何故かいきなり千人祈プロジェクトを思い出した。※プチ追記・修正アリ | C.I.L.

何故かいきなり千人祈プロジェクトを思い出した。※プチ追記・修正アリ

なぜか今になって千人祈 というプロジェクト(トトロんが嫌がったんで訂正) を思い出した。

このプロジェクトに実はオレも立ち上げ当初から少し関わってて、何故か新宿の喫茶店で朝日新聞の取材を受けたりした記憶があるんだが、あれはきっと幻だったに違いない。

だってオレ様ネトウヨだし!ネトウヨは反戦なんて言っちゃいけないみたいだし!アメリカ様のやる事に異を唱えちゃいけないみたいだし!よりによってアサヒの取材て!


<千人祈とは>
・放送作家トトロ大嶋
・ライターみやもと春九堂
・売女コトウユウキ

の3名が発起人となって立ち上げた反戦プロジェクト。(いわゆる反戦運動ではない)

当初は2003年の米軍のイラク侵攻に対して 「ネットで反対・反戦の声を挙げよう!」 という案だったような覚えがあるんだが、アレコレと話をしている内に 「BBSみたいなのを作って、大勢の人間に思うところを書き込んでもらって、それをポエムみたいに全部ひとつにまとめてしまってはどうか?」 というアイデアが出て、結果的にこのような形 (約5千件2MB以上) になった。

で、これが妙に話題になって書籍化したいという出版社が現れたり、本の売上金をどこぞに寄付してみたりという流れに発展したんだが、オレが特に覚えているのが千石だか白山だかのお寺でやったポエトリーリーディングっていう。

順を追って説明するが、ネットで検索かけたらこんな記事が出て来たんでとりあえずコピペ。


<よりによって毎日新聞 >

反戦一行詩:若者がネットで募集 2日間で1200以上も

 「うそつき人殺しなのに正義」「別れは誰でもつらいのに、なぜ別れを増やすのかな」――。

 イラク戦争に反対する若者たちがインターネットで反戦一行詩を募集したところ、2日間で1200以上の詩が寄せられた。30日に東京都内の反戦イベントで朗読する。心中事件などで暗いイメージが先行するネット社会だが、デモなど表立った行動を敬遠しがちな若者たちの反戦機運を伝える手段となっている。

 詩はホームページ「千人祈(せんにんき)」で募集している。東京都大田区の会社員、大島智博さん(29)らネット仲間の20代の男女3人が「自分たちも何か行動を」と反戦詩のネット募集を思いついた。千羽鶴にならって1000人のメッセージを込めたいと「千人祈」と名づけ、26日に開始した。

 ネット社会は基本的に匿名社会だが、「千人祈」では、投稿者のメールアドレスを掲載し、発言に責任を持ってもらうことにした。ふざけた投稿はほとんどなく、大部分の人が気持ちをぶつけにきた。詩の応募だけでなく、自分のホームページで「千人祈」を紹介し、リンクする人も200人以上に。見知らぬ人同士が速やかに連帯できるネットの利点が発揮されている。

 大島さんは「ネットを見ていると、戦争で人が死ぬのは嫌だと思っても、デモなどに参加するのにためらいを持っている人が多い。そんな人々の声を吸い上げられたのでは」と話している。

 朗読は文京区向丘2の駒込大観音で開かれている「ピーステント 悪法おだぶつ村」の中で30日午後4時から。ネットで応募した人が読み上げる。


反戦といっても、基本的には 「戦争はんたーい」 とコメントを書き込むだけという生ぬるい内容だったんだが、オレはその生ぬるさを "だからこそアリ" だと思って乗ることにした。

右だ左だは関係なく、誰もが腹をくくって、生活を犠牲にして、思想だの政治運動だのに時間を費やす事は出来ない。

しかしそういう運動が趣味なんだか仕事なんだかという人間以外は意見を口にしてはいけないのかというと、絶対にそうではないだろ?

千人祈の時も色々な人間がネットでも現実社会でも 「祈るだけじゃ何も変わらない」 なんて罵詈雑言を浴びせかけて来たけれども、じゃあ実際に "行動とやらをしてる輩の素性" はどうなのよ?

