練習と運と思いこみ~フルバージョン第1回 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 それでは、お約束しておりました8月30日の講演原稿を載せさせていただきます。当日の講演の概略版につきましては楽走412旭川 のHPに載せておりますので、こちらでは最初に用意したフルバージョンの原稿をアップすることにします。ちょっと長いので3回くらいに分けて連載することになると思いますので、よろしくお付き合い願います。


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 ただいまご紹介に預かりました楽走412旭川 というランニングチームで広報部長をしております○○です。本業は×××××というところにおります。実は私はランナー仲間の間では、○○というよりも「おがまん」という名前で通っております。というのも、ご紹介いただきました楽走412旭川 のホームページの他、Ogamanファミリーのランニング記録 というHPを3年前から開設しておりまして、この「おがまん」というハンドルネーム、まあネットの世界では本名ではなくそれぞれがこういうニックネームのようなもので呼び合うわけですが、ランナー仲間の間ではこちらのハンドルネームの方が有名になってしまったという次第です。


 最初にお断りしておきますが、実は私は感激屋でありまして、目標としたレースでゴールして泣く、というのがまあ私の特徴となっております。そんなこともありまして、これからいろいろなレースを振り返ったときに、しゃべっている最中に感極まって涙する、なんていうお見苦しい場面があるかもしれませんが、最初にそのことをお詫びしておきます。


 一昨日札幌市で行われた北海道マラソンでは、29km地点でタイムオーバーとなり生涯初の収容車のお世話になってしまいました。したがってこのようなところでお話しするのは気が引けるのですが、今日は6月に走りましたサロマ湖100kmウルトラマラソンのことを中心にお話しさせていただきたいと思います。


 さて、ただいまご紹介いただきましたように、私は今年の6月26日に行われたサロマ湖100kmウルトラマラソンで制限時間ギリギリで完走を果たしたわけですが、ご覧になってわかるとおり、私はどこにでもいる普通の人間です。特に華々しい運動経験があるわけではなく、むしろ不健康の極みといったところからランニングの世界に入りました。


 中学生のときにはバスケットボール部に所属しておりましたが、本格的に運動をやったのはこの3年間だけです。その後は運動には全く縁がありませんでした。それでも175cm、63kgというスリムな体型を維持していたのですが、25歳で結婚したのを境にぶくぶく太り始め、ピーク時には体重も80kgになってしまいました。しかも1997年の2月に1ヶ月間の入院と1ヶ月間の自宅療養を余儀なくされました。病名は抑うつ状態で、仕事に復帰してからも抗うつ剤のお世話になる生活が始まりました。


 私が初めてマラソン大会に出場したのは、1997年6月のびえいヘルシーマラソンです。その前の年、1996年の12月に故郷である美瑛に家を建てて引っ越していたものですから、地元の大会に当時小学校3年生の息子と親子ペアで出場しようと思ったのです。ワンエイツ、5.27kmのレースにぶっつけ本番で出場し、途中で歩きそうになる息子を叱りつけながら、このときは34分台でゴールしました。


 1998年も一緒にでたのですが、サッカー少年団に入っていた息子は前年とは別人でした。前年よりも遙かに速いペースに、どうにかついて行けたのは3km付近まで。その後は歩いてしまいました。親子ペアですから一緒にゴールしなければなりません。息子はゴール前で、5分以上も私の到着を待っていたそうです。


 翌年、1999年も同じでした。この年はいくらかトレーニングをしていたのですが、所詮は付け焼き刃です。3.5kmくらいまではついていったものの、あとはやはり歩いてしまいました。ゴール前100mの地点で待っていた彼は、私の手をつかむなり何も言わず全力で私を引っ張ってゴールに向かいました。その彼の走りが、私の気持ちに火をつけました。彼の全力疾走は、だらしない父親に対する無言の抗議と思えたのです。


 それから本格的にトレーニングを開始しました。でも最初のうちは大変でして、練習で1kmを走るのも大変でした。ときには半分も走れずに歩いて帰ってくることもありました。それでも徐々に走れる距離が延び、そうなるとだんだん面白くなってきました。ヘルシーマラソンの1ヶ月半後。ふらのへそマラソン の5km。これが私の再デビュー戦です。どうにか歩かずに走りきりました。


 徐々に長い距離を走れるようになり、その後もいくつかのレースに子供達とともに出場しました。そしてこの年の最後には10kmレースにも出れるようになりました。


 迎えた2000年のヘルシーマラソン。やはり3km過ぎで彼から遅れ始めます。心配そうに振り返る彼に、「必ずついていくから、自分のペースで走って行け」と叫びました。そして結局100m余り遅れましたが、歩くこともなく彼の汗がひかないうちに一緒にゴールしました。彼が私を待っている間に2組のペアに抜かれたのですが、23分台でのゴールで最終リザルトは10位。この大会は10位までが入賞でしたので、ぎりぎりで入賞するというおまけ付きでした。


 その頃は、私自身すっかり走ることにはまっていました。いつしか抗うつ剤を飲むのもやめていました。病院へ行く時間があったら走りたくて、病院へも行かなくなっていました。走る練習をするようになってからは、それまで仕事帰りには必ずと言っていいほど寄っていたパチンコ屋にもぴたりと行かなくなり、走る練習をするようになりました。この年の秋にはハーフマラソン、そして翌年はフルマラソン に挑戦、2003年には出場すること自体が憧れだった北海道マラソンにも挑戦 し、そして今年、走り始める前は想像すらしなかったウルトラマラソンに挑戦するに至ったというわけです。


