読んだ本
東日本大震災からの真の農業復興への挑戦 東京農業大学と相馬市との連携
東京農業大学、相馬市編
ぎょうせい
2014年3月
ひとこと感想
農大と相馬市の連携のさまが具体的に描かれていた。塩害のあった田畑の復旧に対して、マニュアル通りではなく、現状に即した対応を行い「農大方式」を新たに編み出す。こういう形での協力の仕方はとてもすばらしい。
***
3.11当時の東京農業大学(以下、農大、と記す)における被災地域出身の学生は、約1,500名、そのうち、実家が全壊や半壊に遭ったのが訳250名に及んだ。
彼らへの支援のみならず、農大は、大学を挙げて、相馬市への「支援プロジェクト」を開始した。
本書は、その経過報告ということになる。
農大理事長、大澤貫寿によるまえがき「東京農業大学の震災復興の理念とプロジェクトの組織化」には、以下のように、課題(と一部対策)がまとめられている。
・小規模農家は営農への意欲をかなり落としている
・大きな被害を受けた大農家の意欲も減退している
・海からの塩と砂、瓦礫に覆われた農地の再生は、難題である
・水田には「転炉スラグ」が有効である
・放射性セシウムが森林に長く残留している
・農業生産物や食品の風評被害が起こっている
・モニタリングシステムの適正運用
・農地の除染と復元、森林の効果的除染方法
***
冒頭には立谷秀清(相馬市長)の文章がある。
避難に関する指示が国から出ていなくとも、恐怖や不安は次第に高まる。
その第一は、物流で、ガソリンも食料も医薬品も、市内にトラックが入らなくなり、あっという間に底をつく。
そして次に、南相馬からの避難者が相馬市に向かってくることによって、相馬市民もより不安が掻き立てられる。
廃校となっていた相馬女子高校、約1,000人の容量を提供するが、受け入れつつも、自分たちも逃げるべきではないかという不安が高まる。
こうしたなか、相馬市は、「避難」ではなく「籠城」を選択する。
関東圏からみれば、原発30キロ圏内にかかわる相馬市と、南相馬市の違いは、はっきりつかめるわけではない。
「3.11」は、主に、東北から関東沿岸部の津波被害と原発事故の両方を含む区域を意味した一方、「フクシマ」は、主に、原発事故にかかわる区域を意味した。
しかし、肝心の原発事故にかかわる区域がどこであるのか、関東圏にいる私たちは無頓着である。
***
相馬市は、人口約38,000人いる。災害によって亡くなった人たちは約500人弱、住宅被害(全壊と半壊)が約1,800 戸。
***
短期的な災害対策については、救命と衣食住を重点的に行った。
中期的な段階に入ると、課題は「医職育備」となっている。
***
相馬市が農大に依頼した課題は、以下のものだった。
1)流水とヘドロを被った農地の復旧
2)除染(玉野地区)と農業の復活
3)半数が被災したいちご組合(和田)の復活
4)田圃の整備による大規模水田の創出
5)復旧困難な農地の新たな活用法
2011年6月には農大が全面的支援に入る。
1)については、「鉄鋼スラグ」というPHの調整とミネラル補給に鉄の副産物を「肥料」としたことで米の収穫が可能となった。
3)については農業法人をつくり水耕栽培の大型いちごハウスをつくり市から法人に貸し出すというやり方をとった。
***
農大の門間教授の文章によれば、実際の連携体制は、以下のようなプロジェクトチームに分けられた。
・農業経営
・風評被害対策
・農業復元
・土壌肥料
・作物・栽培法
・森林復元
・栄養改善・セラピー
・コミュニティ再建
また、学生ボランティアの派遣については、通常よりも長い、1週間前後行うことにより、現地での農大への信頼性が高まった。
2011年11月には第一回の公開報告会が行われている。地元の人たちへの信頼関係を結ぶうえでも必要なことだとしている。
続いて、2012年の活動成果がまとめられている。
・津波被害のあった水田から米を収穫(そうま復興米)
・農業法人「飯豊ファーム)の営農支援
・実用的なモニタリングシステムの開発(玉野地区)
・風評被害の実態調査と対策
・放射性物質の吸収抑制方法の解明
・森林再生への取り組み
・現地報告会(2013年2月)
