読んだ作品
半人間
大田洋子

所収
死の街・半人間
大田洋子
講談社文芸文庫
1995

一言コメント
原発事故を経た今、広島で被爆体験をした作家である大田洋子の苛立ちや怒り、不信といった感情は、私たちにとっても他人事ではなく、我が身の思いとして感じることができるように思う。「半人間」という題名も、これまでの日常に戻れない苦しみを言い表しており、かなり納得のゆくものである。しかし大きな違いは、彼女が自分をそのようにしたすべてと敵対し憎んだのに対して、私たちは、自らが加害者でもあるという「悲しみ」の感情をも抱いていることではないだろうか。



「半人間」は、「世界」1954年3月号において発表された。作品中に、やや冒頭には「1952年の現在」、末尾には「1952年9月中旬」と書かれているので、大田がその頃のことを思い、書いたということになる。

「1952年の現在、なににあざむかれているのかわからないが、あざむかれているという意識には、確かな手応えがあった。考えてゆく階段の幾つ目かで、自殺する手がかりをつかむとか、ひと思いに気を狂わせてしまうとか、そういうことがないとは限らないと、篤子は思い込んでいるのだ。篤子は死や発狂の思いを極力警戒していなければならなかった。」(189ページ)

屍の街、もすごかったが、半人間は、その屍の街から生きながられてきた人間が、生きているといっても、すでに人間ではなく、半人間となってしまったことを表している。

主人公の篤子は、精神病院に不安神経症で入院する。

「病状の苦しみの原因がいったいどこにあるのか、篤子にもつかみがたい」(193ページ)というが、本人は、広島での被爆体験が根にあることはうすうす理解している。いや、今ならばそれ以外の連関を考えないだろう。心の問題であるから、当然、本人が「理解」していれば(つまり、その現実を受け入れていれば)、病になることはない。要するに数年を経たうえでも、被爆の体験を受け入れることができないということであろう。

・不眠症
・蕁麻疹
・人と口をきくのがいやになる
・顔を見られることが煩わしい

どうやら、不眠症や蕁麻疹のために、睡眠剤や抗ヒスタミン剤の注射を常用したようである。

・心悸昂進
・胸の圧搾
・食欲不振
・胸騒ぎ
・苛立ち
・恐怖
・心臓や胸の重苦しさ

どうやらこの睡眠剤や抗ヒスタミン剤の注射をやめるために、1週間、入院をするということのようである。


さて、作者としての顔がのぞくところもある。まず、「原爆作家」というのが「誠意に欠けけたレッテル」とみなしている。そして、自分が本当に話したいことについて、次のように述べる。

「面倒な障害、当日、一都市がどんな光景を呈したかということ、当日ばかりでなく、その後の人間の肉体上にどんな変化が起こったということを、現象的にのべるだけではなく、それを落とした相手へむかって、非難と攻撃を浴びせなければならなかった」(205ページ)

1週間という話であったが、実際には16日間、眠り続けたようだ。目覚める瞬間の意識を次のように書いている。

「(生きている)と篤子は思った。同時に、(廃人)という言葉が、ひとつの文字の形で、頭の底をかすめた。しかしどのような半意識も、漠として流れてゆき、ながれて来、また、流れ去って、夢に似たただよいのなかに篤子はいた。」(223ページ)

こうした「持続睡眠」を経て、目覚め際に医者の質問に答える。

「「・・・原子爆弾におあいになったんですね。その記憶にくるしめられていらっしゃいますか」
「戦後七年間、拷問されている思いです。自殺か逃避か、いい作品を書いて生きるか、三つのなかの一つだと、戦後はずっとそう思っていました」(227ページ)

会話ではこのように語りながら、続けて地の文では、以下の順序に選択肢が並ぶ。

1、いい作品を書く
1、自殺
1、逃避

これらの選択肢は、いずれにせよ、生き方をつきつめるということになる。言いかえれば、それまでの生き方とは同じではいられない、という強迫観念を原爆によって植え付けられた格好になっている。

しかも順番が、「いい作品を書く」が先頭に移動しているということは、彼女としては、自身が納得できる作品が書けるのなら、自分が生きる意味があるが、そうでないのであれば、自分は何のために生かされているのか、と自問しているということになる。

そしてそれは、戦後七年たっても、書ききれていないというジレンマが、不安神経症を引き起こしたということであろう。

原爆体験の囚われの身となった大田洋子。

彼女の言う「作家として」という自意識は、単純に、鼻持ちならないプライド、などと思ってはならないだろう。

むしろ自分が「作家である」ということを、呪ったのではあるまいか。

自他ともに「作家である」とい承認がなければ、彼女はきっともっと楽にできたのであろう。それが、第二、第三の選択肢である。

彼女は最初から分かっていた。

怠惰に生きることも、勝手に自らの命を絶つことも、原爆を体験した「作家」の「精神」に反するということを。

そして生きようとしたのである。

おそらくこの作品を黒澤明の「生きものの記録」と対比させることは可能である。

しかし、大きく異なる点は、大田は、戦争を続けていた米軍もしくは日本軍に対する憎悪が、生きる力であり作品を書こうとする原動力であったと思われるが、黒澤が描いた中島老人は、結局、どこにも逃げることもできずに精神を崩壊させることで自らの精神を落ち着かせたのである。

「いい作品を書く」ということは大田にとって、世界への闘いなのであって、それは生きる意欲でもあったが、中島老人にはそういった「意欲」は何もなかった。

なお、もう一度、自らの生き方に対する「選択肢」が語られるシーンがある。自分の作品を読んだことのある見知った「看護婦」との対話である。

「「逃避するか突き抜けてゆくか、どっちかだわ」
 「つきぬけていらっしゃるほかはないでしょうね。世界観の裏づけをちゃんとおもちになれば、病気はずっとよくおなりになると思います」」(249ページ)

そしてその後、さらに「現実」を悟る。

「(酩酊では救われない。私一人がどれだけながく睡魔のなかに逃げていても、そのことでなにもよくなってはいない)」(258ページ)

つまり、「入院」もしくは「神経症」は、「逃避」の選択であったことを、大田はここで自覚したのだ。

しかし、謎なのは、その後である。医者に「いまあなたのいちばん気になっていることはなんです?」という質問に、こう答える。

「「社会不安なんだろうと存じます」
 あいまいに、力なく答えた。彼女はとっさに心理的な多少の芝居を、医師にたいしてしているのだった。社会不安が全部ではなかった。そこからのがれる道のない、おのれの所属する国家への不信、世界への不信、人間への不信、社会への不信。自分の肉体と精神のぶつかる接触体への不信が、あたまのなかを暗くしている。」(263ページ)




なお彼女が入院した「大学付属病院」は、文中に整形外科の分院がある、という記載があるので、東大付属病院のことであろう。閉鎖される少し前にこの分院には行ったことがある。坂口安吾(本文中では酒屋安吉)も神経科にかかっていた、というくだりもあった。


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