結構なんでもそうなんですが、

 

「で、自分はどうするか」

 

に落とし込む作業は重要ですね。

 

 

国や政治、行政や自治体等々に意見する一方で、現状に対して「嘆くだけ」とか「文句を言うだけ」なら、正直、ガキでもできる訳です。

 

「僕もこうするから」とか「私もこれはやるから」とか、交換条件だと割とフェアだと思うんですけど、ちょっと立場が違うとひたすら嘆き、文句を垂れるってのは…あんまりよろしくないと思うんです。

 

 

僕も実に自由奔放に意見をする訳ですけど、その一方で「そうしてもらえないことを想定した工夫」を自分なりに次々と動いてはいるつもりです。他人は思ったようには決して動いてくれませんからね。

 

忘れちゃいけないのは、どんな権威者も衣を脱ぐと意外と一般人だという事です。公の衣を着っぱなしにしなければならない方もいらっしゃいますけど。

 

 

まー例えば、いろいろな、それこそ通称「お偉い方」とお会いする機会も10年前に比べたら、桁違いに多くなりました。

 

そこで感じるのは、人脈や関係性にこそ大きな差があるけれど、個人個人としてできる能力には想像を絶するほどの差はないという事。

 

それこそ、お酒の席でなんか、結構ただの酔っぱらいでしかありません(笑)。

 

 

もちろん、今までの努力の違いや素質の差はあるのは間違いなくて、「そこにお前は追いつけるのか」と言ったらそれは無理だったりするんですけど、二人前、三人前くらいの人はいるんだけれど、10倍も20倍も圧倒的に能力が違う、なんて人はいないんです。

 

ちょっと見渡せば、個々の能力的にはそのくらいの人はいるんです。

 

しかし、単純に「私には無理」「僕には不可能」と決めつけている人の方が圧倒的に多数を占めている。

 

一人で無理だったら二人掛かりならどうだろう。三人掛かりなら結構どうにかなる。それ以上なら当然に出来ることは広がっていく。

 

なのになぜか知名度であるとか影響力であるとか、個人ではなく、その関係性の大きさに単純に縋ろうとするんです。

 

 

言ってはナンですけど、この国や地域を台無しにしているのは、そうした無力感に陥っている個々人じゃないかって感じるくらいです。

 

何もダメになんてなってない。

 

ダメにしているのは個々人がそう思い込まされていることであって、それでもできることはあるでしょう。

 

生きていることほど難しいことはそうはないんです。生きていられるんだったら何かできることはあると思うんです。

 

 

一億総活躍、なんて個人が埋没しているようなお題目にすがるより前に、まず、僕たちに出来ることは何か。

 

それを知り、行う事の方が文句を言い続けるよりもよほど大切なことのように思います。

 


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