古民家に住もう!〜Design Office COZYのお仕事

主に、動物や昆虫などのイラストを描いて仕事をしています。イラストやデザインを通して、「いのちの大切さ」や「生きる楽しさ」を伝えることができる仕事をしたいと願っています。


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すっかりこちらでの告知が遅くなってしまいましたが、自宅の一角を使って「古民家ギャラリー&雑貨 kotonoha」をオープンしました!オープンから明日で早くも3ヶ月になりますが、このギャラリーをやり始めてからたくさんの方とお知り合いになることができました。まだまだ試行錯誤をしながらの運営ですが、近くにお越しの際は是非お立ち寄りください!

 

「古民家ギャラリー&雑貨 kotonoha」のウェブサイト

http://www.office-cozy.com/kotonoha

 

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JR福知山線脱線事故から今日で11年。

11年前の今日、2両目が激突して折れ曲がった柱の内側で、片足を挟まれて逆さまにぶら下がっていたときに見上げていた空と同じ青空が広がっていた。

事故現場には、関西圏の方のみならず毎年たくさんの記者が取材に来ています。できるだけそれに応じるようにしていますが、その中に、事故当時からずっと現場で取材をしてくださっている記者の顔を見つけるととても安心します。
今日の現場での囲みの取材のときに、これまでずっとお世話になってきた女性記者が他の報道関係の皆さまを仕切ってくれて、僕が応えやすいように皆さんを代表して質問をしてくださったので、取材が終わってから「今日の現場の幹事社だったの?」とお聞きすると、「そうじゃなかったけど、そうした方が良いと思ったから何となくそうさせてもらいました」とのお返事でした。

この事故のことに対しては、これまでに数えきれないぐらいたくさんの取材にお応えしてきましたが、きっと彼女も、僕とは違う立場でたくさんの被害者や加害者、関係者の方に取材をしてこられて、今日、また現場での取材に来てくださったのだと思います。十把一絡げに「報道関係者」と言っても、上司に「とりあえずコメントを取ってこい」と言われてやって来ただけの、まったくこれまでのプロセスを把握していない記者もいれば、事故の担当を外れて遠方に異動になったにも関わらず、毎年個人的に現場にお花を持って訪れる記者や、個別の取材じゃないのにこんな遠方のド田舎まで今年の取材について相談に来てくださる方がいたり、様々です。当然、この事故に関しては僕は取材をされる側で、記者の皆さまは取材をする側なのですが、この11年の間にはそれぞれの立場で人生の大きな転機や価値観の変わるような出来事(結婚したり子供ができたり、職場が変わったり)を経て、今、このときを迎えている訳なので、安易に「風化をしている」という言葉を使ってはいけない重みを感じています。きっと、「コメントを取ってこい」と言われてやって来ただけの記者の対応を受けて傷ついているのは僕らのような取材対象者だけではなく、それを同業者として隣で見続けている記者も、きっと同じように心を痛めているんだろうなと感じています。そこに、「風化」という使いやすい安易な言葉はそぐわないような気がしている。
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第七藝術劇場での「Brakeless JR福知山線脱線事故」(60分BBC放送バージョン)上映の後にトークセッションで少しお話をさせて頂くことになりました。
今、熊本や大分が大変なことになっていますが、事件や事故、災害はいつどのような形で誰に降りかかるか分かりません。このドキュメンタリーは鉄道の事故をテーマにしていますが、日本という国における社会の成り立ちや人が困難の中を生きるということについて丁寧に取材がされていますので、見に来て頂けると嬉しいです。

【上映予定】
第七藝術劇場(大阪市淀川区十三本町1-7-27 6F)
4月23日(土)~29(金・祝) 14:35~16:10(1日1回上映)
※私が登壇させていただくのは4月29日(金・祝)の上映後です。
<料金>当日のみ一般1,500円 専門・大学生1,300円
中・高1,000円 シニア1,100円
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年度末の仕事に追われて、全く手を付けられていなかったギャラリースペースですが、4月に入ってからやっと再開。ある意味、ちょっと邪魔な柱2本をどうやって使おうかと迷っていたのですが、この柱2本を利用して、お茶でも飲みながらおしゃべりができるテーブルを作ることにしました。

まずは、完成したらどんな感じになるのかをダンボールを切り抜いてシミュレーションしてみました。このダンボールは本番用の型紙としても使えますので、結構重要です。あまり大きすぎても邪魔ですし、高くても目障り。なので、低めのマッシュルーム型の椅子を3つ購入しました。かわいい形です。この椅子の高さに合わせて、テーブルの高さを決めます。



パッと見た目には簡単そうに見えるけど、中に柱が通っているので、当然半分に切って両端から挟むなどして柱を板の中に通さないといけません。それに、できれば余分な脚を付けずに安定させて、それなりの強度を確保したいものです。

まずは基礎となるベニヤ板を作るために、ダンボールの型紙をトレース。それをジグソーで切り抜きます。



板を半分に切ると強度が弱くなるので、固定するために柱に切れ込みを入れて、スコンと差し込む方式にしました。柱にノコギリで切れ込みを入れ、ノミで削って四方8mmずつ削っていきます。柱を切るなんて、なんだかかなり緊張…。





2度ほど調整したら、ピッタリ入ってくれました!それにしてもこの柱、猫が爪を立てて登るので傷だらけ…。後で黒に塗り直します。



この基礎の上に、薪ストーブの燃料用に近所の工務店からタダで頂いたパレットを解体した材木を貼ることにしました。パレット材は固くて腐りにくい材木を使っているので、薪として使っても重宝しますが、朽ちた魅力がある材木なので燃やしてしまうのはもったいない。いつか使おうと思って、使わずに取っておきました。しかしこの材木、釘が錆びていますので、解体して使える状態にするのがものすごく大変です!!無理矢理バールで引き剥がすと割れてしまうので、慎重に剥がさないときれいには剥がれません。デッキブラシで洗って汚れを落とします。







残った部分は、もちろん薪として使います!



とりあえず柱を黒に塗り直して、猫の爪痕を補修します。またやられると思うけど…。



その材木を基礎の上に乗せて敷き詰めていきます。こんな感じ。



裏面からビスで固定して、全部敷き詰めた後に形に沿ってジグソーで切り抜いて行きます。パレット材がかなり固くて、なかなか進みません…。切り抜いた後に、角をサンダーで磨いて滑らかにします。朽ちた材木がエエ感じです。





天板にオイルステインを塗り、側面を黒に塗って完成です。マッシュルーム椅子ともマッチしていて、思い通りの仕上がりです。新品じゃない、手作りのモノの魅力です。
ここで、ギャラリーに来てくれたお客さんと「実は私もこんな活動していましてね~」「そうなんですか!?」「じゃあ、今度一緒にこんなことしましょうよ!」と話が盛り上がる日が来るのを楽しみにしています。



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先日、たまたまGYAO!で目についたフォレスタルというアメリカの空母の爆発事故に関するドキュメンタリーを見ました。
JR福知山線脱線事故に関する国土交通省の事故調査の検証に関わったこともあって、この事故の背景にある原因にはとても興味深いものを感じました。何重にも安全対策が成されているはずで、絶対にあり得ないと思われていることが、悪魔の悪戯なのか必然なのか、このようにしていくつもの要素が重なって大事故が起こるんだな…と改めて感じました。事故調査の検証のときに何度も出てきたスイスチーズ・モデルというリスク管理の概念を、改めて思い出しました。

