読んだ作品
金槌の話
水上勉

初出
海燕 
1982年1月号

掲載
コレクション 戦争と文学 19 閃 ヒロシマ・ナガサキ
浅田次郎他編
集英社
2011年6月

ひとこと感想
味わいのある小説だが、「核関連」小説としてはとらえにくいところがある。一般的な小説のスパイスとして使用されている、と言ったほうがよいだろう。そしてそのふりかけ方が、まったくあざとくないところが、水上の力量だと思う。

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なかなか水上作品を読む機会に恵まれなかった。

これが最初に読む作品となる。

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若狭本郷の岡田という集落が舞台。

主人公(ツトム)はこの村の出身ではあるが、9歳で家を出ているので幼少期の記憶しかない。

ただこの村の資産家の息子である良作とは子どもの頃少し一所に遊んでおり、主人公の母の葬式や法事などで帰郷していたおり、旧交をあたためる。

この良作は原発(作中では「ゲンパツ」とカタカナで書かれている)で働いている。

関西電力のもので、10年前に誘致され、出力は115万7千キロワット、1,2号炉とある。

こうした作業員は「日雇」で、農閑期にそれぞれの集落から数名ずつマイクロバスに運ばれて働いている。

ガラスバッジのことは「作業衣の胸ポケットに、寒暖計とも万年筆ともつかぬ測定器」(709ページ)と表現されている。

つまり、現場で働いている人たちにとっては、原発はゲンパツであって、「危険きわまるところでもない」のであって、むしろ、「長閑か」な雰囲気がただよう。

良作が具体的に何をしているかというと、掃除や運搬が主である。

また、原発の地域への「貢献」として、有線電話とケーブルテレビが集落に導入された。

ここまでが、話の前振りで、この電話がつながったことによって、良作とツトムとの深夜の長電話というのが習慣化する。

良作が原発の仕事がひと段落するたびに、晩酌をしながら良作はツトムの書斎に電話をかける。

そのなかで、特にツトムが気になったのが、「金槌」の話なのである。

・・・と最後まで読むが、確かに良作は原発で働いているものの、本作の「主題」はあくまでも、故郷の旧友から伝え聞いた話を実際に確認しに行くものであり、原発が大きく作品のなかで意味をもつものではない。

これを選んだ理由は何だろうか。ページ数か。単に、著名な作家が書いたものだからか。

例によって、本作が収められたアンソロジー本の解説で成田龍一は、次のように説明する。

「その話題のひとつに「ゲンパツ」の日雇い労働があった。旧友も「ゲンパツ」で働いており、その仕事内容が断片的に記されるとともに、地域社会が原発によりいかに変わるか、また立ちいかない農業経営のため、地域の少なからぬ住民たちが、高額の日当が与えられるげんぱつに働くことが記される。原発が小説の対象とされにくいなか、得難い一編である。」(783ページ)

要するに、原発小説というものが少ないなか、おそらく他のアンソロジー本とかぶらずに、ほどよい短編で知名度のある作家のものを探したところ、この作品につきあたった、ということのように思われる。

いま一つ納得のゆく選択ではないが、いちおうの筋は通っている。

が、ちなみに、水上の作品で「原発」に言及しているものは、意外と多くはない。

もちろん「故郷」は有名であるが、それ以外は、エッセイその他でふれられている程度である。


「原発の若狭」のこと 「原発切抜帖」能勢剛編 青林舎 1983年 所収

無常の風 「波」200号に寄せて 波 1986年8月号

若狭憂愁 わが旅Ⅱ 実業之日本社 1986年
 「若狭憂愁」で原発についてふれられているほか、
水上による「若狭の山々と原子力発電所」という挿絵あり。

若狭日記 主婦の友社 1987年
 
「日記の終り」において原発がふれられているほか、原発の写真も掲載されている。

原発の村の人間愛情 「芝居ごよみ」 いかだ社 1987年 所収

若狭海辺だより 文化出版局 1989年
 「チェルノブイリの恐怖と悲しみ」「再びチェルノブイリを憶う」といった章題が見受けられる。

再び亀と原発とそれから 「いのちの小さな声を聴け」新潮社 1990年 所収

一滴の力水  光文社 不破哲三との対談集 2000年
 「若狭と原発と東海村」の章がある。

原子力の青い炎 「植木鉢の土」小学館 2003年 所収

本作は、あくまでも、エピソード的に「原発作業員」の日常が描かれていたが、他の作品ではどうであろうか、またエッセーではどういった考えを述べているのであろうか、今後少しずつ読んでいこうと思う。



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