時間は三つの時制―
過去、現在、未来からできていると考えられている
それは間違っている
時間は過去と未来だけでできている
現在からできているのは生だ
だから生きたいと思う人は
この瞬間を生きる以外に道はない
存在するのは現在だけだ
過去とは、記憶の寄せ集めにほかならない
そして未来とは、あなたの空想、夢にはかならない
リアリティは「今、ここ」だ
現在は時間とは無関係だ
あなたがこの瞬間にここに在るなら
時間は存在しない
そこには途方もない沈黙、静鑑さ、停止がある
何ひとつ去来するものはない
すべては忽然と停止している
現在は、生という水に深く飛び込む機会を与える
あるいは、生という大空に高く舞い上がる機会を与える
だが、その両端に危険が待ちうけている
「過去」と「未来」ということばは
人間の言語において、もっとも危険なことばだ
過去と未来の間で現在に生きること
それはまさに綱渡りのようなもの
両側に危険が待ちうけている
だが、ひとたび現在という瞬間の豊潤さを味わえば
あなたはその危険をも顧みない
ひとたび生と同調したら、問題は何もない
私にとって、生こそ現存するものすべてだ
「ゴールド•ナゲッツ」
生きるというのは、今のこの瞬間を生きるしかない、ということ。
OSHOは、徹頭徹尾「今この瞬間を生きる」ということを言いつづけています。
でも、今を生きるってどういうことなのかが、なかなかわかりませんでした。
もうその時点で今ここを生きることを逃しているんだから救いようがないわけです。
「今を生きる」ってどういうことなんでしょう?
あなたにとって「今を生きている」って感じているときってどういうときですか?
愛している人と一緒にいるとき?
仕事をしているとき?
サーフィンしているとき?
ロードレーサーの自転車に乗っているとき?
ジョギングしているとき?
自分の好きな趣味のことをいているとき?
あるいは死と隣り合わせのような危険なスポーツ、ロッククライミングとかをしているとき?
バンジージャンプの瞬間とか?
ジェットコースターに乗って、まさに急坂を下ろうとするとき?
何か、そういうときって、ワクワクして、エクサイティングであったりしますよね。
ジョギングなどでも、最初は苦しくても、走っているうちにどこまでも走っていられるような、身軽になって、爽快なエクスタシーを感じたり。
死と隣り合わせの経験をしたとき、そこにはまさに「生きている」というリアリティを感じます。
それってある意味、瞑想状態でもあります。
マインドはなくなって、無の状態になっています。
そのとき、時間はなくなっています。
過去も未来もなく、まさにこの瞬間を生きています。
瞑想というと、何か浮世離れした修行をするようなイメージがあったりしますが、「今ここ」にいることが瞑想です。
その瞑想のような状態は、坐禅やヨガをしているときだけではありません。
ジョギングをしたり、ダンスをしたり、夢中になって何かに取り組んでいるとき、死と隣り合わせにあるようなとき、愛の中にあるときなどでも感じることができます。
この瞬間にここに在るような体験。
途方もない沈黙、静鑑さ、停止がある
何ひとつ去来するものはない
すべては忽然と停止している
このような体験を感じられるとき、それが「今ここ」にあるということです。
生きたい人々―ー
生について考えるのではなく
愛する人々
生について考えるのではなく
生きる人々
生を哲学的に思索するのではなく―ー
彼らにとってほかに選ぶ途はない
それならば、その瞬間の豊潤さを飲み干しなさい
最後の一滴まで絞り出しなさい
この瞬間は二度とやっては来ないからだ
一度行ってしまったら、永遠に戻っては来ない
二度とやってこないこの瞬間。
二度とないこの人生の豊潤さを飲み干したいものです。
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