読んだ本
藤田祐幸が検証する 原発と原爆の間
藤田祐幸
本の泉社
2011年10月

ひとこと感想
原子力をめぐって、祖父の信念を継承する孫である安倍晋三をはじめ保守派の政治家たちは、驚くほど一貫性をもって活動してきた、それはよく分かった。だが左翼系の学者たちは、自分たちが何を「革新」すべきだったのか、よく見えないままここまで流されてきてしまったのではないか。
戦後、この半世紀以上、私たちは何をしてきたのかと、暗澹たる気持ちになる。

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藤田祐幸(FUJITA Yuko, 1943-  )は、千葉生まれの物理学者(エントロピー論、科学哲学)。元慶応大助教授、現在、農業を営む。

広瀬隆との共著「原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識」がある(ブログ記事は、こちら)。

目次
1 電源としての原子力と軍事としての原子力 
 えんとろぴぃ 66号 2009年7月
2 黎明期の原子力 科学者たちの戦後 
 科学 社会 人間 3月15日号 2011年
3 日本の原子力政策の軍事的側面 
 日本物理学会第59回大会での講演 2004年3月
4 わが国の核政策史 軍事的側面から 
 科学 社会 人間 9月1日号 2002年

〈資料〉わが国の核兵器生産潜在能力
 日本の安全保障 1986年版 安全保障調査会:編

*本書は、過去に書かれた4つの論考をそのまま収録したものであり、上記は目次であると同時に初出一覧である。「資料」は藤田とは直接かかわりがないが、本書の内容とは深くかかわるものであり、防衛庁による調査結果としてまとめられたと推定されている。

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藤田の「原子力」に対する基本的な考えは、きわめてシンプルに、以下のように表明されている。

「私が、商業的であれ軍事的であれ、ウラニウムの核分裂反応を利用する全ての技術に反対するのは、そこから産み出される放射能がこの星に満ちあふれている生命の存在を、根底から脅かしているからである。」(9ページ)

特に、三点の大きな「問題」を指摘する。

1)原子炉の崩壊による大量の放射能放出の危険性
2)原子炉で作業をする労働者の被曝の危険性
3)放射性廃棄物の処理の困難さ

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気になるエピソードとしては、2003年4月15日より、5月8日まで、東電の原発がすべて停止した時期があるということだ。

これは2002年8月に発覚したシュラウドデータの改ざんがあったことで、すべて点検修理をすることとなり、順次停止し、わずか1カ月足らずとはいえ、当時の東電の17基の原発が止まったことがあったのである。

しかもこのとき、もっとも停止期間が長かったのが、福島第一の1号機であった。

33ヶ月、およそ3年近く停止を余儀なくされる。

また、4号機も18カ月止まっていた。

この、停止期間の長さは、要するに、それだけ点検修理に要する時間を必要としたということであるが、それは裏を返せば、その後廃炉予定の40年が近づいていてもそのまま稼働させようとしていた理由にもなっているようで、大変に悩ましい。

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次のエピソードも、興味深い。

藤田は、原子力に対して、火力、水力、それぞれの発電の置かれている位置を再確認する。

それは、稼働率だけでなく、設備容量をみる、というものである。

2007年のデータが掲載されているが、水力は設備容量に対して稼働率は20パーセント程度であり、火力でも54パーセントと、ほぼ半分にすぎない。

これが何を意味しているかというと、原子力が止まったとしても、十分に火力と水力でやっていけるようにしている、ということである。

原発はよく、安定したエネルギーというが、それは少し言いすぎで、ウランの確保は石油と比べると政情的に安心できるが、実際に稼働させていても、さまざまな原因で不安定だ、というのが藤田の主張である。

「原子力を電源として導入することを決意したときから、その全てが全面的に停止しても電力の安定供給を保障するための策を講じておく必要が発生した。そのために原発のバックアップシステムとして原発の設備容量を上回る規模の火力発電設備の建設が不可欠となった。」(17ページ)

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よく原発は一定の出力を保ち続けねばならないという宿命をもち、深夜でも、必要がなくても一定の電力をつくり続けている。

しかし、ここに藤田は二つの疑問をさしはさむ。

最少電力を目安に、原発がペースロード分を担当し、変動分を火力と水力でまかなうというのであれば、最小電力が上がれば、原発の必要性はより増してくる。

そのために電力会社は深夜の電気量を値下げして、多く使うように勧めてきた。

さらには、揚水発電によって「余った電力」で水をくみ上げる。

「原発がある海辺からは見えないが、その設備容量は2000万キロワットを超えており、原発20基分以上の電力を消費することが出来るようになっている。電力の捨て場である。この巨大な施設の建設費も原発のコストに反映されなければならない。」(19ページ)

