介護業界の最もよろしくないところの一つに、「激しく差のある労働」に対し「同一賃金」があてがわれている点が挙げられると思うのです。
 
明らかに技術や能力に差があっても、基本的に同じ職種なら同一賃金が当たり前で、差がつくとすれば能力とは別の次元…すなわち、年齢であったり経験年数であったり家族構成などといった「職能」とは無関係の部分で決まる要素があまりに多いのです。
 
そして、「福祉士」分野においては、個々人が持つ「人間性」が技術や能力を上回るほどの差を生んでしまいます。若かりし頃は、その差を流行りに乗って「優しさライセンス」と笑いあっていましたが、その「優しさライセンス」の高いとされた方々から次々と職場を離れざるを得なかった様子を何度も見送り、そしてそれについて笑う事はなくなりました。
 
 
人の好さは「効率の悪さ」や「非合理的な結果」を生みます。よく気が付き、それを看てみぬ振りができない介護従事者ほど、見落としがちなインシデント、事件や事故を見つけかかわりを深めます。それゆえに軒並み残業は増大し、仕事量も増えるのが「介護」です。気が付きさえしなければ仕事は増えず、技術も上がらず、年月はたてども経験も増えない。単に口先と年数だけが増え続けます。
 
結果的に実に奇妙なことが起こるのです。とある従事者が出勤している時だけ、事故や事件が増えるのです。合理的に考えてしまうと「その従事者は無能だ」と言われてしまいます。答えは逆。とるに足らないささやかな変化に気が付き、何事かが起こっている事をいち早く察知するから「事件や事故が増える」のです。
 
つまり、自己を厭わず利用者に目を配り、心を配しているほどに無尽蔵に仕事が増えてしまう。さらに記録は増え、申し送りは増え、状態が危ないと察してしまうからこそ「仕事を上がるに上がれない」従事者は、いち早く身体と精神を壊し、去っていく定めにあると言わざるを得ません。そしてこうした従事者と「何事にも気が付かないか見て見ぬふりをして仕事を増やさない」従事者はえてして同じ給料だったりします…モチベーションを上げられるわけがない。
 
 
もちろん、営業職のように「いくつ売れたか」「どれほど売り上げたか」といった分かりやすい目安がありませんので単純に評価できないのでしょうが、だから「同一賃金」というのでは現代の経営者としては自分を含めて「無能」と言われても仕方がないように思います。
 
その点を是正するために、介護プロフェッショナルキャリア段位制度を広めていこうとする方向性には賛同しています…なかなか普及していかない点と評価するまでの評価者(アセッサー)にかなりのスキルと労力が求められる点は閉口せざるを得ませんが、見えないものを見えるようにするには致し方ない部分もあるのかなとも思っています。
 
 
少なくとも「介護福祉士」という国家資格はあるものの、これまた相当にあてにならないのが事実。介護福祉士の中での実際の技量の差は「とっただけ」の者と「介護福祉士たろう」とするものとの間でも計り知れないものがあります。
 
また、人間性に強く影響される仕事であることも要因の一つでしょう。明らかに「自信を優先する者」と「他者を優先する者」とでは同じスキルがあったとしても180度違う結果を生みます。
 
知識と技術があればいいという単純な物差しでは測れないからこそ、評価する者にはそれ以上に遥かに高度な人間観察力と洞察力とが求められます。
 
 
現場にいなければ評価しようがない介護職に対して、「規模の大型化」や「合理性」は極めて諸刃の剣であり、多くの人々から慕われる優秀な者たちから消えていかざるを得ない現在のシステムを改めることが急がれるように思います。
 
少なくとも利用される方が合理的に扱われると言う事は、経営的には一見有利であるように見えますが、結局のところ「人を人として扱わない」ところこそ有利である、という結論に行き着いてしまうと思うのです。
 
それが国として目指している介護の在り方だというのなら…何も申しますまい。
 
 
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