特A級の戦犯は米内光政(2) | 王道日本:佐野雄二

特A級の戦犯は米内光政(2)

引き続き、「特A級の戦犯は米内光政(2)」を書かせていただく。日中戦争の始まりとなった第2次上海事変の後、首都・南京の空爆を指示したのは米内光政海相であった。蒋介石との和解工作・トラウトマン工作をつぶしたのも米内であり、特高戦術を推進したのも米内である。さらに続けると、



◎敗戦濃厚となって、ソ連にアメリカとの仲介を依頼することを強く主張したのも米内光政・海相である。佐藤尚武・駐ソ大使は、「ソ連を味方にして有利な講和を図ろうとするのは幻想に過ぎない」と当初から報告していた。しかし、1945511日からの最高戦争会議、さらには622日の御前会議で米内の意見が通り、近衛元首相を特使としてソ連に派遣している。しかし、まったく相手にされなかった。常識的に見て、アメリカと共同してドイツと戦い、4月には日ソ不可侵条約の更新拒否を通告してきたソ連が、日本の側に立って仲介すると考える方がおかしいのである。


◎ソ連に仲介を依頼する前、米内は奇怪な行動に出ている。ソ連大使館に使者を送り、残存軍艦・長門、巡洋艦・利根、空母・鳳翔および駆逐艦5隻と引き換えに、ソ連の飛行機とガソリンが欲しいと申し込んでいた。鈴木首相にも東郷外相にも秘密にして行われたこの行為は、売国奴と言われても仕方のないものだった。こうした米内の一連の行動がソ連に弱みを見せ、ソ連の「日本叩き」精神に火をつけたことは容易に理解できるところである。

◎ソ連に和平交渉の仲介を頼んだ件については「他に方法がなかった」とする説があるが、まったくの誤りである。当時、日本共産党は「天皇制打倒」を主張していたが、その主張はソ連共産党・コミンテルンの指導にもとづくものである。つまり米内を筆頭とする当時の戦争指導層は、天皇制による国体護持を和平の至上命題としながら、その打倒を主張するソ連に仲介を頼むという間抜けぶりを示していたのである。

◎ちなみに日本を心底憎んでいたF.ルーズベルト大統領は1945420日に急死し、その後に日本にとって最大の和平のチャンスが訪れた。

─トルーマン副大統領が大統領になると、無条件降伏の方針に、早速変更が加えられた。ドイツが無条件降伏した翌日の58日に対日声明を出して、無条件降伏とは日本軍隊の無条件降伏をいうので、日本国民の滅亡や奴隷化を意味するものではないと明らかにした。しかし、日本の戦争指導層は、これを軍民離間の謀略として、無視してしまった。


大統領の放送に続いて、対日降伏勧告放送が短波放送で流れた。これは84日まで14回にわたって続けられ、具体的に和平条件を提示した。・・722日の放送では対日政策の根源は大西洋憲章とカイロ宣言であるが、前者は領土拡大を求めず、各国民をして政治形態を自ら選択することを許すものだと説いた。これはポツダム宣言より緩和な条件である。


・・トルーマン声明以前の4月から、スイスのベルンでは日本公使館付海軍武官・藤村義朗中佐が米戦略情報部の欧州部長アレン・ダレスのいわゆるダレス機関と接触していた。米国務省では「日米直接和平の交渉をダレスの線で始めて差し支えない」としていた(筆者:この時こそ和平の最大のチャンスであったろう!)。

藤村は笠信太郎らと協議し、暗号電報を作戦緊急電として海軍大臣(米内)と軍令部総長あてに送った。ところが東京から返事が来ない。520日までに7通送り、やっと来た返事は米内海相ではなく軍務局長の名で「陸海軍を離間しようとする敵側の謀略のように思える節があるから注意せられたい」という見当外れのものであった。

藤村は615日の第21電まで電報を送り続けた。公けに交渉する権限の授与を懇請するとともに、ヨーロッパの米ソ両軍が極東へ移動していることを伝えた。日本軍がいかに力んでも「絶対に見込がない」と強調した。

ダレスとは和平条件について話し合った。ダレスは、公式の返答はできぬが、私人の見解という条件付きで、天皇地位の保全は可能性があるが、朝鮮・台湾はダメだろうとの感触を与えた。

 

 621日にやっと米内の回答電報が到着した。「貴趣旨はよく分かった。一件書類は外務大臣の方へまわしたから、そちらと緊密に提携し、善処されたし」というもので、散々待たせたあげく、海軍は手を引き、外務省にたらい回しにしたのである。

さらに米内のひどいのは、米内の腹心だった高木惣吉少将が、自らスイスに行き、和平打診をしたいと申し出たが、却下している。要するに米内は和平交渉を進めたくなかったのである。

スイスでは海軍と別個に陸軍も動いていた。日本公使館付武官・岡本清豪中将、加瀬俊一公使らによるもので、参謀本部を通じて和平を図ろうとするものだった。スェーデン人ベル・ジャコブソンを介してダレスとその機関員に、日本の希望条件として天皇の安泰、憲法の不変、満州の国際管理、朝鮮・台湾の日本保持を伝えた。

ダレス側は天皇と帝国組織の維持について米国政府は反対ではないが、他国の反対もあるのでコミットできない。しかし日本が早期に降伏すれば、それを維持し得るだろうとの了解は述べ得るとした。憲法は改正されるべきだとされた。朝鮮・台湾については論評を加えないとした。その上でダレスはジャコブソンに対して、ありうべきソ連の参戦前に交渉に入らなければ失敗に帰することを、岡本らに伝達するよう特に依頼した。

これらの情報は参謀総長、外務大臣あて伝えられた。特に「ソ連の参戦前の交渉は重大なポイント」と意識して繰り返し伝えられたが、相当遅れて返ってきた返電の内容は「和平工作は本土も手を打っているからスイスでの工作は必要なし」というものであった。間抜けな東郷外相は、すでに動き出していた対ソ仲介の線を大切にするため、他の動きを抑制する方針をとっていたのである。何というノー天気ぶりか。

◎ポツダム宣言が出された時も米内は海相であったが、「声明は先に出した方に弱みがある。チャーチルは没落するし、米国は孤立に陥入りつつある。政府は黙殺で行く。あせる必要はない」と高木惣吉少将に語っている(以上、三村文男著『米内光政と山本五十六は愚将だった』より)。あきれた無神経ぶりである。

 その米内光政は何故か東京裁判で訴追を逃れている。米内にスパイ説がある所以であるが、スパイであろうとなかろうと、これだけ日本を戦争に引き込み、損害を大きくする行動が重なっているのに、誰一人、米内の不自然さ、判断ミス、洞察力の無さを指摘せず、排除をしようとしなかったことは、当時の戦争指導層全体の罪である。米内は特A級の戦犯であると同時に、他の戦争指導層も、あらためてA級戦犯であると言わざるを得ないのである。

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