フォレスタルの艦上には戦闘機がたくさん配備されているのですが、爆弾を搭載されたファントム戦闘機からミサイルが誤発射され、向かいにあったスカイホーク戦闘機に命中して爆発炎上し、漏れ出したジェット燃料に引火して火災が起こり、それによって次々と周りの戦闘機の爆弾が爆発して134名が亡くなる大惨事となりました。

執念ともいえる事故調査によって解明された原因は以下のとおりです。

【ミサイルの誤発射について(4つの要素が重なった)】
・飛び立つまではミサイルに発射指示の電流が流れないようにするための安全ピン
 →抜き忘れを防止するためのリボンが付いているため、その日の強風によって風で抜けた(それまでにも、そういった事象はあったようだ)。

・爆弾に電流を流すために接続するピグテール
 →飛び立つ直前まで繋がない海軍のルールを無視し、戦闘の現場での発艦効率を優先して事前にピグテールを差し込む決定が現場で成されて実施されていた。

・機体の配置
 →誤発射があってもミサイルが海側に飛ぶように、機体を空母の外に向けて配置しなければならない決まりだったのが、ピグテール同様、発艦効率を優先して戦闘機同士が向き合って配備されていた。

・ミサイル発射スイッチ
 →充電後に、機体後の始動スイッチをパイロットがオンにしたことで微細なパルスが発生し、それがミサイル発射の回路に伝わった。

以上の4つの原因がすべて重なり、艦上に待機していた戦闘機から戦闘機に向かってミサイルが発射された。


【火災が広がった原因について】
・ベトナム戦争当時使われていた爆弾は、炎に熱せられても爆発するまでに約2分30秒かかるが、そのときスカイホークに搭載していた爆弾は第2次世界大戦時に使用していた旧型爆弾だったため、それよりも1分以上早く爆発・炎上した(当時、爆弾が不足していたが、政府の空爆強化の判断によって旧型を使わなければまかないきれなくなったことが原因)。

・フォレスタルには消化の専門チームがいたが、旧型爆弾が想定以上に早く爆発したため、その爆発によって即死。消化に不慣れなクルーによって消火活動が行われ、泡による消化と水による消化の両方を実施したため、消化の効率が悪くなるどころか水でさらに火災が広がる結果になってしまった。

軍隊のように日々厳しい訓練を実施し、いろんなシミュレーションをして行動している組織でも、こうした人為的な落とし穴が重なることによって大事故が起きるということがよく分かります。
JR事故の検証当時、僕が一番感銘を受けたのが、NASAのスペースシャトル「コロンビア号」の事故調査報告書でした。日本の事故調査委員会(当時)が出していた報告書とはまったく質が異なり(日本の報告書にもそれなりに良い所はあるにしても)、体裁を整えるだけの報告書ではなく、起こってしまったことを教訓にして本気で同じ事故を二度と起こさないという決意がそこからは伝わってきました。事故に至るまでの様々な事象の意思決定をした個人名もどんどん出てきますし、場合によっては大統領の判断が間違っていたというところにまで踏み込んでいます。

先日の夜行バスの事故ではたくさんの学生さんが亡くなりましたが、運転士の管理体制によって引き起こされた同じような事故が以前にもあったように思います。「再発防止」ということが、きちんと実現できるような事故調査が行われるようになってほしいなと願っています。
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普段の仕事に追われてギャラリーの準備作業が後回しになってしまっているのですが、細かい部分は少しずつ進んでいます。今回は、薪ストーブの燃料用に近所の工務店からタダで頂いた、パレット材を使ったディスプレイ用の棚の制作工程です。

頂いたパレットを最初に見たときから、そのまま薪として燃やしてしまうのはもったいないと思っていたので、解体して材木を乾燥させてありました。本当はアイアンで脚を作ってシンプルな飾り台を作りたかったのですが、さすがにアイアンの加工は素人にはできないし工務店にお願いするとそれなりに費用がかかるので、「アイアン風」に自分で作ることにしました。

とりあえず1本¥160の角材を買ってきて、重量がかかっても良いようにタテの脚に切れ込みをいれて角材を組んで作ることにしました。





パレットの板を脚に乗せて使用するので、作るのはこの脚の部分だけです。こんな感じでシンプルに仕上げました。



いろいろ調べてみるとアイアン塗料というのがあるようで、どんなものにも塗装できて塗ると鉄のような雰囲気に仕上がるようですが、1Lで¥8,600とそこそこの値段がするので、今回はとりあえず家にあったつや消しブラックのペンキを塗ることにしました。乾燥してからストーブの灰でこすって新品感を無くしてみました。



まだ何も飾っていないけど、こんな感じで完成。ぱっと見た感じではアイアンに見えますよね(^o^)



こちらは一段バージョンの低い棚です。



パレットの使い込まれ材木の雰囲気がとてもよい感じです!新品の合板ならいくらでも手に入るのですが、使い込まれたこの厚さの一枚板は結構貴重なので、パレット材は重宝しています。


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我が家のお風呂場は普通のユニットバスで、可もなく不可もないまったく面白味のない風呂なのですが、いつか足が伸ばせて星空が見えるようにできたらいいな~という希望だけは持っています。でも、風呂場を改装するとなると建物の構造そのものから触らないといけないので、きっと数百万…。当面は温泉にでも行くことで我慢します。

と思っていたら、先日の寒波でシャワーに分岐している水栓の本体が裂けて、水漏れするようになってしまいました。この水栓はもともとこの家に付いていたもので、最初からお湯の温度調整ダイヤルが壊れていたので、交換のきっかけになって調度良かったのかもしれません。どこのメーカーなのかも分からない代物ですが、この水栓は台の上に乗っている台付きタイプというもので、通常の壁付きタイプに比べて製品が少ないという欠点があります(調べてみるまで知らなかったけど)。



ある程度は予想していましたが、水栓の交換と言っても実はなかなか一筋縄ではいかないのです!この台の上に乗っている水栓の裏には、当然、水とお湯の管が2本繋がっているのですが、パイプが繋がっていると同時に、裏から台をナットで挟み込んで固定してあるので、まずはそれを六角レンチで外します。我が家にあるレンチで外そうと思ったのですが、普段は石鹸台になっているこの小さな蓋を外して、手だけを奥に入れて手探りでナットを外さないといけません。しかもすぐ隣が外壁なので、ほとんど空間がない…。



こんな感じで、手が一本やっと入る程度です。



レンチを回そうと思ったら、壁につっかえて回せない…。なので、柄の短いレンチを買ってきて(¥850也)ようやく外すことができました。



外したこの穴に合うように、また同じ台付きタイプの水栓を探してみたのですが、今、売っているものだと、穴と壁の隙間が狭すぎてどれもこのスペースには付けられないことが判明…。「どうしよ~」と悩んでいると、そもそもこの台付きタイプにこだわる必要はないのではないかという考えに思い至り、別の壁面に穴を空けて、そっちに壁付きタイプの水栓をつけることにしました。今回選んだのは、TOTOのTMGG40SEWZという商品で、もちろん寒冷地仕様です。ネットで購入すると、翌日に届きました。すごいな~。

取り付けるために、まずは壁に直径22mmの穴を開けないといけませんが、こんな感じのホールソーというやつを電動ドリルの先に付けて穴を開けます。たったこんなのもので2000円也。一度使ったら、きっともう二度と使わないと思うけど…。浴室の壁面ですが、薄いくせにめちゃくちゃ硬いです。なかなか穴が開きません。ゆっくり気長にやって、やっと開きました!



