観た映画(DVD)
生きものの記録
黒澤明:監督
三船敏郎、志村喬、千秋實、清水将夫、三好榮子、上田吉二郎ほか:出演
東宝
1955年11月
映倫番号:1836

ひとくちコメント
原水爆と放射能への恐怖をかかえた人間が狂気に陥るという話。全面的に暗い映画で、かつ、工場が燃える以外、ほとんど人間同士の台詞が中心のため、視覚芸術としては、物足りない。が、前年の「ゴジラ」と並び、この問題を映像化しようとした意気込みは、高く買いたい。


1954年11月に公開された映画「ゴジラ」からちょうど1年後に「生きものの記録」は公開された。なかでも注目すべきなのは、この二つの映画両方に出ている役者、志村喬である。

志村喬は「ゴジラ」では、山根博士役であった。ゴジラが東京に上陸しまちを破壊しているなか、誰もがゴジラの存在を抹殺することを主張するが、唯一、ゴジラを殺してはならないと主張していた人物である。

この「生きものの記録」でも、志村喬は、実はほぼ同じような役割を演じている。

志村は、歯科医の花田さんとして、最初のシーンから登場する。歯科医なのであるが、調停員として家庭裁判所にしばしば赴いている。その日も歯の治療をしている最中に電話がかかってきて、午後から仕事を休んで家庭裁判所に行くことになる。

行ってみると、何やら騒動の模様である。どうやら家長が理不尽に財産を使い始めたために家族がそれを食い止めようと準禁治産者の申し立てのために集まっていたのだった。

まずこの家長というのは、(当時35歳の)三船敏郎演ずる中島老人。彼は一代で工場を経営するまでになった男。それに対して家族は、登場人物が多くて一人ひとりを正確に把握することはできないが、中島老人の妻、そして息子や娘とその伴侶、さらには妾さんとその子どもが数人、といった構成である。

中島老人は、原水爆や放射能への恐怖から、急に秋田に移住しようと決意し、土地を購入し家屋を建築しようとする。しかしそこでも危険を避けられないと考え、さらに今度はブラジル(サンパウロ)に移住しようと計画した。

もちろん自分一人ではなく家族全員を連れてゆこうとする。妾さんとその子どもも含めてである。

しかし家族は誰もが反対であり、かつ、こんなことをしていては財産がなくなってしまうとおそれ、裁判所に助けを求めたのだった。

家庭裁判所では、志村演ずる花田以外に2人の調停員がいるようだ。彼らは家族の意見を支持し、中島老人を「変人」扱いする。

花田は、最初は少しにこやかに、「ゴジラ」の山根博士よりは明るいキャラクターとして登場する。

「お父さんの抱いている不安は、日本人誰もが持っている不安ですよ」 
「そう、そうですよ、ただお父さん少し、…」
「はっきり言え!わしはきちがいか」

やりとりを聞いたあと、原水爆や放射能に対する「極端なる被害妄想」による経済的損出という申し立ての文章を確認する。煙草を吸おうとする手が止まり、花田から、先ほどまでの笑顔が、消える。

花田は、帰宅後、晩酌をしていても完全に、考え込むモードに入ってしまう。

誰もが原水爆や放射能を「怖い」とは思っているが、同時に、「仕方がない」と考え「自分にはどうしようもないこと」と割り切っている。では「まともに思いつめる」と、どうなるのか、それがあの老人なのか、と花田は悩みはじめる。

あれは単なる「神経衰弱」ではない。

しかし、一体、どう考えればよいのか――花田はここから先に行けない。

それもそのはずである。まだ誰にも答えがないのだから。

ゴジラは「怪獣」という形で可視化され、具体的に(=物理的に)町を破壊した。しかし原水爆と放射能は、本来、不可視で、無味無臭で、その存在が数値でしか測れないものである。それがはっきりと可視化されるのは、深刻な事態になっているときである。

「ゴジラ」の場合、山根博士は、ゴジラという存在を消さずに「残す」ことが最善ではないかと考えていたと思われる。しかし花田はこの「見えない存在」にどういった対応をすればよいのか分からない。中島老人の話を聞いているうちに、サンパウロ行きが決して妄想的なものではなく、それなりに合理的な選択肢ではないかと考えはじめ、家族にもう一度考えてみては、と勧めてみる。

