読んだ本
戦後史の中の福島原発 開発政策と地域社会
中嶋久人
大月書店
2014年7月

ひとこと感想
なぜ、福島に原発が建設されたのか。すでに開沼博が中央と地方という構図において従属と依存の力学において生みだされたという見解を地元周辺の聞き取り調査から提示しているのに対して、本書は、「史料」すなわち書き残された文書資料をもとにして、「地域社会の要」として意識されてゆく過程を検討している点が興味深かった。

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本書の主張は、以下の4点である。

1)私たちは原発を大都市圏に設置することを拒んだ

2)福島第一原発はあくまでも地域開発の一環として選ばれた

3)1960~70年代に起こった福島での原発建設反対運動は、原発への不安が現れはじめたことを意味しているが、それ以上の実質的な力とはならなかった

4)その後、3.11によって、原発のリスク(不利益)とリターン(利益)のバランスが実は大きく歪んでいることが露見した


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第1章 原子力開発の開始と原子力関連施設の大都市からの排除

この章で特に本書が際立って明確にしているのは、題名にあるとおり、原発が大都市からいかにして排除されたか、である。

すなわち、ここで問題となっているのは、「立地」選定のあり方である。

東海村が最初のターゲットとなったが、もっとも運動や議論が起こったのは、関西研究用原子炉設置のときだった。

ここで歴史的に明かされるのは、大都市圏の住民は、原子力関連施設に対して、基本的に拒否反応を示し、実際に「反対運動」等によって、建造を阻止した、ということになる、

結局は、綺麗事ではなく、ベネフィットとリスクのバランスであり、大都市圏においては、リスクの方が高くなってしまうということが、この問題の根幹にあるということである。

また、このときの「ベネフィット」は、単に「原発」という施設の誘致ではなく、それに随行するであろう、商工関連施設や人の流入を見込んだものであったことを、中嶋は強調している。

言い方を変えれば、放射線がひとたび漏出すればさまざまな問題が生じるということにはあまり目を向けられず、単純に、お金や人や建物などを呼び込むことができるということが大事だった、ということである。

「東海村に実験炉・商用炉が設置されたが、それは被曝のリスクを少しでも回避することを目的にして過疎地の沿岸部に立地するためであった。しかし、逆に、茨城県や東海村は、この立地により、人口増を含む地域開発を望んでいた。」(80ページ)

だが、実際は、原発立地地域は、できるだけ人口が少なくあることが望まれたのである。

「これは、原子炉立地審査指針など、国家の意思である。しかし、大規模原子力施設建設によるリスクを回避しようとして運動を展開していた、大都市住民の声にも基づいていたのである。」(82ページ)

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第2章 地域開発としての福島第一原発の建設(1960-196)

こういう言い方をすると、抵抗感のある人もいるかもしれないが、「自治体」単位でとらえたとき、「福島県が主体的な受け皿となって地域開発を名目に福島県浜通りに建設されるに至った」(87ページ)というとらえかたができる。

よく言われているように、福島は戦前から首都圏への電力を供給していた。

それは、1911年にまで、さかのぼる。猪苗代に水力発電の会社が設立されるが、これは東京に送電することを目的としていた。

ただし、この頃は、福島県においては「発電」も一つの産業として成立しており、県内にも安価な電力を供給することができ、工業の振興に一役買っていた。

だが、無数にあった電力会社も次第に淘汰され、この会社も、東京電灯という会社と合併した。

決定的だったのは、1938年の国家総動員法制定時の電力管理法、日本発送電会社法などの制定である。

1941年には配電統制令が出され、現在の9電力会社体制がつくられる。

「電 力の国家統制によって、安価で豊富な電力供給により地域工業化を進めてきた電力生産県としての福島県のメリットが失われた。それぞれのブロックごとで統一 された電力料金となり、さらに全国的にはりめぐらされた送電線網によって、福島で生産された電力は、今まで以上に首都圏などの域外で消費されるようになっ たのである。」(89-90ページ)

「電力生産県としての福島県」は、その生産した電力をもとに、工場を誘致し、雇用の機会を生み、地域開発を進めようとしていた。

原発の誘致もまた、そうした流れに沿ったものだった。

にもかかわらず、電力だけを生産し、その電力を首都圏へと送りだす役割を担うことになる。

言ってみれば福島県は、首都圏によって、さらには、国家によって、電力を収奪されたのである。

そしてまた、当初の福島県における「計画」にあっては、原発の誘致というのは、あくまでも工場や企業を誘致する「手段」であり、目指されたのは、工業化による地域の自立化だったということを忘れてはならない。

決して電力会社、原発だけに全面的に依存する自治体を生みだすことが目的だったのではないのである。

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第3章 福島県における原発建設反対運動の展開

福島で、原発の建設反対運動が起こったのは、福島第二の建設にあたってである。

富岡町毛萱は福島第二の建造に反対していた。また、浪江、小高でも反対運動が起こった。さらに、楢葉でも起こった。

このなかで、次第に、原発そのものに対する不安だけでなく、「原発建設が、真に地域社会のために役だっているのか、いいかえれば、リターンたりえているのか」(166ページ)が問われた。

ただし、これらの反対運動は、それぞれが横のつながりをもたず、それぞれ個別のものだったがために、大きな広がりをもつことはなかった。しかも、ここに、共産党支持系の人と、社会党支持系の人とで対立が起こってしまう。

まことに不毛なことになってしまうのだった。

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第4章 電源交付金制度と原発建設システムの確立(1974~)

1970年代中盤以降は、もう、泥沼のような話である。

一度「原発」にかかわったところは、その数をとにかく増やすことになり、福島第一で6基にまで増えた。

反対運動のリーダーだった岩本忠夫が双葉町の町長になり、以降、原発推進にまわる。

佐藤栄佐久(元福島県知事)からみた、原発誘致の泥沼。

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中嶋は、本書の最後のほうで、次のように指摘している。

「福島県の場合は、自立的な生存に寄与するとみなされたリターンを目当てにして原発建設のリスクを引き受けるという地域社会側の主体的な営為も介在して、現在のような中央への従属的関係が形成された」(213ページ)

「しかし、福島第一原発事故は、そのようなリスクとリターンの交換は著しく不平等なものであったことを明示した。」(214ページ)

さらに中嶋は、もう一歩踏み込んで、次のようにも述べている。

「近 代社会は、人間の作為によって自然の拘束から解放されていくものとして認識されており、原子力はその象徴であった。そして、歴史学も、このような近代の世 界観のもとにあった。しかし、福島第一原発事故は、人間の作為による自然の拘束からの解放という世界観そのものへの懐疑をつきつけた。」(215ページ)

この「懐疑」はとても重要なのだが、つきつけられても、なぜか、ともかく「再稼働ありき」であったり、原発前面否定で現場の葛藤をあまりみなかったり、いずれにおいても、今ひとつ納得のゆかないレスポンスしか見えてこないのが、とても残念である。

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