新しい水栓を差し込んで、まずはナットで裏から締め付けて固定するのですが、先程は手を入れる穴の左側に手を伸ばしたので利き腕の右手で作業ができたんだけど、今度は穴の右側なので左手を突っ込んで作業をしないといけません。ナットを締め付けるのは何とかできましたが、次に実際の水道管の延長パイプを取り付けるのが一苦労でした。



水道管をつなぐには、まずネジの部分に防水テープというものを巻いて、その上からパッキンを間に挟んだ管を繋ぐのですが、左手一本で、しかも目で見えない状態の穴に突っ込んで作業するのは神業です…。一つ、パッキンを落としてどこかに行ってしまいました。悪戦苦闘すること30分ほど…。何とか水とお湯の両方を繋いで、「お願いだからつなぎ目から漏れないで…」と祈りながら元栓を開いてみました。こんな場所で水漏れして何度もやり直しということだけは勘弁ですが、一発でうまくいきました!

こんな感じ。今度はちゃんと温度調整もできますし、エアインシャワーヘッドというやつで空気が混ざった感じのシャワーです。後は、蓋をする前につなぎ目とかのゴミをきれいに掃除をして完了!壁付きタイプにすると、なんだか少し浴室が広くなったような感じがします。





もともと台付きタイプの水栓が付いていた穴は、洗面台用ホールキャップというのをネットで購入して、裏からボルトで挟みこむようにして塞ぎました。ステンレストップなので、見た目も良い感じです。
しかし、この目地が黒くなっているのが気になるので、仕事が一段落したらカッターで全部剥がしてコーキング剤を塗り直そうかなと思っています。壁そのものはきれいので、目地が新品になったらかなり印象が変わると思います!


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多可町の古民家に移住して早くも2年半が経過しました。3度目の冬ですが、今年は全く雪が降らなくてちょっと物足りない感じです。例年なら周りの山に雪が積もってとてもきれいなので、それが見れないかと思うと少し残念です…。こちら、昨年の様子です。





かなり雪は積もりますが、昼から晴れると溶けてしまうぐらいなので、「きれいな~」と言って過ごせるぐらいの地域でちょうど良い感じです。我が家からもう少し北に行くと雪掻きをしないといけないので、ここは大きなポイントです!

さて、こちらに越してきてから「いつかは自宅にギャラリースペースを作ろう!」と思っていたのですが、その他の現実的な部分(隙間風対策、床の張替え、寝室作りなどなど)でかなり時間を要したので、ようやくその計画を実行に移すタイミングとなりました!
僕の前職は美術の展覧会の企画運営をする会社で、その編集&制作の部署で働いていました。今は、なんと銀座のど真ん中に画廊を持っていろんな面白い企画展をやっていて、僕も東京出張に行ったときにはときどき立ち寄らせて頂いています。
…と言っても、我が家の古民家ギャラリーは本格的な画廊ではなく、ギャラリー&雑貨屋さんの中間的なものをイメージしています。ギャラリーに関しては実際モノが売れてくれたら一番良いのですが、基本的にはイラストとデザインのメインの仕事があるので、人が来て自由に出入りできる空間を創ることが一番の目的です。我が家は千ヶ峰の登山口&果樹園の通り道にありますので、とくに宣伝をしなくても勝手に人は来る(冬は誰も通らないけど)場所にあります。なので、庭に看板を立てておくだけでもふらっと入って来てくれると思います。こういった古民家に興味を持って入って来てくれる方は僕と似たような価値観を持った方が多いと思いますし、きっと何か面白い仕事や活動をしておられると思うので、そういった方と出会えるきっかけになれば良いなと思っています。





母屋と離れをつないでいる廊下が、ギャラリースペースになる場所です。以前は小さな衣裳部屋があったのを壊して床板を張り直し、壁を黒と朱色に塗り直してすでにきれいな状態になっています。ここのタンス類を整理して飾り棚を作り、スポットを天井に設置。土間の横には安物の時計ストーブ、もしくは囲炉裏を設置しようと思っています。屋根裏に上る階段の横の壁はぶち抜いて、階段にも何か飾れるようにする予定です。その気になれば母屋の和室も繋げて使うことは可能ですし、また以前住んでいたところで定期的に自宅で開催していたようなコンサートも、この場所でできたら良いな~と思っています。こちらは、「ヌドキ」というメチャカッコええバンドが来てくださったときの動画です。先住犬のハロルドがウロウロしているのが映っていますね。懐かしいです。





本業があるとはいえ、やるからには人が来てくれるようになった方が良いに決まっているので、まずは地元の人以外の方がふらっと入って来てくれるための看板を作らなくてはいけません。ラッキーなことに、千ヶ峰の登山口&果樹園のお客さんが帰って来るときには嫌でもY字路の真正面で目に入る場所にあるのがこの建物です。おそらく素人さんが母屋に無理矢理繋げて作ったであろうこのプレハブは、自分で内装をリフォームをして今は寝室に使っています。この外装のままではあまりにもイケていないので、「古民家ギャラリー・オープンへの道」の第一弾として、この壁面を黒に塗ることにしました。本来ならばこのイケていない塗装をサンダーで磨いて剥ぎ取り、まずは錆止め剤を塗ってから塗装しないといけないのですが、そんなことに時間をかけている場合ではないので、「トタン板用・錆止め剤入りペンキ」を使うことにしました。まぁ、これで少なくとも10年は持つでしょう…。



こういった地味な作業は、あまりウダウダと時間をかけていると途中で嫌になってくるので、思い立ったら一気呵成にやってしまわないといけません。2日でできるかな…と思っていたのですが、思いの外、ペンキの粘度&ムラが気になったので3日かかってやっと完成しました!かなり雰囲気が変わりました!!







しかし、壁面が綺麗になると、今度は屋根のボロさが気になるのですがここはそれほど重要なポイントではないので、今回は目をつぶって次の作業に移ることにします。看板はY字路の正面&隣の壁面&エントランスの3箇所に設置しようと思っていますが、まだ名称も決まっていないので追々作ることにします。糸鋸盤で文字を切り抜いて作るか、単にペンキで描くのかまだ全然イメージ出来ていませんけど、看板は結構重要なのでもう少し時間をかけて考えてみます。
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2015年の夏が過ぎて秋の気配を感じる時期になりましたが、すっかりご無沙汰している「古民家シリーズ」。寒くなってきたので、昨年の冬に設置した薪ストーブのことをまだ記事に書いていなかったのを思い出しました!この家に越して来たときから薪ストーブの設置はずっと考えてきたことですが、ある意味、薪ストーブの導入は古民家に住む一番の醍醐味ですし、設置にあたっていろいろと反省点や注意をしなければいけなかったことがたくさんあったので、導入を考えている方の参考になればと思い、約1年遅れとなりましたが紹介させて頂きます。

薪ストーブの設置で事前に考えておかないといけないことがいくつかありますが、以下の3つが一番大きな問題点です。

・ストーブを置く場所
・煙突を抜く場所
・薪の確保の方法

ストーブを置くと一口に言っても、我が家のストーブの本体だけでも140kgありますし、床に置くレンガは1個2kgあるので100個敷き詰めると200kgになるので、そのまま床に置ける訳ではありません。本体とレンガだけでも合計340kg。そこに人間も何人か乗るし、周辺には室内に運び込んだ薪も置いておくことになります。なので、床下はピアノを置く以上の強度が必要になります。

