名前ってもんが世の中にはあって,現実空間においては,わりかし大切な役割を果たす.

で,世の中には,本名がいいか,匿名がいいか?という問題がある.


しかし,考えてみれば,名前ってのはある人物の存在の本質に与えられるものではなく,現実空間で動き回るときの個人に対して現実空間での利便性などを考えて割り当てられているものなんだろう.

仮想世界が無い時に作られた制度であるし.

また,現在の苗字・名前というシステムは,太古の昔からあるものではない.かなり最近になってからのものだ.人間の脳が現代人の同様の機能を備えたのは,現在の名前制度が作られたときより昔であることを考えると,より一層,本名という制度がそれほど人間の存在にとって本質的なものではないように思えてくる.


で,何が言いたいかというと,しょせん本名といっても,現実空間において大切なだけであるから,仮想世界で生きるときには,また別の名前があってもいいのではないか,ということ.現実空間に視点をおいて考えれば,それは匿名かもしれないけれど,その仮想世界での名前が仮想世界において,本名が現実で果たすような役割を十分に果たすものであれば,十分に仮想世界の名前だって大切なものなのだろう,ということです.

ネームの重要性は場にも依存して決まってくるだろう,という話.

で,その仮想世界における名前が,現実での本名並に大切な世界の一例は,モバゲーじゃないかな,と.モバゲーでは同じ携帯電話を使う以上,名前の変更が不可能に近い.(一度だけ可能.)解約して再度登録しても,同じ名前になる.携帯電話は頻繁に変更することは難しい,ということの御利益で,モバゲーでの名前が個人を十分に特定するに足る機能を果たしている.