左は特定勢力から金を引っ張って食ってるプロ市民、右は瀬戸・西村みたいなウンコ電波か時代錯誤な街宣恐喝右翼。どいつも活動費を捻出するためにシノギの手段に頭を悩ませる日々。

生活を犠牲にして行動するってことは、結局はこういう輩と同類になるって選択肢しかないだろ?

千人祈から5年以上経ち、あの当時オレらが必死に言ってた事を皆に理解してもらえそうな世の中になって、なんて言うかスッキリしたわ。(だからこそ今さら千人祈について語り出したくなったのかもしれない)

オレは今だからあえて聞きたい。

千人祈に対して 「祈るだけじゃなく行動しろ」 と偉そうにツベコベ言ってた連中は今なにしてんの?

行動した挙句、スポンサーに逆らえなくて目的不明の運動体と化したキチガイサヨクとか、サヨクに負けじと行動した結果 "陰謀論電波キチガイ" ばっか集まってウンコソムリエになっちゃった自称ウヨク一派とか、そいつらが行動とやらをした結果世の中がどう変わったっての?

千人祈の 「そこまで人生賭けた覚悟の決まった行動は出来ないけれども、世の動きに対して疑問を感じている。」 という人間の声こそ拾い上げようって試みは間違ってたと思うか?

オレはコレっぽっちも思わないね。

正直集まった書き込みの内容については思想的にちょっとどうかと思ったり、あまりに稚拙で気恥ずかしくて見てられなかったりという感情が湧くが、というかあの当時から 「ちょっとそれは……」 とひとり顔を赤らめていたんだが、顔の見えない普通の人間の声をネットで拾い上げて発表するという行為自体は全然おかしいとは思わない。

っていうか、今となってはそれがネット言論の主流になってるんじゃないの?

当時(2003年の春先) はまだブログというツールが根付いてなくて、自分でhtmlを書いてたテキストサイトとかニュースサイトしかない時代だったからってのもあるかもしれないけど、今みたいな猫も杓子もブログやSNSをやってる世の中になってみたらさあどうかね?っていう。

流石にオレは 「命って大事~」 だの 「戦争はいけないと思います」 的な台詞はとてもじゃないけど吐けないが、千人祈がやろうとしたこと、そして実際にやってみせたことについては少しも恥ずかしいとは思わない。

むしろあの当時あれだけやれたことに対して誇らしいとすら思うし、表に出た発起人の3人に対しては本当に身を粉にして頑張ったなと尊敬できる。基本コンセプトを固めた春九堂に、パブリシティ展開を受け持ったトトロ大嶋、そんでもって詩人という壮絶に痛い肩書きで恥ずかしげもなく立ち回ったコトウ。その他オレも含めて名前は出してないもののアレコレと得意分野で手助けした協力者達、皆それぞれ手弁当でよくあれだけのお祭りが出来たもんだよ。

物知りぶった評論家達がTVで偉そうに能書きをたれ、行動する運動家とやらがグチャグチャと何にもならないデモだの街宣だのをやってる間に、千人祈は書籍化して売り上げを国連難民高等弁務官事務所に全額寄付し、イラクへの人道支援や戦後復興に役立ててもらった。

結果としてどっちの "行動" が結果に繋がったんだろうな?

ネットで生ぬるく 「戦争いや~」 と声を挙げるだけの企画でも、方法論を間違えなければちゃんと世の中に良い結果を残せる。オレは思想信条はともかくとして、千人祈にそういう可能性を感じて全面的に賛同した。

有事に右だ左だツベコベ言ってても何もならねえだろ?未だに 「ボクウヨク、キミサヨク」 とグループ分けしていがみ合ってるバカどもが一体なにを残せるっての?

このタイミングでこんなネタを提供すると、瀬戸問題から流れて来た連中に 「やっぱり荒井は売国サヨクだ!」 的なくっだらねえ台詞を投げ付けられるかもしれないが、勝手にしろボケナス。

こちとら千人祈の当時からトトロや春九堂に 「おはらんの意見は表に出さなくていいから」 と村八分にされてたんだぞコラ!

