

 1994年 もんじゅ初臨界
 1996年 高速増殖炉を選択肢の一つに格下げ
 2010年 運転再開(すぐに事故発生)

1996年 巻町住民投票

 これまでの住民投票では、いずれも原発誘致反対が大きく推進を上回る

 2003年 東北電力が巻町の原発計画を撤回
 
1997年 動燃の改革

 1997年 動燃における事故への虚偽報告

1998年 東海原発の廃炉

 2001年 解体届が経産省に提出される
 2015年現在 原子炉解体は難航中

1999年 JCO臨界事故

 当初の事故調査報告書では決死の作業をして臨界収束作業を行った人達を含まるに「被曝者は69人」としたが、これは、当時の原子力安全委員長である佐藤一男は、「これは言うなれば覚悟の上で、知っていて被曝するということでございます」と答弁、「計画被曝」という考えを述べるが、最終報告書では「計画外」との区別はなくなり、最終的には「666人」とされる。

2000年 芦浜原発計画の撤回

 1963年 中部電力が芦浜原発計画を表明
 1996年 「三重県に原発はいらない」県民署名が81万余集まる

2000年 電力自由化(小売の自由化)

 1995年 電気事業法の改正(卸売りの自由化)
 2007年 全面自由化が先延ばし(2020年頃?)

2002年 東京電力の原発トラブル隠し

 2000年 内部告発
 2004、5、6年とトラブル隠しが続く

2004年 核燃料サイクルをめぐる怪文書「19兆円の請求書」

 経産省の村田成二事務次官が仕掛けたものの、中川昭一を説得できなかったために国会はうごかなかったと言われている。

2005年 原子力政策大綱

 基数の減少、出力も上がらず、使用済み燃料の全量再処理路線の見直しなどが盛り込まれており、原発開発がピークを過ぎたという印象を与えた。

2007年 東洋町長が勝手に下記公募に応募し大問題となり、最終的に出直し選挙で落選、収束する

 2002年 高レベル放射性廃棄物の処分場候補地の公募開始
 
2009年 軽水炉における
プルトニウム混合燃料の利用開始(プルサーマル)(玄海原発3号機)

 2010年 伊方原発3号機、東京電力福島第一原発3号機、高浜原発3号機でも開始

2011年 東京電力福島第一原発事故

「何よりもの「想定外」は、事故の終わりが見えないことだ。事故そのものが終わっていないのである。どうなったら「終わり」と言えるのかすら、わからない。」(128ページ)

2012年 原子力規制委員会の発足

 2013年 新基準を法令化、立地指針を廃止する一方で、新基準を既設炉に適用させること、過酷時対策の導入、そして、原子力災害対策の範囲を30キロにまで拡大を新たに含んだ。

***

以上のように、例外的に国外の、TMI原発事故(1979年)とチェルノブイリ事故(1986年)が含まれていた。

ほかは、いずれも納得のできるもので、一通りのことを知ることができると考えられる。



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