・相馬市内に活動拠点を形成(宅地と車)
そして、2013年の活動について概要が掲載されている。
・水田の拡大、大豆の作付、「そうま復興米」のマーケティング活動
・復旧困難な水田の活用可能性の模索
・高濃度汚染水田における放射性物質の吸収抑制技術の開発
・森林における放射性物質の胴体メカニズムの解明(特に柿)
・放射性物質モニタリングしシステムの完成(玉野地区)
・農業法人の支援活動
・今後の地域農業の動向評価
***
本書のなかで「農大方式」という説明があるが、これは何か。
1)田畑に堆積した津波土砂を除去・処分せず混層する
文科省の除塩マニュアルでは土砂の鉄橋・処分が基本だが、そうしなかった。ただし、土砂中にガラスや瓦の破片などが大量に混ざっている場合は除去するほかない。
2)除塩に転炉スラグ(石灰資材として)を施用
製鉄所の製鋼工程で副生される転炉スラグ(鉄鉱石、石炭、石灰岩を含む)を使うことで、塩分を雨で流して除去しやすくさせることができる。
なお、ここでは「土耕イチゴの復興に拘っているが、それは、一語がもっとも塩類障害を受けやすいので、これが克服できれば、水稲や大豆の栽培も同じ手法が使えると考えてのことである。
***
実際に、現地(こおけは相馬市和田)では、すさまじいまでの土地の変化を体験した。
2011年3月には、「想像を絶する光景」で「何年後に元の水田に戻すことができる」か分からないほどの状態だった。
20011年9月には、瓦礫は撤去されたが、そのためにあらわになった水田が乾燥してひび割れており、やはり、まだ、先の見えない状態だった。
このあと、2012年4月まで、前述した、土砂を混ぜ、転炉スラグを入れるというやり方で、除塩を行う。
そして、2012年4月には、水稲作付を実施できるようになった。
半年後、2012年9月、ついに米の収穫を行う。
こうしたやり方は、まったくマニュアルに頼ったものではなく、まさしく「農大」の英知を結集して、全力を挙げて現地の復興にかかわった結果である。
本当に頭がさがる。
東日本大震災からの真の農業復興への挑戦 東京農業大学と相馬市との連携
東京農業大学、相馬市編
ぎょうせい
2014年3月
ひとこと感想
農大と相馬市の連携のさまが具体的に描かれていた。塩害のあった田畑の復旧に対して、マニュアル通りではなく、現状に即した対応を行い「農大方式」を新たに編み出す。こういう形での協力の仕方はとてもすばらしい。
***
3.11当時の東京農業大学(以下、農大、と記す)における被災地域出身の学生は、約1,500名、そのうち、実家が全壊や半壊に遭ったのが訳250名に及んだ。
彼らへの支援のみならず、農大は、大学を挙げて、相馬市への「支援プロジェクト」を開始した。
本書は、その経過報告ということになる。
農大理事長、大澤貫寿によるまえがき「東京農業大学の震災復興の理念とプロジェクトの組織化」には、以下のように、課題(と一部対策)がまとめられている。
・小規模農家は営農への意欲をかなり落としている
・大きな被害を受けた大農家の意欲も減退している
・海からの塩と砂、瓦礫に覆われた農地の再生は、難題である
・水田には「転炉スラグ」が有効である
・放射性セシウムが森林に長く残留している
・農業生産物や食品の風評被害が起こっている
・モニタリングシステムの適正運用
・農地の除染と復元、森林の効果的除染方法
***
冒頭には立谷秀清(相馬市長)の文章がある。
避難に関する指示が国から出ていなくとも、恐怖や不安は次第に高まる。
その第一は、物流で、ガソリンも食料も医薬品も、市内にトラックが入らなくなり、あっという間に底をつく。
そして次に、南相馬からの避難者が相馬市に向かってくることによって、相馬市民もより不安が掻き立てられる。
廃校となっていた相馬女子高校、約1,000人の容量を提供するが、受け入れつつも、自分たちも逃げるべきではないかという不安が高まる。
こうしたなか、相馬市は、「避難」ではなく「籠城」を選択する。
関東圏からみれば、原発30キロ圏内にかかわる相馬市と、南相馬市の違いは、はっきりつかめるわけではない。