そして、一番の問題は煙突を抜く場所です。煙突の排気原理は、温められた空気の上昇気流による自然排気なので、ファンなどを使って換気している訳ではありません。なので、配管を途中で曲げたりせずに、ストーブから真っすぐ真上に抜けているのが理想です。しかし、そうは言っても、真上に抜くということは天井を突き抜けて屋根に穴を開けることになるので、ちゃんと施工しないと雨漏りのリスクがあります。しかも、我が家はもともとは茅葺き屋根で、その上にトタンを張ってある古民家なので、さすがに茅葺きの中を高温になる煙突を抜くのは危険すぎます。なので、さんざん考えた結果、この場所に設置することにしました。





北側に面した窓をぶち抜き、そのひさしに穴をあけて真上に煙突を抜くという方法です。南側のひさしは瓦屋根なので施工が大変だけど、ここだとスレートに穴を開けて真上に煙突を抜けるし、新たに床を作って補強も可能。しかも、東西に長い部屋のちょうど真ん中に設置することになるので、一番好都合です。



自分でやって出来ないことはないと思うけど、さすがに雨漏り&重量物の設置などがあるし、部屋そのものを伸ばして家の構造自体を触ることになるので、入居のときにリフォームをお願いした工務店に頼むことにしました。見積もりを取ってみると、思ったよりも安くて助かりました。部屋の中央に設置すると部屋全体が暖かくなりやすいのですが、その分、煙突を壁まで横に這わせて長くなるし、当然煙突代も高くなる。しかも、横になった部分にタールや煤がたまって掃除が大変になる。さらに夏場は邪魔…。そういう訳で、我が家の場合はこの場所がベストという結論になりました。このテレビを置いてあった場所の窓を外して、部屋をひさしの下まで伸ばすという作戦です。



まずは柱を立てて、窓枠をつけるとこんな感じ。



窓を取っ払ってしまうと、壁と床が出来上がるまではしばらく部屋が開いた状態になるので、作業後はこんな感じでシートをぶら下げてありました。施工が11月だったので、すきま風でスースーしています。猫たちが逃げ出さないように、事務所(今は寝室に改装しましたが)に綴じ込め、私たちもそっちで寝ることにしました。猫たちが「部屋から出せ~」と文句を言っておりますが、まぁ、しばらく我慢してもらうしか仕方がありません。





その間に、薪ストーブ&煙突などの必要な部材が届きました。一口に薪ストーブと言っても、種類や大きさもさまざまです。一番安い物は、ステンレスでできた時計型のストーブもあるのですが、これはただの焼却炉みたいな構造だし、大きさも全然小さいのでパワー不足です。かといって、北欧のヨツールダッチウエストなどのメーカーだと、本体だけで60万ぐらいするし、煙突もそれと同じぐらいの費用がかかります。なので、我が家はホンマ製作所というところの中型機・HTC-60TXにすることにしました。これ、本家本元のサイトで購入すると17万ぐらいするのですが、とある地方のホームセンターの通販サイトで買うと¥117,500でした!同様に、煙突などのパーツもあっちこっちでネットで探しまわって安く手に入れることができましたので、本来予定していた金額よりもかなり安く購入することができました。

煙突のパーツって初めて間近で見ましたが、思った以上に大きい。これは煙突のトップ。内からの煙は出るけど、外からの雨風はしのぐ形になっています。



ストーブの本体を購入するときに気をつけないといけないのは、「送料無料」になっていたとしても、重量が梱包も含めて150kg以上あるので、一般の家庭では荷受けができないということです。仮に荷受け(トラックから降ろす)できたとしても、大人の男性が3、4人いないと段差を登って部屋まで移動させることができない。なので、工務店にお願いをして荷受け先になってもらい、運送業者のトラックからフォークリフトで降ろしてもらって、設置日まで預かってもらうことにしました。地元の工務店なので、全然嫌がらずにやって下さったので助かりました。

とりあえず、こんな感じで部屋らしくなってきましたが、ここからが紆余曲折いろいろと大変なことになっていくのであります。



薪ストーブを設置するにあたって、自分でもあれこれネットなどで調べて知識を得ていたのですが、実際にやってみないと分からないことがたくさんあって、そのために専門家の工務店にリフォームを依頼した訳です…が、この工務店もイマイチ薪ストーブのことには詳しくなかったらしく、最初は写真のような床とツライチにレンガを埋め込んでもらっていました。何だか「こんなに小さな面で床が大丈夫かな…」とは思っていましたが、実際に設置が完了してストーブを焚いてみると、レンガ以外の部分の床面も熱くなっているし、裏のガラスもかなり熱くなりました。
ガラスは絶対熱くなると思って最初から指摘していたのですが、「これだけ離れていたら大丈夫」と言うので、とりあえずそのまま設置。しかし、試しに本格的に焚いてみると、やはりガラスも今のままでは熱くて割れてしまいます。設置そのものの雰囲気はこの場所にしっくり馴染んでいて良い感じですが、なにがしかの対策をしなければいけません。



煙突はこんな感じで、最短距離で外に真っすぐ抜けていますので、最も理想的な設置場所のはず…です。



さて、初の火入れ式ですが、これも説明書に書いてあったので知識として知ってはいましたが、最初に火を入れると内部の塗料などが焦げて室内に煙が逆流。説明書に書いてある通りの事態が発生しただけなのですが、室内が煙だらけになって最悪…。





床とガラスが熱くなる件ですが、床は僕が出張に出ている間に完成していて、レンガの下に空気層も施していないとのことだったので、床を少し上にあげて空気層(空気の層があることによって、家の構造物の木材に熱が伝わらないようにする)を作ってもらい、レンガの面も床全体に広げることにしました。全部やり直しの指示出し。最初は床とフルフラットの方が良いかと思っていましたが、修正してみるとこっちの方が暖炉っぽくて良い感じになった!



背面は冬の間だけ設置できるように、ガラス面を保護する鉄板を作ってもらい、これも鉄板とガラスの間に空気が通る空間を維持できるようにしましたが、出来上がるまでしばらく時間がかかるので、当面はケイカル板というケイ酸カルシウムを板状にした不燃材を立てて使っていましたが、これだけでガラスには全然熱が届かなくなります。
同様に、見落としがちの天井部分ですが、我が家の設置場所はひさしの下なので天井までの距離も近いことから、上にもケイカル板で遮熱処理をしました。煙突が通る繋ぎ目にも、耐熱のグラスウールを巻き付けて、とにかく、どの部分の材木にも熱が伝わらないようにする必要があります。

ちなみに、ストーブの隣に置いてあるのは、仕事で作っている張り子の動物たちです。ストーブの周りの置いておくとあっという間に乾きますが、良い子はマネしないように…。



この薪ストーブが置いてある部屋は、全部繋げると30畳ぐらいありますので、真冬にガンガンに火を焚くと、ストーブ本体からものスゴい熱を放出します。ただ、ストーブそのものが熱くなるまでにそれなりの時間がかかるので、会社勤めの方が朝起きて、朝食を食べてすぐに出かけるというライフスタイルだと、全く使い物になりません。焚き始めてから部屋が温まるまでには2時間ぐらいはかかるかな…。僕は基本的にずっと家にいて仕事をしているので、自分の生活のスタイルに合っていないと使わなくなってしまうと思います。結局、一番効率良く部屋を暖めてくれるのは灯油のストーブです。灯油って、ホントにスゴい!





