観たDVD 
見えない雲 DIE WOLKE
グレゴール・シュニッツラー:監督
グードルン・
パウゼヴァング:原作
2006年

ひとこと感想
シンプルに悲劇を描いている。パニックになってしまうと、それだけで被害者が増える。詳しい数字などが出てこないで慌てふためいているところがドイツらしくないとも言えるが、そうさせてしまうのが原発事故であるという見方もできる。「問いかけ」としての
「映画作品」として佳作である。

*****

主要人物は高校生の男女。後半で「きみは大人かね?」と聞かれて少年は「はい、18歳です」と、答えていたのを聞いて、少し動揺する。

被曝した彼女の病棟に入る際に、医者が彼女の恋人に尋ねるシーンである。

自分が18歳のときに、そうやって「断言」できたかどうか、心もとない。

それは、20歳、であっても、同じかもしれない。

お恥ずかしながら。

しかし、映画のなかの彼は、「はい」とまっすぐに答えていた。

ひたむきである。

そんなところに心が揺さぶられつつ、本作品を味わった。

正直言って、それほど「深み」のある作品ではない。

むしろ、単純に、原発事故が突然起こったときに、私たちの身の回りで何が起こるのか、それまでの「日常」がどのように崩れてゆくのか、それだけをつぶさに描いている、と言えるだろう。

しかし、「問いかけ」としては、立場やイデオロギーに関係なく、誰もが「問われざるをえない」という意味で、佳作といえるだろう。

原作の小説自体はチェルノブイリ事故の翌年、1987年に発表されている。

チェルノブイリから「20年」という意味をこめて、どうやら映画化されたようだ。

それにしても、町中がパニックになると、自分だけのことしか考えない人間が増える。

というよりも、自分(と家族)が避難することで精一杯になる。

人のことまで気にする余裕がなくなる。

しかし、そんな人たちが一気に増え、幹線道路や駅、電車などに群がるために、そこには救いようのない事態も生じてしまう。

また、他方では、まったく赤の他人が手を差し伸べてくれることもある。

人間のもついやらしさと美しさの両方をみてしまう。

しかし、それでも、結局は、人間はまだ、自ら起こした事故に対して、自らの力で逃げようとすることができる。

しかし、他の動物たちは、事態も把握できないし、人間たちは、彼らを置き去りにしてしまう。

この映画のなかでも、牛たちが、広場に所在なくうろうろするシーンがある。

私たちはそうした光景を、すでに他人事ではない距離において経験している。

フクシマは、確かに顕著なパニックによる悲劇はほとんど見られなかったものの、思っていた以上に(こんなこと起こってよいはずがない)、取り返しのつかない事態を招いた。

にもかかわらず、今、なし崩し的に、いくつかの原発が再稼動しはじめようとしている。

さすがに忘れやすい民族といっても、それはないだろう、ということが、平然と起こる。

ためいきが出る。

しかし、しかしである。

本当に必要だと思っている人が実際にいる以上、私はそれを無下に否定はできない。

私たちは、いつでもさまざまな価値観、世界観、人生観をもった他者と、「ともに」生きることにおいてのみ、価値があるのだから。

だが、知りたいのは、この選択には、それ相応の「決意」や「覚悟」さらには「責任」が必要であると思われるのだが、そうした「意志」をはっきりと持っているのかどうか、である。

苦渋の選択として、「~せざるをえない」ものとしてしか、原発は、今、ここに、存在できないように私には思われる。

未来への可能性としてではなく、未来を制限するものとして、つまり、未来と希望というものを失わせる「意志」として、それは、選択すると思うべきではないのか。

それでもなお、
「~せざるをえない」というのであれば、それも仕方あるまい。

よいだろう。

だが、せめて、その選択について、「みんなのため」という言い方で責任逃れをせずに、「自らの意志と責任のもとに」と明言したうえで、選んだ道を進んでほしい。

本作の女性主人公の、抜けてゆく髪とともに、はらはらと、泪もまた、散りにけり。

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