1965年、雑誌「新潮」に1月より連載された井伏鱒二の「小説」は、「姪の結婚」という題名だった。

8月、つまり原爆投下からちょうど20年たったその月の号より、その題名は。「黒い雨」にとってかわった。

1966年9月号まで連載が続き、翌月に単行本として刊行された。

それが、「黒い雨」である。

作品は、いくつかの「記録された文章」を挿むかたちで構成されている。
(実際に書かれた「手記」に基づいている)

主な登場人物は、石炭工場で働く重松と、その妻シゲ子、そして一緒に暮らしている姪の矢須子、である。

今は広島から100キロ以上離れたところに三人で暮らしているが、あの原爆投下の日は、広島にいた。

にもかかわらず、噂で矢須子が被爆者であると言いたてられ、なかなか嫁入りができない、という設定である。

そしてこの矢須子の縁談に関連して、当時の模様を誤解されないよう、相手に伝えようと、まず、矢須子の当時の日記を書きうつそうとする。つまり、作品としては、そこから日記の文章を挿入するという体裁になる。

続いて、重松が図書館に寄贈するという自身の「被爆日記」の清書にとりかかるという展開で、この日記の記述が続く。

その清書を続けている最中に、当時の食生活について、重松は、シゲ子に書き記すよう依頼をする。

そしてこの後は、しばらく重松の「被爆日記」の清書が続く。

その途中で、矢須子の容態が変化する。途中に、矢須子の病状をシゲ子が殴り書きをし重松が清書した日記が挿まれる。

また、知人の医者が桃を食べ続けて重病から生還したという手記が読まれる。

ふたたび「被爆日記」に戻り、8月15日まで清書し終えたところで、作品は終わる。

このように、この作品には、以下の引用が含まれている。

・当用日記 昭和20年度 (矢須子)
・被爆日記 (重松)
・広島にて戦時下に於ける食生活 (シゲ子)
・矢須子病状日記 (シゲ子、重松)
・広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記 (岩竹博)

書かれた時期が、20年後であったこともあるのだろうか、それとの作家の力量なのか。1950年代に発表された「小説」や「詩」と比べると、構成力が大きく変化し、ひとえに、「読ませる」作品、「読み応えのある」作品になっている。

また、作者自身の趣味なのか、「さかな」が随所に登場する。少しでも養生のつもりで行っている釣り堀、原爆でやられた川魚、鰻の幼魚。犬や猫を通じた描写は、作家の手法としてはなじみがあるが、さかなを眺める主人公というのは、珍しい。

いずれも、井伏鱒二の作家としての力量を感じさせる。

一般的に言われる「原爆文学」と、一緒にはならない、確たる「作品」の力があることは、確かだろう。

だが、ここで、考える。

一方では、私たちが、この未曾有の出来事、「被爆」という体験に対して、「小説」や「文学」を読む、ということが、そもそも、どういう意味をもつのだろうか。

悩むところでもある。

率直に言ってしまうと、こういうことだ。

原爆文学には、言い知れぬリアリティを感じる。戦慄が走る。生々しい。しかし、作品として「おもしろい」わけではない。

井伏の作品は、リアリティはあるものの、視線がどこか客観的(記述的)であり、強く感情に響くわけではない。しかし、作品として「おもしろい」。

この両者を同じカテゴリーに収めようとすることが、間違いなのだろう。

もしくは「原爆文学」というカテゴリーが、奇妙なものなのかもしれない。

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追伸 小田実「HIROSHIMA」は、ちょっと私には読みにくい。少しだけ読んだが、先に進めない。またの機会に、ゆっくりと読もうと思う。