そして、ガンガンに火を焚くためには、当然、薪がたくさん必要になります。このときは、工務店の方が丸太を製材したときに出る端材の束と、使わなくなったパレットを大量に無料でくれたので、それをチェーンソーで解体して薪に使いました。
基本的に、薪に一番適しているのはクヌギやサクラ、ケヤキなどの広葉樹ですが、手に入れやすい杉や檜の端材はスカスカなのですぐに燃え尽きて、温度もあまり高くなりません。その代わり、広葉樹はメチャクチャ硬くて重いので、チェーンソーで切るのも斧で割るのも大変です。しかも、なかなか手に入らないし、買うとかなり高い。





なので、実家の田舎に帰ったときなどに拾ってきたり、近所で伐採があったときにもらって来たりする訳ですが、生木をそのまま燃やすとクレオソートや煤がたくさん出て、しかもあまり温度が上がらないので、割ってから1~2年乾燥させないといけないのです。
最近は電動のチェーンソーもあるけど、やっぱりパワーが全然違うので僕はスチール社のガソリン式を使っています。ただ、パワーはあるけどメチャクチャうるさいです。ウチは周りも農家ばかりで家が離れているし、普段から草刈り機やトラクターの音がしているので大丈夫だけど、住宅街では使えないぐらいのうるささです。



そうやって、冬が来る前に薪をたくさん備蓄しておく訳ですが、ホンマに大変…。僕は平日の昼までも仕事の手が空くことがあるのでコツコツ毎日薪のカット&薪割りができますが、サラリーマンの方が薪ストーブに手を出すと、毎週末、薪割りばかりしないといけないことになります。









思いの外、放熱がスゴくて、石膏ボードの側面、天井、正面の上の梁など、ストーブ&煙突から放射される熱が当たる箇所すべてが熱くなるので、念には念を入れてそれぞれの箇所にも空気層が確保できるためのケイカル板を立てることにしました。
せっかくなので普通の色ではなく、ちょっと冒険をしてみることにしました。その前に、パソコンで写真と組み合わせてシミュレーション。いろいろやってみたけど、ベンガラ色を採用することにしました。ペンキはこちらから購入。なかなか良い色が揃っています。

薪ストーブ(のみならず、ガスコンロも)で一番怖いのが、低温炭化という状態になることで、本来ならば木材は450度ぐらいにならないと発火しないのですが、低温の熱でも長期間曝され続けることによって木材は炭化し、発火温度が低い状態でも火災になるという現象です。なので、石膏ボードやレンガそのものは燃えなくても、その裏にある柱などの材木が熱くなる状態のままでは危険なのです。

できあがって来た背面の鉄板はこんな感じです。結構重たいので、半分に分かれるように作ってくれましたので、運ぶのが楽です。暖かいので、猫たちがさっそく集まって来てゴロゴロしています。真横はメチャクチャ熱いけど、少し下に寝転がると熱くなく、レンガが程よい暖かさで気持ちが良いらしい。ちびちびお酒を飲みながらほげ~っとするには最適の場所で、最高の贅沢です。





本格的に寒くなると、夏場は外している板戸を立てて部屋を仕切るとかなり暖かさが違います。さらに、火鉢にも炭を移して暖をとります。たったこれだけの火でも、室内に火があると暖かさが全然違うので、やはり火は偉大です。





そして、あまりやってはいけないことですが(でも、きっとみんなやってる)、ストーブの周りに洗濯物を干しておくと、冬場でも30分で洗濯物が乾きます!



火が熾火状態になったときには、やっぱりこれです!濡らした新聞紙で包んだサツマイモの上からアルミ箔で巻いて火の中へ。最高の焼き芋が完成です。





空気を撹拌するために、ネットでファンを購入。羽の色が気に入らなかったので、さっそく黒に塗りました。



毎回外に薪を取りに行く訳にもいかないので、室内に運び込むための薪置き場を作りました。室温に温められている薪は、外から運び込んだばかりの冷えた薪よりもよく燃えます。本格的に焚くとこれだけの量が一日で無くなるので、灯油ストーブと上手く組み合わせて薪の量を調整しないと、あっという間に薪が無くなります。



せっかくの熱なので、ストーブの上では常にお湯を沸かしてあります。飲み物の他にも、油物を洗うときなどに重宝します。人によっては煙突の中に水道管を通してボイラーを作り、そのお湯をお風呂に使っている人もいるようですが、そこまではするつもりもない。でも、やっぱりこの熱量を見ていると、何か他にも使えないかな~と思ってしまうんですけどね。



僕はあまり寒いのが嫌いではないので大丈夫ですが、ここが一番きれいなのはやはり雪が積もった朝です。周りの山が全部雪に包まれてメチャきれいです!ホタルや川遊びのときに来てくれるのも良いけど、寒いときにストーブの前でお酒を飲みながら語り明かすのもなかなか良いです。是非、冬の我が家にお越しくださいね。







あれこれ設置や管理が大変な薪ストーブですが、その大変さを補ってあまりある魅力があるのが薪ストーブ。室内でパチパチと火が爆ぜる音が聞けるのは、何とも言い難い心地よい空間です。
昨年は薪ストーブを使った料理は焼き芋しかやっていませんが、この冬はパン焼きやピザ作りにもチャレンジしてみたいと思っています!
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「最期の乗車位置①」からの続きです。

情報交換会が始まるまでの間に、JRの担当者が集めてくれた負傷者から聞き取ったデータを整理し、その中から「人」を特定できそうな情報をピックアップして、大きなマップに整理番号と共に転記しました。そのデータはかなりの分量で、正直、JRの職員がそこまでやってくれるとは思っていませんでしたが、集まったデータのひとつひとつからは、生き残った人たちがどのように飛ばされて、どういった状況の中で助かり、周囲にどんな人がいたのか…という情報が浮かび上がってきました。転記した情報以外の内容も遺族が閲覧できるようにファイルにまとめ、全ての準備が整いました。

