2年前のリベンジを~号砲 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 昨日、ラップタイムを書き出してみて思ったのだが、数字を見る限りさほどペースの乱高下はなかったように見える。中間点までのタイムとそこからゴールまでのタイムを比較すると、わずか数十秒の違いしかないし、途中5kmごとのラップも26分台~27分台(スタート直後の前が壁になっている5kmと、足が完全に止まってしまった35km以降を除く)と安定していて、イーブンで堅実に走りきったように見える。ところが世の中、数字に現れないこともあるもので・・・。なにしろ(genさんをはじめ)同じ人と何度も抜きつ抜かれつを繰り返していたのだから、それだけ私のペースが安定していなかったということだ。ところがこれを5kmごとにまとめてしまうと安定したラップに見えるのだから、面白いというか不思議というか・・・。


 しかしスタート前はこんなレースになるなんて思っていなかった。確かに4月17日の伊達ハーフを走ってからの1ヶ月間、毎週のように30km以上のロング走をしている。4月24日60km、5月3日60km、4日30km、8日32km、15日45km。もちろん脚は疲れている。しかし私は、距離に対する耐性はどんどんついているはずと、楽観的にとらえていた。


 全く不安がなかったわけではない。前の週の天人峡ラン以降、右膝に不安が出ている。走っていてもすぐに痛みは出るし(でも、だいぶ騙しながら走る術を覚えた)、歩いていても関節の動きがぎこちないし、湿布をしたまま現地に乗り込むという状態だったのだ。

 ちょっとフルを走るにはつらい状態だったかもしれないし、何よりここで故障をしてしまったらサロマも断念しなければならないという冷静な自分もいた(他の人には絶対そうやって忠告するだろうな・・・)のだが、ここで故障をして出られなくなったら、今年のサロマには縁がなかったと諦めるだけ、などと悲壮な覚悟で(というほど大袈裟なものではないが)乗り込んだのだった。


5本の幟  青空にたなびく5本の幟の元に集まった楽走の勇士たち。今年そろえたばかりの黄色いランニングウェアを着ているメンバーも多い。しかもその過半数は、登録の部でエントリーしている。


 ・・・失敗した。私も陸連登録しているのに、一般の部でエントリーしていた。


 エントリーしたときは、サロマに向けてキロ6分半から7分でペース走をしようと思っていたのだ。それには前からスタートする必要はない。そう思い、一般の部でエントリーしていた。

 その後、やっぱり自己ベスト狙い、いや、やっぱりペース走と迷いに迷い、最終的にはスタートしてから決めることにしたのだが、9分9厘戦闘モードで走ることになるだろうと思っていた。


 私のレースに臨む態度がはっきりしないので天気予報も怒ったのか、週間予報ではずっと晴れマークがついていたこの日の天気が金曜の夜の予報を見るといきなり傘マーク(しかも全道的に)に変わっていた。そりゃないだろうと思いつつ雨具を用意しておくと、土曜の朝になると傘マークがすっかり消えていた(土曜の朝、上川地方ではけっこう強めの雨が降ったが)。結局そのまま好天で当日を迎え、私のテンションはますます高まった。


 洞爺湖マラソンには、2年前に1度だけ出ている。 その時は3度目のフルマラソンで、その前の2回はいずれも歩きを交えており、どんなに遅くとも絶対に歩かないと誓ったレースだった。32kmを過ぎてから痛恨のガス欠!今考えても、あんな状態でよくぞ歩かずに(とは言っても、最後はキロ8分以上のペースだった)ゴールできたと不思議に思っている。

 そのときの私の背中を押してくれたのは、虻田高校の生徒たち。給水のボランティアをやっている彼らの元気な声援が、とても嬉しかった。その声を聞くだけで、脚を前に運ぶことができた。彼らの声援がなかったら、私は3度目のフルマラソンでもまた歩いていたかもしれない。


 結局このときのタイムは、4時間17分54秒。最後まで歩かずに粘り切れたことが、この年の北海道マラソンで、誰もが予測し得なかった初完走初サブフォー、そしてゴールでの号泣につながったのだと確信している。


 しかし、私には大きな悔いが残っていた。それは37.5km付近のスポンジポイント。そこでありったけの声をあげて元気に応援してくれていた生徒たちに、お礼の言葉をかけることができなかったことだ。

 感謝の気持ちで一杯だった。心の中ではお礼の言葉を叫んでいた。しかしすでに体内のエネルギーが枯渇していた私は、声を発することができなかった。


 今年の洞爺湖マラソンは、2年前の分までしっかりとお礼を言ってこなければならない。さもなければ、私の中で2年前のレースがいつまでも終わらない。37.5kmのスポンジポイントまで。そしてもちろん最後の40kmの給水所まで、彼らに負けない元気でお礼を言わなければならない。

 美しい姿とは裏腹に、気づかぬうちに徐々に私たちの体からエネルギーを奪い取る洞爺湖の女神。その闘いに勝って、なんとしても2年前のリベンジを果たさなければならない。


 私はそう誓って、スタートラインについた。


 やがて号砲が鳴り、花火が打ち上げられ、私のリベンジの旅がスタートした。(つづく)


 完走記 長くなりそな 予感あり


 皆様、おつきあいをよろしくお願いします。


 今日の練習内容


 両膝痛、左足首痛、右足の親指痛、右足小指の付け根痛、両太腿痛、両ケツ下痛、両腕筋肉痛、右背筋痛等々で走れない。オフ。