今日は日本海中部地震から37年。昨日、取材の方にご宿泊いただきました。長い年月が経っても取材していただけること、ありがたいです。忘れてはいけない、忘れてほしくない記憶です。中には、忘れたい記憶の方もいらっしゃいますね。
私は小学校6年生でした。机の下にもぐったのと、牛乳がこぼれたのをちょっと覚えています。その時、母のお腹に赤ちゃんがいて、8ヶ月ぐらい。とにかくそのことが心配だったことも記憶にあります。身重な体で逃げられなくて、旅館の大きな食器棚の下敷きになっていたらどうしよう、破片でケガしていたらどうしよう、と考えていました。父が旅館のマイクロバスを運転して迎えに来てくれて、みんなで一緒に帰ったんじゃなかったかな。母の無事な顔を見てとても安心しました。
その頃はその程度の記憶しかありません。そのあと、お客様、特に修学旅行の団体がキャンセルになり、経営が大きく傾いていきました。どこの旅館も大きく改装した後だったので、男鹿温泉郷は本当に大変だったと思います。よく「お父さんたちの代は仲悪かったみたいね」と秋田の方に言われることがありますが、そんなことはなかったですよ、実際は。まぁ、かなり個性的なメンバーではありましたが、旅館の経営者は今でもどこの地域の方を見ても個性が強いので、そんなもんじゃないかな。みんなで一緒に盆踊りやカラオケ大会などの温泉まつりをやったり、客室からみられるように花火を上げたり、今は温泉郷みんなで何かをやることは少ないですけど、当時はしょっちゅう集まってそんな話し合いをしていました。
今はコロナウィルスの感染拡大で世界中の経済がガタガタ。それでも先人が生き延びてきた知恵を学び、今の形に生かして頑張りたいですね。自分のできることは小さいけれど、積み上げていきたいな。がんばろ。