「誰も来てくれなかったらどうしよう…」と思っていた情報交換会ですが、実際には、負傷者や救助にあたってくれた周辺の企業の方などがたくさん来てくれて、乗車位置を知りたいと願っている遺族に話をしてくました。中には、車椅子で会場に来てくれた子もいましたし、まだ包帯を巻いたままの状態の人もいました。こんなにたくさんの方が遺族のために会場まで来てくれて、一生懸命話をしてくれている姿を見ていると涙が出てきました。きっと、来場してくれた負傷者の皆さんも、それまでは遺族にどんな顔をして会えばいいんだろう…と思っていたかと思いますが、逆に自分たちを気遣ってくれる遺族にとても感謝をしていたと思います。
会場にはJRの職員も数名スタッフとして参加してくれていて、普段の黒いスーツ姿だと威圧感があるので全員私服で来てもらいました。来場してもらったら、後日追加でお話を聞きたいと思った場合に連絡をしても良いかということを確認をして、お名前と連絡先を記載してもらい、整理番号を書いたシールをお渡しします。まず、1~7両目の車両図に、事故前に自分が座っていた場所に貼ってもらい、亡くなった方がいた1~3両目までに乗車していた方には、拡大マップの方に事故後に飛ばされていた場所にシールを貼ってもらって、そこで目にした「人」に関する情報を書き込んでもらいました。後日分かってきたことですが、脱線転覆してマンションに激突した2両目の進行方向左側の座席と、1両目の先頭部分にはほとんどシールがつきませんでした。つまり、その場所の生存者はあまりいないということを意味しています。
車両が分かっている遺族は、その車両に乗っていた負傷者にいろいろと話を聞いていましたが、その話の内容をJRの職員やボランティアの皆さんが、一言も聞き漏らすまいと必死になって耳を傾けて書き取ってくれていました。その姿を見ていると、被害者と加害者の関係って一体何だろう…と思いました。JR西日本という組織には随分嫌な思いをさせられてきましたが、そこで仕事をしている一人一人は、けっして悪い人ばかりではありません。彼らもきっと、遺族と負傷者がこうして一生懸命乗車位置を探そうとしている姿に、とても心を打たれたと感じています。
この最期の乗車位置の取り組みの担当をしてくれたJRの職員は、もともと新幹線の運転士でした。新幹線の運転士といえば、運転士の中でも皆の憧れのエリートです。その彼が被害者対応の部署に配属され、きっととても複雑な気持ちだったと思いますが、本当に誠実に対応してくれました。後日、僕が国土交通省の意見聴取会に参加するときに、たまたま同じ新幹線の後ろの席に彼が乗っていました。ひとりでお菓子を食べていたので、なんだか気の毒になって、テレビ局の方に頂いた唐揚げを、彼にもお裾分けしてあげました。こういった関係があるのは、おそらくどこにも伝わらない話だと思います。

そういった光景とは裏腹に、情報交換会の中では悲惨な現場の話を耳にすることになりました。覚悟をしていたとはいえ、中には背骨が見えている人がいたというような話を耳にしなければいけませんでした。Aさんは途中で会場を抜け出して一人で泣いていましたが、妻が後を追いかけて、ずっと一緒に彼女についていてくれました。
僕は普段から結構人の顔を覚えている人なので、乗車位置を探している遺族の方の2名のお顔を覚えていました。しかし、普段は2両目に乗っていたというのはお伝えしましたが、事故当日、2両目に乗っていたのかは覚えていませんでした。乗車位置を探していた遺族ではありませんでしたが、僕が事故後ずっと気にかかっていた方がいます。知り合いでもなんでもないのに、何年もずっと同じ車両に乗り合わせていた人に対しては不思議な親近感があり、そういった意味で、電車は他の交通機関と少し違う意味合いを持った乗り物です。


「或る遺族の存在」
事故後 ずっと探し続けている女性がいた

私はあの事故に遭うまでの約四年間
毎日同じ電車の同じ車両に乗り続けていた
あの事故車両の始発駅となる
JR宝塚駅までの普通電車にも
毎朝同じ電車の同じドアから乗り込んでいた

そこに 事故後私が探し続けていた女性と
彼女の夫がいつも乗車していた

あの日 いつものように普通電車に乗り宝塚駅へ向かった
その日は彼女の夫だけがそのドアの近くに立っていた
「今日は、奥さんはいないのか…」と思ったのを覚えている

私には彼らを記憶している理由があった
会社の場所がすぐ近くなのだ
大阪駅を降りてから いつも同じ方面に歩いていた
昼食時にも 近くの店で見かけた事も何度かあった

宝塚駅で東西線に乗り換えた時には
私の前を彼が歩き
いつものように二両目の一番後ろのドアから乗り込んだ

そして いつものように同じような場所に座った
事故後 ただの顔見知りで他人だった彼の安否を探し続けたが
結局私は 事故から一ヵ月後に彼が死亡していた事を知った
私と同じ車両 同じような条件にいた彼が亡くなったのだ

それから私は いつも一緒に乗っていた彼の妻を探し始めた
会ったところで 何を話していいのかもわからないが
探さずにはいられなかった
恐らく私は 自分が彼の最期の姿を記憶している唯一の人間だ
という意識が引っ掛かっていたのだ

しかし どうする事も出来ずに時間だけが経過した

事故から一年目の慰霊式の日 私は偶然彼女に出会う事となった
私よりも年上と思われる彼女は とても美しく
私は彼女に対して 仕事をする女性として輝いている印象を持っていた
しかし そこで見た彼女の姿は全く違っていた
まるで魂を抜かれた人のように精気が無く
頬がこけてやつれていた
私は あまりにも変わり果てたその姿に絶句した

私が彼女と出会ったのは 慰霊式後に開催された
事故直前に被害者が乗車していた場所を探す取り組みの場だったので
私は 彼女が夫の乗車していた状況を知るためにこの場に足を運んだものと感じ
思い切って声を掛けた

「彼は二両目に乗っていました」とお伝えしたが
「それは分かっていますけど…」と言われたきり 言葉が続かなかった
そして 彼女は消えるように会場を去って行った

あれから一度も彼女を見掛けた事が無い
私自身もあまり二両目には乗らなくなってしまったが
時折 事故当時と同じ位置に座ってみる事がある
周りは見覚えのない顔ぶればかりだ
勿論彼女もいない

再び見掛けたところで何を話せばいいのかもわからない
でも 事故前までは活き活きと夫と共に仕事場に向かい
それまでは 車内でも一際輝いて見えていた彼女の変わり果てた姿が
今でも脳裏から離れない

私は彼女に一体何を求めているのだろう
彼女に何を伝えたいのだろう
私の鬱積したこの気持ちを吐露したいだけなのだろうか
もしそうであるとするならば
何て身勝手な
何て不誠実な心理なのだろう



そんな中、宝塚で開催した情報交換会の場で奇跡的なことが起こりました。2両目に乗車していた生存者が、亡くなった方が座っていた場所を覚えていたのです。奥さんを亡くした旦那さんがずっと乗車位置を探していたのですが、とても感激しておられました。事故から1年も経過した後で、砂漠の中から砂粒を探すような作業で本当に乗車位置が分かることがあるなんて。きっと、覚えていた負傷者もずっと気になっていたんだと思います。奥さんの座っていた位置が分かった旦那さんは、今でもこの乗車位置の取り組みのことはずっと感謝してくれています。
ちょうどその頃、負傷者とその家族の体験を集めて手記集の出版の準備をしていたのですが、2両目に乗車していた女性の記述の中に「目の前に薄いピンクのコートを着た女性が座っていて、本を読んでいた」という箇所がありました。それが切っ掛けで、もう一人の乗車位置も判明しました。「亡くなった娘が最期に座っていた場所に座ってあげたい」と言っていた父親の願いが叶った訳です。

