「私とはなにか」
それは哲学的な問いとなり得ます。
しかし、OSHOは哲学的な回答をしません。
質問者が、実際にそのことを体験できるようにと、そのための瞑想をガイドします。
シュンニョは書いています。
「私はひとりで、松やユーカリの並木のある美しい通りを散歩しました。季節はずれで別荘地はがらんとしています。
私はそうして散歩しながら『私とはなにか』を理解しようと試みました。
どれだけ考えても答はでません。疑問はなくなりませんでした。
目を閉じると、波のように打ち寄せてくるエネルギーがあります。私とはそのエネルギーなのでしょうか?
それとも私とは、そのエネルギーの表現なのでしょうか?
それとも私とは、そのエネルギーの気づき(アウェアネス)なのでしょうか?
OSHOはこんなふうに言います―――
アウェアネスというかたちになったエネルギーは、存在の中心のもっとも近いところにある・・・・・・
すべてはひとつのエネルギーだ・・・・・・
だが、思考や表現においては、エネルギーは周縁部へと向っている。
OSHOは言います―――
一歩一歩、うしろのほうに落ちてゆきなさい。
・・・・・・それは源にもどる旅だ。
そしてその源こそ、あなたが体験するべきものだ。
それはあなただけの源ではなく、もろもろの星や月や太陽の源でもあるのだから。
それは万物の源だ」
「OSHOと過ごす、ダイヤモンド日々」
http://u111u.info/kBc1
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