友達だと思ってたデブ2人に 「千人祈はヒューマニズム全開で生ぬるさを貫かないといけないから、そっち方面におはらんはいいや。ネット上の話題作りとかマスコミの紹介だけやって。」 と面と向かって言われるこの哀しみね。

だから仕方なく裏方に徹してたのに 「朝日新聞から取材依頼が来たんだけど、コトウとかじゃ何を口走るか不安だからおはらんそれっぽく頼むわ」 と嫌な仕事だけが回って来るっていう意味のわからなさね。

そもそもオレ・トトロ・春九堂・コトウを並べた時に、どう考えてもオレが一番 "善人" なんだぜ?いやマジで。

腹黒さで言えば 【トトロ大嶋>コトウ>>>(超えられない壁) >>>春九堂>サダオ】 くらいの位置関係だと思うんだけど、何故か最も危険視されてしまう可哀想なサダオ。理解者を得られず今日も火病をこじらせるしかないサダオ。


でまあ千人祈のコンセプトと当時理解してくれなかった連中に対する恨み言についてはこれくらいで勘弁してやるとして、問題なのがコトウが張り切ってたポエトリーリーディングですよ。痛々しさ満開の詩の朗読ですよ。

発起人のひとりのコトウユウキってのが、当時は自称詩人という肩書きの身分制度の最下層にいた女でな、集まったコメントをひとつのポエムにまとめて、それを立候補した人間達が少しずつ読み上げていくっていう激痛しか感じないようなイベントをやったのよ。

で、その会場になったのが "悪法おだぶつ村" とかいう胡散臭すぎるイベントでさ、確か春九堂が知り合いの出版業界の人間に 「ぜひ千人祈も参加して欲しい」 と声をかけられてやることになったんだけど、ほんともう絵に描いたようなプロ市民の巣窟でな。

春九堂に声をかけた人間ってのがおだぶつ村の主催の立場だったとかそんな話だったと思うんだけど、丸っきり自己啓発セミナーみたいなノリで折伏して千人祈をテメエらの運動に取り込もうと画策してるヤツばっかでさ。

まず千人祈の持ち時間になっても前のイベントが終わらない。(故意にダラダラやって終わらせなかったとしか思えない)

→30分~1時間近く遅れてやっと会場が空く。

→時間がないから慌てて詩の朗読を始める。

→会場内に活動家っぽいジジババが居座ってる。

→ネットで千人祈の告知を見て来てくれた人達に席が回らない。

→コトウらが詩を読んでる最中からプロ市民どもが 「オママゴトなんて止めろ!祈るだけで何になるんだ!」 と罵声を浴びせて来る。

→その場にいたおだぶつ村の関係者はその光景を見ても止めようとしない。

→ポエトリーリーディングが終わると罵倒モードMAXになり、いきなり論戦を挑んでくるキチガイが続出。

→口々に 「お前らのやってることは空虚なんだよ!」 だの 「本気で世の中を変えたいなら行動しろ!」 だのと怒鳴り出す。(折伏開始)

→純粋に善意でイベントに参加した女の子らがあまりの展開に泣き出す。


→嫌な予感がしてたので壇上に上がらず客席で見張ってたサダオが火病って手近なプロ市民のジジイに掴みかかる。

→あちこちから押さえつけられてテントの外に出される可哀想なサダオ。(火病る割に使えない)

→春九堂が本性を現して人食い熊のような顔になり 「どういう煽られ方をしてもアンタ方と行動を共にする気はない。空虚なのはどっちですか?」 とやんわり威嚇。

→トトロと春九堂という足して300kgコンビに凄まれて一瞬プロ市民が大人しくなる。

→サダオ、テント内に戻って勝手に千人祈参加者を外に誘導し出す。

→熊2匹も参加者をガードする肉の壁になりつつ外に退散。

→サダオ、憤る春九堂にバナナとリンゴを与えてなだめる(嘘)


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※追記
春九堂とかトトロんらがプロ市民連中に反論した前後にこういう場面があったのを忘れてた。

味方面したプロ市民仲間のうちのひとりが千人祈メンバーを庇うように 「彼らも頑張ってるから見守ってあげて欲しい」 とかなんとか言い出した。

↑コレコレ、コレが超大事。これぞ自己啓発セミナーやヤクザの恫喝と同じ手法。脅し役とフォロー役に分かれて、ターゲットをフォロー役の方で取り込むっていうアレね。

それがまさに目の前で行われようとしてるのに気付いて、オレや春九堂らで千人祈の参加者に 「聞くな!無視して出て!」 と声をかけて会場の外に誘導したんだ。

あぁぁ~数年経って色々と思い出してまた怒りがこみ上げて来たわー。

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まあ日頃から頑張って行動してらっしゃるプロ市民からすれば、生ぬるいことこそを美徳とした千人祈ってのが羨ましかったんだと思うよ。

