先の日中戦争は日本の侵略ではない! | 王道日本:佐野雄二

先の日中戦争は日本の侵略ではない!

ここ12ヶ月間の中国・韓国との領土問題、歴史問題は、今後も何年も続く課題である。その度に先の大戦に至る日本の歴史認識が問われることになるので、今回もそのテーマで述べさせていただく。



今回は中国編であるが、対中国となると、いつも「日本は中国を侵略し、多大な迷惑をかけた。だからどんなにイジメを受けても、暴行・強盗・投石・略奪をされてもジッと我慢をして罪の償いをしなければならない」と我慢・我慢の苛められっ子を演じてしまう。



まったく自虐史観の効果は絶大であるが、では本当に日本が中国を侵略したのかが問題である。



先の日中戦争に至る原因として中国が挙げるのは、第11931年の満州事変である。これは奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機に翌32年には満州国を樹立した。しかし、これは侵略ではないことは断言できる。


なぜなら確かに関東軍将校が鉄道爆破をしたようだが、そもそも満州に関東軍がいたのは、満州に居座っていたロシアを日露戦争で追い出し、ポーツマス条約で南満州の権益をロシアから譲られたからである。



満州事変後、リットン調査団がまとめた報告書は、確かに関東軍への撤兵と国際管理を勧告しているが、それはイギリスなどが日本を追い出し、国際管理で利益を得ようとしたからである。


さらにリットン報告書において「一国の国境が隣接国の軍隊により侵略されたと言える簡単な事件ではない」と、それ以前の中国人による嫌がらせ、排日、侮日の行動を指し、日本の侵略性を否定している。



この満州事変を契機に翌32年には満州国を樹立したのだから、侵略だとすれば満州国建国であるが、これも全く違うものである。


この地を祖先としていたのは女真族であったが、中国・漢民族を征服し、清王朝を樹立後は皆、万里の長城より南に移動していた。だから満州の地は馬賊や部族が跋扈する化外(無法)の地であった。


満州国で初代皇帝となった溥儀について、溥儀の家庭教師を務め、のちにロンドン大・東方研究所長にもなった一級の中国研究者、ジョンストンの手記『紫禁城の黄昏』には、溥儀は父祖の地である満州に戻って独立国家をつくりたいと望んでいたことがハッキリと示されている。

日本は確かに満州国建国を強力に支援したが、化外の地であったし、溥儀の意思にもとづくものであるから、侵略国家ではないのである。



では日中戦争の発端となった19377月の盧溝橋事件はどうかというと、これは中国共産党の策謀であることがほぼ明らかになっている。


当時、夜間演習をしていた日本軍に銃弾が撃ち込まれた。日本軍は蒋介石軍がやったと思い、謝罪要求や小競り合いがあったが、のちに蒋介石軍と日本軍を戦わせたい中国共産党が、ソ連共産党の入れ知恵で双方に発砲したようである。


そのことは事件直後、北京大学の構内の通信所から延安の中国共産党司令部に宛てて「成功した」という電報(日本軍・元情報部員による解析の証言、H6.9.8付産経朝刊)、さらには秦郁彦氏の調査などでもほぼ明らかである。


この盧溝橋事件以降、日本人市民が280名も大量虐殺された通州事件(1937729日)などが続き、険悪なムードになって行くのだが、それでも日本はあくまで自制していた。



日中戦争が正式に始まったのは、1937813日の蒋介石軍20万人による上海駐留・日本軍約5000人に対する総攻撃からであろう。エドウィン・ライシャワー元駐日大使の『ライシャワーの日本史』においても、その日を日中戦争開戦の日としている。



さて、問題は「どちらが侵略戦争を仕掛けたか」であるが、日本の上海駐留軍はキチンとした協定にもとづき、米軍2800人、英国軍2600人、仏軍2050人、伊軍770人とともに区域分けし、駐留していたものである。

つまり日本の治外法権が正式に認められていた区域に突然、宣戦布告無しで総攻撃を仕掛けてきた。だから蒋介石軍こそが侵略戦争の開始者である。



侵略戦争の定義は、どこの国の領地で戦争が繰り広げられたかではない。ある国の国家指導部が周到に計画し、正式に認められた区域にいる国の国民ないし軍隊に対して、既存の協定や条約を無視して、区域を侵略して先制攻撃することも侵略戦争である。たんに一部の暴徒や跳ね返りの軍人がやったのではない。敵の総大将・蒋介石の指揮のもと、20万人が5000人を突然、襲撃したのである。


この事件の後、日本は南京を攻めて戦争状態となるのであるが、なぜ蒋介石が襲撃したかというと、ここにも中国共産党が関与している。
『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアンら著)によれば、日本政府の不拡大方針にも拘らず、中国の度重なる挑発が続いたのは、中国共産党の大物スパイ・張治中の工作による。

彼は蒋介石軍の一司令官だったが、共産党に共鳴し、周恩来に入党を申し出た。だが周恩来は蒋介石軍にとどまり、ひそかに共産党と共闘するよう要請した。こうして張は蒋介石の懐刀のまま、スパイ活動に専心する。

その詳細は同書を読んでほしいが、張は、日本軍が中国人に対する攻撃を始めたと虚偽の発表までして反日感情を盛り上げ、開戦をしぶる蒋介石をせきたてて行った。



中国共産党はソ連共産党の指導もあり、日本軍とは闘わず、蒋介石と日本軍を戦わせて、蒋介石軍が弱り切ってから殲滅する作戦を採った。まさに「漁夫の利」作戦である。




だから、戦後に訪れた日本社会党・佐々木更三に対し、毛沢東は「・・・何も謝ることはありません。日本軍国主義は中国(共産党)に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。皆さんの皇軍なしには我々が権力を奪取することは不可能だったのです。この点で私と皆さんは意見を異にしており、両者の間に矛盾がありますね」、

「過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは良い事であり、我々の助けになったと言えるのです」と語っている。


まとめると日本を最初に襲撃し、侵略戦争をしかけたのは蒋介石軍であり、中国共産党と日本軍とは闘っていない。逆に日本軍が蒋介石軍と闘ったから、共産党は漁夫の利で権力をとれたのであり、毛沢東は日本軍に感謝していた。そのことを今の中国人民ならびに共産党幹部は知るべきなのである。



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