また、ペースロード分を越えて、原発が増えるはずがないのに、無関係に増設されてきたとも指摘される。

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そう考えると、どうみても合理的ではない原発であるが、それでもなぜこれほどまでに執念深く、推進がなされるのだろうか。

藤田はこれを、原発が、民間のビジネスではなく、国策だから、ととらえる。

ここでようやく、藤田の記述の中心にやってきたことになる。

藤田は、なぜ原子力が半世紀ものあいだ国策として推進されてきたのか、その理由を探る。

サンフランシスコ講和条約が発効する少し前から、政府では、科学技術庁の新設の進めていたという。

この科学技術庁は、表向きはその名のとおりではあるが、主意は異なる。

「再軍備兵機器生産に備えて」(22ページ)新設された、と1952年4月20日の読売新聞が報じている。

そしてその付属機関である「中央科学技術特別研究所」もまた、「原子力兵器」「原子動力」「航空機」の研究を行う場所であったと言われている(23ページ)。

表向きは「平和のための原子力」であったが、同時に兵器開発も想定する――こうした意図は決してとだえることなく現在に至っている。

言うなれば、これが、藤田の言う「国策」の中身である。

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その後、実際に原子力関する予算が国会で通ったことはよく知られているが、そのさいの中曽根の提案趣旨説明のなかに、「原子兵器」を想定しつつ原子力の研究開発を行うべきだという旨が語られたことは、あまり知られていない。

おそらく、日本は二枚舌でこれまで生きてきたのである。

米国や各国に対しては、核兵器をもたず、あくまでも平和利用として原子力の研究開発に取り組んでいると言い続けてきたが、やはり、出発点から再軍備や兵器開発の可能性を「オプション」として持ち続けてきたのだ。

もちろんこの「軍備」というのは、あくまでも「自衛」の範囲でとらえられている。

その後、原発は、単に電力を供給するだけでなく、
まるでプルトニウムを生産するために増え続けたのかもしれない。

これを「賢い」と解釈するかそれとも「狡い」と解釈するかは、人それぞれかもしれないが、いずれにせよ、原発は、核武装を合憲と考える人たちにとって、必需品であったのだ。

そして、こうした流れで、サンケイ系の書き手や専門家が言う「核セキュリティ」という考えが、少しずつ語られてきたのである。

しかし興味深いのは、その後、1965年頃に当時の首相、佐藤栄作が調査させた結果、プルトニウムを使った原爆の製造については、おそらくいつでも可能であるという分析が出されると同時に、そうであっても外交上、核兵器をもつべきでない、という結論に至ったと藤田はとらえている。

・当面、核兵器は持たない
・核兵器製造の可能性は、常に保持する
・上記のことを悟られないようにする


これが、私たちの国の、原子力に対する現実なのである。

その後、学術会議が組織され、科学者は、政治に対してある程度のことを主張できる立場を形成する。

ところが、当時の科学者、特に物理学者たちは、こうした二面性をもつ「原子力」どういった意識や認識をもっていたのかというと、はなはだ心もとない。

仁科芳雄にはじまり、菊池正士、伏見康治、藤岡由夫、嵯峨根遼吉、茅誠司らは、いずれもこの事態を楽観視していたように思われて仕方がない。

いや、武谷三男でさえ、こうした隠された「コード」には深入りせずに、核兵器開発には反対し、原発に対してはその安全性を高めることに、また、民主的に運用されることに焦点をあてていた。

さらに言えば、哲学者や技術論者、社会科学研究者たちも、この、もっとも重大な主題の一つとなるべきであった「原子力」というものに立ち向かうことなく、ただ「平和」への希求という「神話」の形成に勤しんだ。

一度紛糾した学術会議での原子力の扱いについては、哲学者の務台理作が委員長を務める委員会に委ねられるが、この哲学者は、残念ながらこの問題をまったくと言ってよいほど理解していなかった。

しかもこのとき、一方ではビキニ沖での第五福竜丸被曝事故が起こっていたことを考えると、いかに多くの学者が「原子力」に関心を抱かなかったかが、よくわかる。

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なお、現在首相である安倍晋三は、内閣官房副長官であった2002年にとある講演で次のように語ったという(サンデー毎日、1960年6月9日号)。

「日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは1960年の岸総理答弁で、違憲ではない、と言う答弁がされています」(77ページ)

孫が祖父の発言を引く――これが私たちの国の「戦後」であり、その「戦後」はまだ続いているのである。


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