「3.11」は、主に、東北から関東沿岸部の津波被害と原発事故の両方を含む区域を意味した一方、「フクシマ」は、主に、原発事故にかかわる区域を意味した。
しかし、肝心の原発事故にかかわる区域がどこであるのか、関東圏にいる私たちは無頓着である。
***
相馬市は、人口約38,000人いる。災害によって亡くなった人たちは約500人弱、住宅被害(全壊と半壊)が約1,800 戸。
***
短期的な災害対策については、救命と衣食住を重点的に行った。
中期的な段階に入ると、課題は「医職育備」となっている。
***
相馬市が農大に依頼した課題は、以下のものだった。
1)流水とヘドロを被った農地の復旧
2)除染(玉野地区)と農業の復活
3)半数が被災したいちご組合(和田)の復活
4)田圃の整備による大規模水田の創出
5)復旧困難な農地の新たな活用法
2011年6月には農大が全面的支援に入る。
1)については、「鉄鋼スラグ」というPHの調整とミネラル補給に鉄の副産物を「肥料」としたことで米の収穫が可能となった。
3)については農業法人をつくり水耕栽培の大型いちごハウスをつくり市から法人に貸し出すというやり方をとった。
***
農大の門間教授の文章によれば、実際の連携体制は、以下のようなプロジェクトチームに分けられた。
・農業経営
・風評被害対策
・農業復元
・土壌肥料
・作物・栽培法
・森林復元
・栄養改善・セラピー
・コミュニティ再建
また、学生ボランティアの派遣については、通常よりも長い、1週間前後行うことにより、現地での農大への信頼性が高まった。
2011年11月には第一回の公開報告会が行われている。地元の人たちへの信頼関係を結ぶうえでも必要なことだとしている。
続いて、2012年の活動成果がまとめられている。
・津波被害のあった水田から米を収穫(そうま復興米)
・農業法人「飯豊ファーム)の営農支援
・実用的なモニタリングシステムの開発(玉野地区)
・風評被害の実態調査と対策
・放射性物質の吸収抑制方法の解明
・森林再生への取り組み
・現地報告会(2013年2月)
・相馬市内に活動拠点を形成(宅地と車)
そして、2013年の活動について概要が掲載されている。
・水田の拡大、大豆の作付、「そうま復興米」のマーケティング活動
・復旧困難な水田の活用可能性の模索
・高濃度汚染水田における放射性物質の吸収抑制技術の開発
・森林における放射性物質の胴体メカニズムの解明(特に柿)
・放射性物質モニタリングしシステムの完成(玉野地区)
・農業法人の支援活動
・今後の地域農業の動向評価
***
本書のなかで「農大方式」という説明があるが、これは何か。
1)田畑に堆積した津波土砂を除去・処分せず混層する
文科省の除塩マニュアルでは土砂の鉄橋・処分が基本だが、そうしなかった。ただし、土砂中にガラスや瓦の破片などが大量に混ざっている場合は除去するほかない。
2)除塩に転炉スラグ(石灰資材として)を施用
製鉄所の製鋼工程で副生される転炉スラグ(鉄鉱石、石炭、石灰岩を含む)を使うことで、塩分を雨で流して除去しやすくさせることができる。
なお、ここでは「土耕イチゴの復興に拘っているが、それは、一語がもっとも塩類障害を受けやすいので、これが克服できれば、水稲や大豆の栽培も同じ手法が使えると考えてのことである。
***
実際に、現地(こおけは相馬市和田)では、すさまじいまでの土地の変化を体験した。
2011年3月には、「想像を絶する光景」で「何年後に元の水田に戻すことができる」か分からないほどの状態だった。
20011年9月には、瓦礫は撤去されたが、そのためにあらわになった水田が乾燥してひび割れており、やはり、まだ、先の見えない状態だった。
このあと、2012年4月まで、前述した、土砂を混ぜ、転炉スラグを入れるというやり方で、除塩を行う。
そして、2012年4月には、水稲作付を実施できるようになった。
半年後、2012年9月、ついに米の収穫を行う。
こうしたやり方は、まったくマニュアルに頼ったものではなく、まさしく「農大」の英知を結集して、全力を挙げて現地の復興にかかわった結果である。
本当に頭がさがる。
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