だって当時は名のある知識人だの弁護士だのが大勢参加してたおだぶつ村とやらよりも、20代を中心としたネットユーザーばかりで盛り上げてた千人祈の方がはるかに話題になってたし、新聞・雑誌なんかに露出しまくってたしな。

だから千人祈に場所を提供するって言い訳で春九堂らをおだぶつ村の会場に呼び寄せて、ついでに千人祈が露出する媒体におだぶつ村の宣伝を載せてもらおうとかいう魂胆だったんだろ。それこそ上に挙げた毎日の記事みたいに 『朗読は文京区向丘2の駒込大観音で開かれている「ピーステント 悪法おだぶつ村」の中で30日午後4時から。ネットで応募した人が読み上げる。』 ってな具合にさ。

そこで自己啓発セミナーよろしく罵倒しまくって凹ませて折伏して、後々何人か取り込めたらラッキーみたいな浅知恵だったんじゃないのかね?

春九堂に話を持ちかけたってヤツらは、イベント当日まではとことん下手に出てたようだけど、いざ会場に行ってみたらこれだもの。同じ民族とは思えぬ裏切り方だよ。だからヒューマニズムを口にするキモ運動家なんざ信用できねえんだよ。


今にしてみれば、オレの "自称行動する人間" への不信感ってのはこの一件で決定付けられたように思う。(思想を左右だけで語ろうとするバカに対しても同様)

そもそも思想ってのは最初から右だ左だポジションを決める物じゃねえだろ?

何かの事象に対して自分が何を思うかとか、今やるべきことは何かとか、自分はどう振舞うべきかとか、その場その場でアレコレ自分の頭で考えて、その知の蓄積の結果として形になるものだろ?

それを何で誰が決めたかわからないようなレッテルを自ら進んで貼り付けて、そのルールに縛られながら立ち回らにゃならんのか?

そんなもん顔も知らない誰か(マスゴミだ知識人だ) に操られてるだけで、言ってみれば誰かに命令してもらわなきゃ指1本動かせないロボットみたいなもんだろ?(逆に言うと命令が来ればどこへでも流れて行く)


「行動しないより行動する方がいい」 って点についてはある部分では正しいよ。

ただ問題なのがそういうことを言うヤツに限って 「オレは行動しているから行動しないヤツらより偉い」 っていう選民思想みたいな考えを持ってしまうんだな。

それがいつの間にか 「行動してさえいればいい」 という極論になって、気付けば統合失調症患者とか電波キチガイばかりはべらせるウンコソムリエと化すと。決め台詞は 「カンパしてください」 と。

そこまで行くと今度は 「お前らみたいなキチガイはむしろ何も行動すんな!」 となってしまうわけだ。

だからオレは 「私はウヨク思想の持ち主です。だから応援してください。」 とか 「私はアンチ創価です。だから正義です。」 なんて具合に 最初に自分自身にレッテル貼りしてから物を言う輩 を信用しない。

矢野(自称人権サヨク・自称アンチ創価) だの瀬戸(自称極右・自称アンチ創価) だの西村(自称極左→自称極右に転向) だのといった連中を並べてみると、今のところこの考え方は間違ってないように思う。

そんな連中と比較すると、むしろどう考えても左巻きっぽい三羽の雀 の方が人間的によっぽど信用できるし、もっと色々と突っ込んだ話をしてみたいなあと思う。

やっぱもう右だ左だだけで人を判断してちゃダメよ。この国が民主主義国家である以上、一方の意見が全て通るなんてのは有り得なくて、結局は意見を出し合って落とし所を考えましょうって話になるんだし、思想の左右のバランスなんてもんは "その人の個性" くらいの意味しかねえんだよ。

近い将来そういうフィルター越しにしか物を見られないヤツがゴミ扱いされる時代が来るんじゃないのかね?知力差別というかなんというか。


何年かぶりに突然千人祈を思い出して、そんな結論に至った。