読んだ本
被曝者の歴史 日本原爆論大系 第2巻
中島竜美 編集・解説
日本図書センター
1999年6月

ひとこと感想
歴史を紐解けば解くほど「なぜ」という言葉が増えてゆく。私はヘーゲルに問いたい。放射線について、ヘーゲルだったらどういったように受けとめて、そのポジティブな面を見出しうるのか。


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ここでは、上記書籍のうち、第4章 、を読む。


第4章 ヒロシマ・ナガサキからの訴え

ナガサキ・70年代の記録と証言運動――四半世紀目の証言と記録にみる新しい軌跡と展望 鎌田定夫 長崎の証言 1971 長崎の証言刊行委員会 編/刊行 1971年8月

1970年、大阪で「万博」が開催されたが、長崎では「開港400年祭」が行われ、原爆被害から25年経ったことも、街の雰囲気としてはわすれてしまったかのようであることを鎌田は嘆く一方で、大きな変化があったと伝えている。

「1970年夏の長崎は、何よりも25年前の原爆体験を喚起し、戦後四半世紀にわたる低迷を一挙にとり戻す精力的な各告発の証言運動を展開し、長崎の戦後史の上に新しい画期をもたらしたのである。」(432ページ)

記録・作品集として書籍や雑誌が刊行されるだけでなく、高校の文化祭における「原爆展」の開催、写真展、教師による平和教育・原爆ゼミ、アンケート調査、復元運動、など多岐にわたって活況を呈した。

鎌田は、次のように「ナガサキの証言1971」の内容について、まとめている。

①原体験の事実を語り原爆の悲惨と理不尽について証言

②被爆とその後の25年の体験(生活・健康・権利の全体にかかわる個人の戦後史)を記録し、それを通して原爆の四半世紀にわたる持続的害悪を告発

③これらの原爆体験の事実を押さえながら、広島・長崎への原爆投下の意味(社会科学的・文明史的意味と同時に人間学的な意味)を究明

④反原爆・被爆者救援運動や平和教育の実践とその理論化に関する考察と模索(核権力の犯罪性についての追及ととともにわれわれ自身の戦争責任や戦後責任を明らかにすること、朝鮮人・中国人被爆者との連帯、等の問題を含めてそれを究明する)

長崎原爆関係の記録やエッセイ、文学作品についての方向性や問題点については、以下のように述べる。

1)原爆体験の記録を一回性のものとせず、日常的に持続させる

2)実証性や説得力のある論理と文体をつくりだす

3)記録運動の組織化

なお、井伏鱒二や井上光晴の作品に対しては、否定的な見解を述べている。

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ヒロシマとナガサキ――その意味を考える視角 松元寛 平和研究 第9号 日本平和学会 1984年11月

いくつかの指摘:

被爆体験に対して、「逃走」を志向する場合と、「克服」を志向する場合があり、前者が多数を占める。

原水爆禁止運動は、結果的に、政党色を帯びたことによって前者がかかわらなくなった。

広島と長崎とでは異なる体験感覚がある。

被害者としてだけでなく、加害者としても考えなければならない。

カタカナのヒロシマ、ナガサキ、は安易に使うべきではないが、世界史的、国際的な文脈で考える必要がある。

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原爆被害の特質と「被爆者援護法」の要求 日本原水爆被害者団体協議会 1966年10月

「破壊作用、熱作用および放射線作用が人体に与えた障害の総称を、「原爆症と定義する。」(465ページ)

「原爆症を特定の病気だけに限定し、固定的に考えることは非科学的」で、「原爆症は複雑な病気」で「その病理や治療法の研究はおくれているため、被爆者は深刻な不安を感じている」(467ページ)という認識をとっている。

ここでは「原爆被害」は大きく三つに分けられている。

・都市破壊
・大量無差別殺傷
・放射能

原爆被害者に対する「国家」責任を、米日それぞれに対して次のようにまとめている。

日本
戦争開始責任 1941
被害者放置責任 1945-
社会保障責任 1947-
賠償請求権放棄責任 1951-
医療・生活保障責任
被害補償責任

米国
原爆投下責任(国際法違反) 1945
加害隠蔽責任 1945
加害結果利用責任 1945

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原爆被害者の基本要求――ふたたび被爆者をつくらないために (発表文) 日本原水爆被害者団体協議会 1984年11月

「核戦争起こすな、核兵器なくせ」(502ページ)

こう訴え続けたことによって、確かに私たちは、戦争を行うことなく、戦後「70年」に至っている。

だが、「被爆者」の問題は、結局のところ、「戦争」「平和」「核兵器」という語彙のまわりで思考されることとなり、「原発事故」「放射能」にたいする感受性をもたなくなったように思われる。

「ふたたび被爆者をつくらない」(503ページ)

というのは「原爆被害者」のことであって、「放射線被曝被害者」ではないのである。

そういったことをこの文章を読んで強く感じた。

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日本被団協「原爆被害者調査」第1次報告 解説版 日本原水爆被害者団体協議会 1986年12月

日本被団協「原爆被害者調査」第2次報告――原爆死没者に関する中間報告 日本原水爆被害者団体協議会 1988年3月

上記2論考は、「原爆被害」を考えるうえで、きわめて重要なものであることは、言うまでもない。

だが、被害者へのアンケートのようなものだけでは、「放射線障害」については、本当に分かりにくく、こうした調査を行ったとしても、まったく実状が見えてこない。

たとえば、次のような問いがある。

「被爆してから昭和20年の末までに、原爆の放射能によると思われる(急性の)症状がありましたか。」(526ページ)

この問いはカッコつきで「急性の」と書いているが、もちろん、「遅発性」については、「問い」をたてることも、「回答」することも困難になる。

だが、本当に問わねばならないこと、そして、本当に回答せねばならないことは、「遅発性」の影響だったのではないだろうか。



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