しかし、途中からこの活動は僕が予想もしなかった展開になっていき、その流れを止めることはできませんでした。乗車位置を一緒に探している遺族の中に、新聞社に彼らが持っている写真を見せて欲しいと依頼をしている人がいましたが、最初は、いずれの社も規則としてそれはできないということで断られていました。正直、僕としてはほっとしていまいした。情報交換会で負傷者や救助をしてくれた人の口から語られる言葉には、たとえそれが悲惨な話であったとしても人としての温かみを感じることができる行為ですので、そこから納得をする手立ての切っ掛けをもらえるのではないかと感じていました。しかし、膨大な数の写真を見るという行為は事務的で、狂気に近い苦悩しかないような気がしていました。なので、できればそういった写真は見ないでほしいと願っていました。
きっと報道関係者も遺族のために善かれと思って決断して下さったのでしょうけど、一社が特別に見せても良いということになったら、次々と他の社も見せてくれることになりました。パソコンの画面に映し出される写真の、次に血だらけの家族が写っているかも、もしかして次に…と思いながらクリックを続ける行為は神経をすり減らされたことでしょう。この、「写真を見る」ということに関しては遺族の中でも考えが分かれたので、見に行く人と見に行かない人は、それぞれの判断に任せることになりました。そして、「血だらけになっている自分の家族の姿を他の人に見られたくない」という思いもあって、希望する方は個別にメディアにコンタクトを取って見に行ってもらうことにしました。さらに、次はテレビ局まで映像を見せてくれることになりましたが、案の定、その頃から皆の体調が悪くなり始め、痩せていく人がいたり下痢になったりする人がいました。僕としては、メディアは「見せない」という最初の方針を貫いてほしかったなと思っています。

事故から1年目の4月25日の慰霊式の後、午後から第4回目を開催して、当初計画していた情報交換会が終了しました。最終的に乗車位置まで分かったのはお二人だけでしたが、警察や消防、レスキューなどにも聞いて回った結果、乗車車両は全員判明しました。ただ、皆の世話をして一番一生懸命頑張っていたOさんだけが判明せず、とても落ち込んでいましたし、一緒に探し続けた仲間も気を使っていました。

事故から1年目が経過した6月に、事故直後に救助に駆けつけてくれた日本スピンドルの会社で情報交換会をさせて頂けることになりました。日本スピンドルは、工業用品などを製造している工場ですが、事故当時、警察、消防、レスキューよりも早く様々な工具を持って駆けつけてくれて、献身的に救助に当たってくれた企業です。仕事の手を止めて、救助に関わった社員が全員食堂に集まって下さり、広げたマップを囲みながら当時の様子を書き込んでいってくれました。スピンドルの皆さんの情報は、事故後の情報ですので乗車位置が判明することは無かったのですが、Oさんの旦那さんを1両目の穴の中から運び出してくれたという社員に巡り会うことができました。何だかドラマのような展開ですが、これで乗車位置を知りたいと願っていた遺族全員の車両だけは判明しました。乗車車両が判明したこともそうですが、仕事の手を止めて、会社をあげてこの取り組みに協力して下さったことにとても感激しました。その後、追加で2回情報を集めるための場を持ちましたが、乗車位置が分かる情報は集まりませんでした。
こうして、乗車位置を知りたいと願う遺族と私たちが、持てるエネルギーの全てを注いで取り組んだ最期の乗車位置探しの活動が終わりました。協力をして下さった関係者の皆様、情報交換会に来場して下さった負傷者や周辺住民の皆様、丁寧な報道をして下さった記者の皆様、そして、全力でこの活動に取り組んでくれたJRの関係者の皆さんにはとても感謝しています。乗車位置が分かったところで亡くなった家族が帰ってくる訳ではありませんが、少しでも亡くなった家族を近くに感じたいという遺族の願いに、多くの方が共感して下さった取り組みでした。


乗車位置探しの活動が終わった2006年5月。Oさんと、普段、あまり自分からは意見を言わないAさんが、朋子の誕生日会をしようと言い出してくれたので、乗車位置探しのメンバーの比較的若い子たちが集まって我が家でパーティーをしました。Aさんがケーキを買ってきてくれて、そしてなぜかもうひとつの大きな紙袋の中にリラックマのぬいぐるみが入っていました。亡くなった夫がプレゼントしてくれたものを持ち歩いているとのことでしたが、ケーキの紙袋と一緒に、大きな袋を両手に抱えて駅から歩いて来る姿が滑稽で、皆に「なんでそんなデカいものを持ち歩いてるの~」とからかわれながらも、周りの仲間は、皆、その気持ちが理解できない訳ではありませんでした。
最初はなかなか打ち解けてくれなかったAさんですが、乗車位置を探す活動の中で徐々に仲良くなって、こうして妻の誕生日会をしようと言い出してくれたことがとても嬉しかったです。子供の頃に歌手になるのが夢だったというAさんが、妻のためにマリリン・モンローの真似をしながらHappy Birthdayを歌ってくれました。
6月には、Oさんともう一人の仲間の誕生日会をしました。この会が終わった後に、Aさんが「次は聡さんの誕生日会をしよう!」と言ってくれていましたが、それは叶いませんでした。

6月の末、1泊2日で乗車位置の仲間で温泉旅行に行きました。ある遺族の方からお聞きした話の中で、ずっと落ち込んでいたら「いつまでも悲しんでいたら、亡くなった方が浮かばれないよ」と言われ、笑顔で過ごしていたら「もう立ち直ったのね」と言われて、泣くことも笑うこともできずに、これまでお付き合いのあった人たちとも疎遠になってしまうという話をお聞きしました。事故から1年なんて、僕たちでもまだ何も整理がついていなかったし、事故直後よりずっと大変な時期だったのに…。
ワンボックスカー2台に分かれて丹後半島に行きましたが、きっと周囲から見ると何の集まりなのかな?と思うほど不思議なグループだったと思います。夫を亡くした妻、子を亡くした両親、親を亡くした娘、そして僕たち夫婦でしたが、なんだか修学旅行のように皆ではしゃぎまくって、夜の宴会ではカラオケ大会もして、子供のようにケラケラと皆たくさん笑いました。そして、Oさんのバイオリンと朋子のピアノ&僕のギターで、「ダニーボーイ」と「Summer(菊次郎の夏)」を演奏しました。宿の方も趣旨を理解して下さって、普段はライブ会場として使用しているバーのピアノを使わせて下さいました。浴衣姿で音楽を聴きながらバーでお酒を飲み、事故のこととは全然関係ない話をしながら、なんだか久しぶりにとても楽しい時間を過ごしました。
この2日間で皆で一緒に撮った写真がたくさんありますが、きっと報道関係の皆さんはこんな遺族の表情は見たことがないと思います。皆、とっても良い表情をしています。遺族と生き残った人間の家族が一緒に温泉旅行に行ったときのことなんて決して報道されることはありませんが、僕が関わった取り組みの中で、これ以上に心に残ったことは他にありません。

事故から1年半の10月15日の朝、Aさんのお兄さんから、今朝、Aさんが亡くなったとの連絡がありました。Aさんと手紙のやり取りをしていたので、そこに書かれてあった連絡先を見て、我が家に電話をくれたとのことでした。全く予想していなかった訳ではありませんでしたが、あまりのショックで感情が停止しました。彼女が住んでいたマンションの11階から飛び降りて自殺をしました。
最初に思い浮かんだのが、Aさんと一番仲が良くて、彼女と同じく夫を亡くしたという立場のOさんのことでした。とにかく、まずOさんのところに行こうと思って彼女に電話をして「今から行くから」と言うと「なんで来るの?何かあったの~」という感じだったので、「まぁ、とにかく今からすぐ行くから待ってて」と言って、何の準備もせずに妻と一緒にOさんの家に向かいました。彼女の家に着くとすでに誰かから連絡があったようで、「勝手に先に一人で死んで…」と怒っていました。
その後、Aさんのお通夜や葬儀の件に関しては家族から連絡も無く、何もすることがないままOさんの家で会話もせずに、じっと待つだけの張り詰めた時間が流れていきました。途中、一緒に誕生日会をした乗車位置探しの仲間がOさんの家に来ましたが、4人で黙ったまま連絡があるのを待っていました。

