女子プロレスとオレ※過去ログサルベージ
2004年03月03日
女子プロレスとオレ
ふと、女子プロレスの話題を書きたくなった。
日本の女子プロレスとは、キャバレーのショーの一つであった『ガーターベルトの奪い合い』が発展した物であると言われている。
これは女性がお互いの太ももにつけたガーターベルトをくんずほぐれつ奪い合うという内容で、一言で表すならば下世話な見世物の類であった。
それにレスリングの要素が導入され、競技化していき、やがて全日本女子プロレスなどの女子プロ団体へと進化して行く事となる。
団体として経営が安定期に入ると、次第に海外の女子プロレス団体との交流や、優秀な人材のスカウトといった外部との接触が増え、いつしか男のプロレスとは微妙に異なるスタンスとなっていく。
こうして日本独特の『芸能+スポーツ』という、女子プロレスならでは(というか全女ならでは)のスタイルが出来上がったのだ。
今でこそ多くの女子プロレス団体が乱立しているが、昔は女子プロレスといえば全日本女子プロレスしかなく、全日本女子プロレス(以下全女)のやり方こそが、すなわち女子プロレスの常識であった。
他に比較すべき対象がなかったが故に、昔の全女の選手は試合だけでなく、問答無用で歌を歌わされたり踊らされたりと、歌謡ショー的な役割もこなしていたのである。
入団してくる女の子も、マッハ文朱やミミ萩原のように『芸能界を諦めて・・・』という動機であったり、芸能人的な人気を持っていたクラッシュギャルズに憧れて・・・という女の子ならではのミーハーなモノであり、男がプロレスを志望する動機とは少しズレていた。こうした背景もあって、昔の全女は一種の宝塚的な存在と化したのだ。
女子プロレスのこうした特殊な面は、どうしても男子プロレスのファンには受け入れ難く、女子プロレスは長い間 "色物" というレッテルを張られ続ける事となる。
だが、私がプロレスに夢中になったきっかけは2、3歳の頃に見た全女の中継であり、それ以来20年近くに渡って全女に魅せられ続けた。ガキの頃から少数派なオレに乾杯。
と、今回は導入だけに止めるが、次回からは『女子プロレスの魅力』について語っていこうと思う。