「何度叱られたら直るの!」

「何回失敗したら分かるの!」
 
「どうしてこんな事が出来ないの!」
 
…とまあ、そーゆー事は昔からの儀式みたいなもので、今なお各地各所で繰り広げられていますが(笑)、もちろん「(笑)」で済む話だけならいいんです。が、「そもそもベースとなっているハードウェア(脳)」が結構違っていたりするとまー、発達障害とか言われる訳です。
 
 
長くお読みの方はご存じの通り、僕の「忘却レベル」は並々ならぬものがあります。冒頭の名言達を言われない日は青少年期にわたり一日としてなかった(笑)。
 
正直申しまして…もうね、叱られまくっても直る気がしないし、失敗を繰り返し続けても覚えられないし、「こんな事」が出来てしまう方々が天才なんじゃないかと思うくらい「絶望的なほど」出来ない。
 
「僕はどうせまともな大人になんかなれっこない」と信じてましたよね(笑)。…違うな、確信してた(爆)。それがまたどうしてびっくり、変なオッサンで生き延びた。実に幸運に恵まれたとしか言いようがないけど。
 
冒頭のような名言を賜れば、ちゃんと激しく凹むし、後悔もするし、暗鬱になりますが…直ることはない(笑)。「フツーの子」と同じ手順では「僕という子は改善は出来ないんだ」と気が付き、どうやったら問題にならないんだろ、ってことを読みまくり調べまくってた…それが理系じゃないのに今の「脳科学好き」に繋がってたりします(笑)。
 
 
さてさて、今でこそ「発達障害」とか言われてある程度の事が判明してきてますけど、僕の場合は十中八九「ADHD(注意欠陥・多動性障害。英語でAttention Deficit Hyperactivity Disorderの略)」気味だったと分かる。当時はそんな言葉もなかったけど。ちなみにどうでもいいことですが日本での正式な診断名は「注意欠如・多動性障害」らしい。
 
幸いなのは、不注意(集中力の欠如と注意力の欠如)と、衝動性(向う見ずに行動してしまう)こそは大いに目立ちましたが、多動性(じっとしていられない)はそこまで目立ちはしなかったってことで、3つすべての症状は揃わなかったってことかしら。
 
しかも、それが自分で相当に早い時期に「僕の頭は何かが欠けてる」と自覚できたこと。学習面ではそれほどの遅れがないのに、日常生活レベルでは一般的には考えられない「ミス」「誤り」「物忘れ」をしてしまう。極めつけは変な(失礼!)恩師がいてね、「たまにお前みたいなのがいるんだよ…例えば、俺がそうだ」と、やたら絡んでくれたこと。これはデカかった。
 
「みんなと全く同じにしようとしなくていい。確実に間違うところははじめっから分かってるからそれをどうにかしよう。」…今で言えば、このセリフが神ってる(笑)。そう、間違うトコ、忘れるトコ、ミスするだろうコトがなんとあらかじめ分かっている法則に気が付いた。
 
 
単純に「繰り返しの作業」で習得する記憶法、「反復記憶法」は当然、記憶法・記憶術の王道です。で、自分がそうやって習得・獲得してこれた大人たちは、何度も繰り返して覚え込ませてそうした「失態や失敗や欠損習慣」を正そう、とする訳です。
 
一般的にはそれでいいんでしょう。ただの学習であるならそれは問題なく出来るんです。
 
が、ハードが違えば入力方法が異なるのと一緒で、それで習慣を習得できない場合は、違う方法を試してみる必要が出てきます。例えば僕の場合は、基本性能として一般的なみんなに備わっている「無意識の行動パターン」の優先順位が相当に低い。
 
出来ないのではなくて、無心の時の方がむしろ出来る。思考や雑念が増えるとミスが途端に増大する。「考えろっ」ていわれるとご丁寧に代わりに何かを間違う(笑)。「一般的に注意や興味を向けないことに注意や興味を向けてしまう時に、ミスをする行動パターンが出現する」。う~ん、この表現分かりにくいな…。
 
「自動操縦のコンピューター」が備わっていて、それは常時作動しているのが一般的な方々の脳。ところが、注意欠如を備えている脳の場合、手動操作ONにした瞬間、自動操縦が全くと言って良いほど機能しなくなる。まさに生命活動に必要不可欠な「寝食を忘れて」しまう欠陥的な脳(ハード)を持っていると言えば…伝わるかしら?
 
実際に何か集中できる事象が生じると、空腹も、寝る事も、具合が悪かろうが、怪我をしていようが、きれいさっぱり忘れている。大事な用事も簡単にすっぽかす。今でも時々びっくりされるんですが。ちなみに集中が切れたとたんに…全部が一斉に襲ってくる後始末が相変わらず大変です(笑)。
 
 
まー、ある程度成長と共にその欠如点は見えづらく目立たなくはなっては来るんですが、自覚した側からすると「まったく改善はしてない」(笑)もんでして。類稀な忘却性もありえないミスも考えられない誤りも特段減ることはないし、時間にルーズな点も脈々としてかわりないまま。
 
大切なのは、それでもどうにかなる対策を講じておくことですかね。それでも生きてていい状況、生きていける環境、庇ってもらえる人間性を身に付けていくって事かしら。あとは周囲に「そーゆーもんなんだな」って理解しておいてもらう事ですかね。
 
…理解してくれない方とは…双方にとってストレスになるので距離を置かないとトラブルの元になりますが(笑)。
 
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村


 
~お読みくださいまして誠にありがとうございます~『おぢゃっこ俱楽部』