しかしそれは「我々の生活事情を無視」しており、「生まれたのも工場のなか」で、工場で育ってきた人間にとって工場のない暮らしは想像ができない」と子どもたちは一歩も引かない。

おそらくこの映画のなかでもっともはっきりとした言葉が、ここで中島老人によって叫ばれる。

「死ぬのはやむをえん。だが殺されるのは嫌だ」

訴える中島老人、沈黙する子どもたち。

しかしそれであっても子どもたちは暮らしを変えるのも嫌なようである。

山根博士と同じように、花田もまた、葛藤する。

他の調停員は、中島老人よりも家族の気持ちに賛同するが、花田一人、まだ異議を唱える。

このままでは家族が路頭に迷うおそれもあるので、そのことを考えれば、家族の訴えをそのまま受け入れてもよいのだが、中島老人の「原水爆の不安から来ている実感」について、もう少しきちんと掘り下げるべきだと主張する。

しかし実際に中島老人に問いかけると、口べたのせいか、うまく語ることができず、「奴らは臆病者」としか言わない。

調停員の最終的な話し合いでは、「一個人じゃあどうにもならない大きな問題に取り組んでいる」のだから、「このままいけば結局にっちもさっちもいかなくなることは目に見えています。だから今のうちにあの老人を法律の手で束縛してやることが、あの老人にも一番親切」という結論に至る。

中島老人はまだあきらめていないが、かなり気落ちしはじめている。

・・・ところで、途中、妾さんの父(上田吉二郎)が酒を飲みながら、中島老人に話しかけるシーンがある。

「心配もほどほどにしないといけませんな」
「一文無しにゃ、どうしようもありませんよ」
「旦那はいい身分ですよ」

ここで見事に嫌味たっぷりの表情で江戸っ子口調で語る上田という役者の力量に注目したい・・・。

話は戻すが、放射能を「怪獣」に見立てた「ゴジラ」という映画は、いうなれば放射能に対する恐怖は外在化されていたと言える。しかし「生きものの記録」は、この「恐怖」がひたすら内面的に展開されるため、映像としては、なかなか評価が難しい。中島老人の恐怖感も、目の前に存在する「ゴジラ」のような対象がないので、身体や表情、特に目つきなどでなんとか伝えようと努力しており名演であると思うが(どうみても老人のたたずまいである)、いかんせん、こうした不可視の恐怖は、擬人化するか、置き換える化、何らかの表現手法を用いざるを得ない。

黒澤明の力をもってしても、十分な作品にはなりきれなかった、と私は思う。

なお、最終的に中島老人は、狂気の淵に落ち込み、精神病院患者となる。



さて、今回の原発事故のあと、今に至るなかで、この映画はどのような位置にあるだろうか。

私もそうだったが、この中島老人のような感情と行動は、むしろ「自然」であると思う。

当時においてはこうした言動は奇矯の類に組み入れられる可能性があったということなのだろうか。それとも今でも冷たく、過剰反応、行きすぎ、神経過敏、といったような扱いを受けるのだろうか。

映画が上映された年から、半世紀以上、月日を経てきたが、私たちは多少でも賢くなれたのであろうか。

まず、少なくともこの1年間で原水爆や原発、放射能に関する知識は圧倒的に増えたはずである。シーベルトもベクレルも、ウランもプルトニウムも、以前よりはより多く知っていると言えるかもしれない。

「正しく怖がる」といった言い方もあるが、科学的な文脈においても「正しさ」がはっきりしていないことがあることが、よく分かった。

要するに知識としてだけではなく、もう一歩、実際的な生活の知恵としても、わずかであっても前に進んでいるのかもしれない。

しかし、それでもまだ、足りない。

やはり私たちには「放射能」に対する実践知も科学知も不足しているように思える。

これから代替エネルギーが増えてゆくとしても、むしろこれから長きにわたって漏出した放射性物質に対する除染や廃炉など、かかわりは続くのだ。

やはりゴジラの山根博士のように、放射能との「共生」を前提とした研究や対策が必要であって、恐怖におびえる人が狂気に陥るがままにすることは、何ら解決になっていないことは確かである。


生きものの記録<普及版> [DVD]/三船敏郎,三好栄子,清水将夫
¥3,990
Amazon.co.jp