 でも、その間も順調な道のりばかりではありませんでした。2001年の3月には痔の手術で2週間余りの入院、さらに昨年3月には胆石のため、胆嚢の摘出手術を受けました。


 一昨年の秋に7年ぶりくらいで人間ドックを受診しました。運動をしているということで、生活指導などはまったく問題ないはずと気楽な気持ちで臨んだのですが、ここで指摘されたのが充満型の胆石でした。特に痛みがあったわけでもないので悩んだのですが、心配事を抱えて走るのも気持ちよくないので、8月末の北海道マラソンには間に合ううちにと、昨年の3月に322個の石が詰まった胆嚢を摘出しました。


 8月には北海道マラソン があります。この北海道マラソン というレースは、私にとっては容易に完走できるレースではありません。5kmごとに関門が設定され、平均すると5kmを28分以内で走らないとつかまってしまいます。単純に計算すると、フルマラソンをおよそ4時間以内で走らないと、関門で捕まってしまいます。私の自己ベストは前の年の北海道マラソン で記録した3時間50分18秒です。このときでさえ、25km地点手前の第2折り返しを回ったら、私の数百m後ろに終末車がいるという恐ろしい光景を見ながらの完走でした。ですから手術後5ヶ月の夏のマラソンで自分のベストに近いタイムを出せるのかどうか。不安でたまらなかったのですが、結果的には3時間56分36秒で完走 できました。


 ウルトラマラソンをはっきり意識しだしたのは、北海道マラソンを初めて完走した 頃からです。実はこのとき、「北海道マラソンを完走できたら、来年はサロマに挑戦するよ」と言ってたのです。このときは1回くらい北海道マラソンを完走できたからって挑戦できる甘いものじゃないだろうと思って断念したのですが、次はウルトラマラソンという思いが現実のものとして思えるようになりました。昨年の北海道マラソン も万全の状態でない中でも完走できたということで、いよいよサロマに挑戦しようと決意しました。


 しかしそれも長くは続きませんでした。昨年10月の旭川マラソン で私はふがいないレースをしてしまいました。タイムも4時間6分台と不本意だったのですが、何よりも2度目の北海道マラソン完走に慢心してしまい、フルマラソンを甘く見て走ってしまったこと。その結果、気持ちが十分に入っていないレースをしてしまったこと。そのことが許せず、すっかり自信を失ってしまいました。この時点で、私はそれまで自分のHP上でも宣言していたサロマ挑戦を白紙撤回してしまいました。


 転機が訪れたのは、昨年の暮れ、札幌で行われたランナー仲間の忘年会です。2次会の店でたまたま私の前には、昨年のサロマの100kmの部で初出場初完走をした2人の仲間がすわってサロマのレースについて語り合っていました。その話を聞いているうちに、私も同じ舞台に立ってみたいという気持ちがどんどん強くなってくるのを感じました。


 そして迎えた1月25日。実はこの日は私の45回目の誕生日でした。ランナーズという雑誌があるのですが、このバックナンバーを見ていたら、2年前のサロマで初完走をしたネット仲間の完走記 が載っていました。彼女はそのさらに2年前、つまり今から4年前のサロマに初挑戦したものの55キロ関門で引っかかり、捲土重来を期した3年前のサロマでは、なんとレースの数週間前に脳下垂体腫瘍が発見されてドクターストップ。レースに出場したご主人や走友たちの応援をした翌日に入院し、そして手術を受け、一昨年みごとに初完走をしたという人です。これを見たら、私は涙が止まらなくなりじっとしていられなくなりました。そうだった。彼女は走りたいのに止められて、しかも大手術を乗り越えて、それでもくじけずこの偉業に挑戦し成し遂げていたのだった。それにひきかえ自分はどうなんだろう。たった1度の失敗で自信を失い、完走する自信がないからと、挑戦することすら諦めようとしている。完走する自信がついてからエントリーしようなどと思っていたら、一生エントリーできないに違いない。そう思った瞬間、私はPCに向かい、ネットからエントリーの手続きをしていました。参加料14000円は通常のレースでは3000円前後ですから、非常に高額です。でも、この歳になると誰も誕生日のプレゼントなどくれませんので自分から自分への誕生日プレゼントとしてエントリーしました。


 エントリーしてからは、何事においてもサロマを意識するようになりました。エントリーから2週間後の2月7日にはRoad to SAROMAというブログを開設しました。ブログとは何か簡単に解説しますと、双方向にやりとりができるネット上の日記のことです。ネットで日記を公開し、それを見た人がコメントを書けるようになっています。従来からHPを開設して日記を書いていたのですが、サロマに向けて専用のブログを開設し、ここで練習内容や考えていることを公開することで、モチベーションを高めにかかりました。(つづく)


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 今日の練習内容


 今日は中学校の文化祭のバザーの実行委員会。その前に10kmほど走ろうと思ったが、なんだかんだとバタバタしてしまい結局5km。どうにかキロ5分を切って走ろうと思ったのだが、切れたのは最初の1kmだけ。暗くて足下が危ないというのがあったにせよ、最後の2ラップは5分20秒を超えていた。う~ん、まだまだだなぁ。


 今日 5km(25分52秒)   今月累計 47.2km