テーマの説明
◎徒然:日々想うことや出来事など
◎携帯:文字通り携帯から投稿
◎随想:心の襞に触れてみたり
◎迷走:主に仕事上のトラブルなど?
◎記憶:思い出の映画、ドラマ、書籍等
◎過去:昔の思い出なんか語ったり
◎新築計画:新居のレポート
◎ヒーロー:マイ・ヒーロー列伝
◎PC:パソコン及びネット関係の記事
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本日は家族揃って「世界遺産の旅」に出かけてきた。
その詳細は気が向いたら後日アップする予定であるが、それはまぁさておき今回の記事は帰宅後の父と息子の会話より。。。
息子「明日はパパもママも仕事なの?」
僕「うん。そうだよ」
息子「じゃあまた僕一人?」
この夏休み、娘(姉)の方は部活や友達と遊ぶのに夢中で家に全然いない。息子の方も友達と遊んだりするものの姉に比べればたしかに家に一人でいる時間は長い。だが長いといってもせいぜい数時間。
僕「でもさぁ?一人といっても明日はパパは2時半頃まで家に居るしママは夕方には帰ってくるから一人の時間は正味2時間ほどじゃない?」
すると息子は小さなため息をついてこう言った。
「一人がどんなに孤独で寂しいものかパパは知ってる?」
す、すいません。パパは一人でもあまり寂しいとか思うタイプじゃないので知りませんでした。
とても哲学的かつ説得力のある君の言葉・・・胸に刺さりました。
息子にとっては例え一日数時間でも「独りでいる」ということにまるで100年の孤独を感じていたのだね。
でもさ?男の子なんだからもうちょっと強くなって欲しいな。
例えばいきなり何ヶ月も一人旅に出てその辺で野宿したり旅先で知り合ったヒトの家に泊めてもらったりメシ食わせてもらったり素敵な出会いがあったり新聞沙汰になったり事故ったり怪我したり遭難しかけたり死にそうになったりまではしろとはいわないが。誰かさんみたいに。
俺の名はK。
巷で流行のビリー・ザ・ブートキャンプに頼らずとも理想的なボディーラインを身につけたオトコさ。
まぁ、身につけたというよりはこの1年間の仕事における過剰な肉体酷使が原因で勝手にそうなったというの方が正しいのだが。
ちなみに現時点のスペックは身長175cm(0・5cmほどサバ読み)、体重60kg、体脂肪率9%というトコかな。
この数値だけ見るとかなりの痩せ型というかガリガリ君みたいに感じるかもしれないが、実際には無駄な贅肉はどこにもなく筋肉が必要充分なだけ付いた状態ともいえよう。
自分で鏡で見てみると「まるでプロボクサーみたいな身体だな」というのが正直な感想なのさ。
そう・・・今俺は美しいっ!まさに太陽の子アポロン?アポロンなのか!?
そしてこれほど痩せると今まで似合わなかったタイプの洋服(例えば身体にピッタリのシャツとか)もバッチリ決まる。
少しユニセックスなデザインのポロシャツにスキニーフィットのパンツなんか履いた日には「あぁっ!?なんてカッコいいんだっ??まるでモデル!?古い言い方をすれば『デルモ』なのか??」と悦に入っている状態・・・ていうか完全にイタいヒトだなこりゃ?
だがこんなナルシストぶりにますます拍車がかかっている俺に向かって妻が一言呟いた。
「あのぉ・・なんか痩せてから『性的魅力』というものが全く感じられないんですけど・・・」
お・・・うぉぉ・・・何かが心に突き刺さったよ・・・直撃だよ・・・痛い・・痛いよ・・・
たしかに急激に痩せてから顔つきとか貧相になった気がするし、身体全体が小さくなったせいで貫禄みたいなものも無くなっちゃったしね。
自己満足を得た代わりに世の中の女性に対するセックスアピールみたいなものを失っちゃったわけか・・・
「自分を愛していないと他人を愛せない。だからといって自分を愛しすぎると他人からは愛されなくなる」(Kの名言集より)
これぞまさにC'est la vie(それが人生だ)。
こうしてロンギヌスの槍 を突き立てられた俺の「一人ブートキャンプ」な日々は終わりを告げた。
やっぱりいくら痩せてもモテなくなったら意味無いし! ←健康とかはどうでもいいのか?