夕方になってAさんのお兄さんから連絡があったので、教えてもらったAさんのお母さんのマンションに向かいました。このときに初めてAさんのお母さんとお兄さん夫婦に会いましたが、お母さんはとても小さな人で、こんなに小さな肩に大きな悲しみと苦悩がのしかかるのかと思うと、胸が苦しくなりました。彼女の遺書の中にはたくさんのことが書かれてあり、報道関係に出すための写真も準備されていました。彼女が書いた絵本のストーリーには、こんなことが書かれていました。仲良しの男の子と女の子のクマさんは、貧乏だけど毎日幸せに暮らしていました。でも、事故で男の子のクマさんが死んでしまった後、女の子のクマさんは寂しくて死んでしまいました…。
きっと彼女は、随分前からこの結末を心に決めて準備をしていたのでしょう。彼女が13年間一緒に過ごしてきた相手とはまだ正式には結婚をしておらず、当時、JRにはただの同居人としての対応しかされていませんでした。相手の親にもお付き合いを認めてもらえていなかったようで、葬儀への参列も拒否されていたようです。僕は、彼女がこうした準備をして自殺をしたのは、きっと「彼の妻は私なんだ」ということを命をかけて周りに知って欲しかったからだと思っています。JRからも、相手の親からも、そして世間からも彼の妻だと認めてもらえず、きっと悔しくて苦しくてこういった方法しか思いつかなかったのだと思います。

翌日、乗車位置を探したメンバーと一緒にお通夜に参列しました。けっして裕福ではなかったAさんのご家庭が準備できた葬儀のお部屋は、とても小さな会場でした。その会場の大きさが、JRという巨大企業によって追い詰められ、彼女がもがきながら闘ってきた力の大きさを象徴しているように見えました。その会場の周りには、まるでテレビドラマのようにもの凄い数の報道関係者がすでに集まっていて、細い道を埋め尽くすような状態になっていました。
ちょうどその日、JR西日本の社長は何かのイベントに参加する予定があったようで、代わりに被害者対応本部の人が2名と、Aさんの担当者2名が葬儀場にやって来ました。メディアに囲まれてもみくちゃにされながら、最初は遺族から参列を拒否されていましたが、Aさんの母から彼女の思いを知って欲しいということで列席してもらい、彼女をお見送りすることになりました。高い所から飛び降りたのに、幸い彼女の顔はきれいなままでした。僕の中では、棺の中に入っているのはおじいちゃんかおばあちゃんというイメージしかなかったので、若い彼女が入っていることにとても違和感がありました。
部屋の隅では、JRの職員が正座をして小さく縮こまっていて、Aさんの担当だった若い社員はうつむいて泣いていました。この場にいる全員が不幸で、何かの歯車が噛み合わなくなって一気に崩れさり、その誰もが救われない状況の中にいるように感じました。

告別式が終わった後、泣き崩れるOさんの肩を抱えて階段を降りて行くと、ドアの前には無数の報道陣が待っていました。乗車位置探しの記者レクチャーの場にもいてくれて、一緒にこの取り組みを支えてくれた多くの記者の顔が目に入りました。先に僕が一人で出て行くと、仲良くしていた記者の一人が「小椋さん、この場にいる記者の目的はたぶん皆同じだと思うんですけど、Oさんのコメントってもらうことができますか…」と申し訳なさそうに聞いてきました。彼女はとてもそんな状況ではなかったので、「申し訳ないけど、今日はそっとしておいてもらえませんか」とお伝えすると、その場にいた記者の皆さんはそれ以上しつこく聞くこともなく、駐車場までの道を空けてくれました。
とてもOさんを一人で彼女の家には帰せなかったので「ウチに来るか?」と聞くと、素直にうなずいたので、一緒にいた乗車位置探しのメンバーに「しばらくウチで預かるから」とお伝えしました。皆、「小椋さんのところにいてくれるなら安心だから、そうしてあげて」と言ってくれたので、我が家に連れて帰ることになりました。

我が家に帰る途中、記者の方から電話がかかってきて、「Aさんが自殺をしたのは、JRに生活費を打ち切られた生活苦が原因なんでしょうか?」と聞かれました。とある遺族の方からそう聞いたとのことでしたが、そんなことを勝手にメディアに言うことに対してもの凄く頭にきました。
彼女の命をかけた叫びを、「生活苦」という言葉で報道されることだけは許せないと思いました。途中で車を停めて、Oさんと妻と3人で手分けをして知っている記者全員に電話をして、彼女の死の原因はそんな理由では無いということをお伝えして、いったん報道を止めてもらうことにしました。多くの記者はそれを理解してくれましたが、間に合わなかった番組では「生活苦=JRが追いつめた」という内容でセンセーショナルに報道されてしまいました。

そこから約1ヶ月半ほどOさんは我が家にいましたが、遺族と生き残った人間の家族が一緒に生活をするなんて、おそらく他では考えられないことだと思います。会社から僕が「ただいま」と帰ると、「おかえり~」と二人が出迎えてくれる不思議な生活でした。一緒に買い物に行って、ワイワイ食事の準備をして楽しい時間を過ごすこともありましたが、突然泣き出したり、思いをぶちまけるような場面もありました。僕も、それから3年ほど安定剤と睡眠薬を服用するようになりましたが、きっとこうした生活の中ででも、妻の朋子には大きな心の負担がかかっていたのでしょう。
12月になって、Oさんは「家で主人が待っているような気がする」といって帰って行きました。妻の調子が悪くなってからは、逆にOさんが彼女を支えてくれるようになりました。今でもよく電話がかかって来ますが、ときどき朋子を一緒に食事に誘ってくれたり、大阪の教会に行った帰りに一緒にカフェに行ったりしているようです。こちらに越してからも一度泊まりに来てくれて、今となっては普通の友達として仲良くできていることをとても嬉しく思っています。

僕にとって、この最期の乗車位置を探すという取り組みはいったい何を意味していたのでしょう。あまりにも激動の日々を過ごして来ましたので、その渦中にいるときには考える余裕もありませんでしたが、この活動は、人が人を思うことの根源的なところに根ざしているような気がしています。亡くなってしまった人は物理的にはもうこの世にはいない存在なのですが、少しでも近くに感じたいという遺族にとって、乗車位置を探すことそのものが、亡くなった人を自分の中に存在させるという行為そのものなのではないかと感じています。僕自身も、それまでは「106名の亡くなった乗客」という漠然とした存在だったのが、「亡くなった方=一緒に乗車位置を探した仲間の大切な家族」という存在に置き換えられました。事故現場に行って思い浮かぶのは、必死になって服装や靴の色などで場所を探した続けた彼らの顔なのです。

事故から10年目を迎える前の日に、遺族の有志が主催する「追悼のあかり」が事故現場で執り行われ、一緒に乗車位置を探した遺族の方や4・25ネットワークの方がたくさんおられました。他の方は同じ立場の人同士で集まって話をしている中、久しぶりにお目にかかるのに「小椋さん、朋ちゃん、久しぶり~」と遺族の方が声をかけて下さって、皆さんと普通に会話をすることができました。その関わりが、我が家がこれまでに過ごしてきた濃厚な時間を象徴しているように感じました。妻が、子供を亡くしたお母さんたちと一緒に楽しそうに話している姿を見ると、改めて彼女の懐の深さと人に愛される存在であることを思い起こさせてくれました。
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