私たちが「エネルギー」に対してなすべきことは、「高エネルギーを消費する道」ではなく、「低エネルギー」であったとしても豊かに生きる道である、と述べたのは、イバン・イリイチであった。このことが明示されたのは、すでに35年以上前、「エネルギーと公正」(1974年)という100ページにも満たない小さな書物(というよりもむしろパンフレット)においてであった。

自分たちがどういったようにエネルギーを使ってゆくのか、その方向性を考えると、次の三つのいずれかになる、とイリイチは言う。

1 原子力など、厳しい管理のもとで、希少で、破壊性のある燃料を使う

2 原子力以外の代替エネルギーによって、今の暮らしを維持する

3 エネルギーの使用をできるだけ最小限にとどめる

1は一般的には「原発推進派」と呼ばれる。2は「脱原発派」である。実際の電力発電の選択肢としては、この両者は、対立するが、イリイチが指摘したいのは、この両者いずれかではない。2と3はやや似ているように見えるが、大きく異なる。

イリイチは、基本的に「持続ある発展」というものを信用していなかった。「持続ある発展」が保証されたのは、原発によってであったし、「無限成長」の神話を、「幻想」として、一度断ち切らねば、真の意味での「発展」はありえず、ただ、現状を維持してゆけばよい、というのではなかった。

たとえば、いま使用されている電力は、たとえば東京電力が提供しているグラフでみることができる。

東電のサービスエリアは、栃木、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨の各都道府県と静岡県の一部(富士川より東)である(しかし一部福島や他の地域にも電力供給をしている。このグラフが、厳密にどこまでの範囲なのかは調べても分からなかった)。

ここでは、1時間ごとの平均使用電力と供給力がグラフで示されている。単位は、万kwであり、4-5月においては、2000~4000のあいだを推移していた。

2010年は、記録的な猛暑だったので、最大6000程度の電力が1時間で使われた。

今年の気温状況を鑑みて、5500を最大値と、東京電力は考えている。すると、約850不足するという計算になり、この不足分を「節電」しましょう、と訴えている。

とある人は、「節電」ばかりしていると、消費が冷え込み、活気が失われ、自分たちの首をしめるだけだ、と主張する。

たしかに、何から何まで電力使用を抑える、という考え方は、間違っているだろう。

しかし、それを、前面に押し出した論調は、いただけない。

もっと単純に、思考と行動の転換、つまり「政治的転換」をすべきである。

朝、起きると電灯をつける。夜、帰宅するとテレビをつける。家電はいつでも使えるようにコンセントをさしたままにしておく。冷蔵庫には1週間分の食べ物を詰め込む。寒く感じると薄着のまま暖房をつける。言い出したらきりがないが、一日の自分の行動を見直すべきなのだ。

電気に依存しない生き方とは、まったく電気を使わない暮らし、でなくてもよい。

自分の人生が電力消費に翻弄されないように、自らが一度プラグを抜き、そして、自らが必要だと思うものに再度、プラグを差す、のである。

ただプラグを抜く、というのが、かつてのエコロジー運動であり、「自然に還れ」系の主張であったが、私が言いたいのは、そうではない。

プラグを抜け!、そして、もう一度、自らの手で、プラグを差せ!、ということである。

これが私の考える、第三の道、である。


エネルギーと公正/イヴァン・イリイチ
¥1,529
Amazon.co.jp
政治的転換 (アクト叢書)/イバン イリイチ
¥1,835
Amazon.co.jp
民衆による平和―平和的ジェノサイドとジェンダー (1984年) (シリーズプラグを抜く〈4〉)/フォーラム人類の希望
¥1,785
Amazon.co.jp