宝物にしているとても古い2ちゃんねるのログ(2001年10月)を読み返している。
僕が参加していたわけではない全く関係の無いスレッドなのだが、そこには僕の憧れの女性が登場する。
そしてログに登場する彼女を取り巻くファンの人々と僕の気持ちが面白いほどシンクロする。
憧れの人と身近に話せる喜び。だがそれによって逆に思い知らされる彼女との距離。どんなにあがいても決して現実の彼女には触れることの叶わない切なさやもどかしさ。
そんな色々な感情のエッセンスを撒き散らしながらも「夢のひと時」ともいえるスレッドは淡々と続いていく。
だが夢はあっけなく終わる。
嵐に晒された彼女はスレッドから姿を消し、そして我々の目に見える世界からも消えてしまった。
それからもう6年近く経った。
ずっと消息が知れなかった彼女がちゃんと元気に生きていることが分かった。
僕は彼女のブログにコメントすることが出来た。レスも貰えた。
ついにあの「ログの住人たち」と同じになれた気がした。
そしてやっぱり切なくなった。
夢はあくまでも夢なんだとね。
息子の所属するスポーツクラブの強化練習に弁当を届けに行った奥さんが帰宅するなり「信じられない!」を連呼しだした。
「ナニゴトか?」と尋ねる(というか興味ありげに聞き返すこともまたオットの義務)と、「他のお母さん方がみな自分のぶんの弁当を持参していてシートを広げて母親だけで集まって一緒に食べていたのよ!そんなの信じられる!?気持ち悪くない?」だって。奥さんが言うにはたかが練習なのにそこまでするのはおかしいというのだ。
まぁ言わんとすることはわかる。
「そういう人たちはだね、学生時代に連れ立ってトイレに行くのが当たり前だったヒトたちなのさ。つまり群れてないと不安なわけね。」
ちなみに僕はプロフィールにも書いてあるように「自由と孤独を愛する寂しがり屋」。つまり好んで群れたがるタイプではないが決して孤独だけを良しとするわけでもないという矛盾を常に抱えながら独りの時間がないと息が詰まって死んでしまうヒトである。そして奥さんも僕ほどではないが好んで群れたがるタイプではない。そしてウチの娘も僕同様「自由と孤独を愛するヒネクレ者」である。
「だから僕らにはそういう群れてないと不安な人たちの気持ちが解らないんだよ。多分向こうもそうだろうけどね。だからお互い相容れないってわけ。」
奥さんは「なるほど」と納得した様子。
「世の中の半分近くはそういう人で成り立ってるんじゃないかな?そしてきっと世の中を実際に動かしているのもそういう人たちの集まりなんだと思うよ。絶対数でいくと僕らのタイプ(群れないヒト)の方が多いのかもしれないけどさ。でもこっちは群れないから結局数が集まらないじゃない?だからきっと負けちゃうっていうか『声無き声』で終わっちゃうんだな・・うん」
ところで我が家には息子もいるわけだがコイツだけは毛色が変わっている。つまり分類としては「群れるタイプ」というか、とにかく独りでいられない超寂しがり屋なのである。そして僕も奥さんも彼の寂しがる気持ちを今ヒトツ理解できずにいる。
別にほったらかしにしてるとかじゃないのに何故必要以上に寂しがるのか?
何故いつも誰かとくっついていなければ気がすまないのか?と。
ただし彼は僕達には無い人懐こさや明るさを持っているのもまた事実。
独りではいられない(独りじゃ外食も出来ない)というヒトは僕の会社にもいる。でもそういうヒトに限って妻子と別れて独り暮らしをしていたりするわけで、その人の話を聞いたときに僕は心の中で「独りじゃいられないなんて可哀そうなヒトだな」と思ったりもした。
そんな彼は会社の中ではヒトの集まりに積極的に参加していつも会話に加わっている。そして僕はというと会社では独りになりがち(というか好んで会話に参加しようとはしていない)であり自分では「やや浮いた存在」だという自覚すらある。
そして彼からするとそんな僕こそが「可哀そうなヒト」に見えるのかもしれない。
結局はどちらが正しいとかじゃないのだ。我々は違う種族なのだ。