介護は報われるか」において、大変手厳しいご指摘を賜りました。

 

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11. 報われませんよ
それは介護職の人の綺麗事です。
家族介護は報われません。
先日、デイケアで倒れた父。デイケアから連絡貰うも、一年で一番忙しい時期で、どうしてもすぐに迎えなくて、1、2時間かかる旨伝えても、まだ来ないのか、仕事人に任せられないのかギャンギャン文句の電話あり。
個人事業だからそんなこと出来ない。
任せることができる家族も親戚もいない。
父も私も一人っ子故、仕方ない。
それでも、できるだけ早く迎えに行って、行ったら父からは悪態つかれて、家の中めちゃくちゃ。
当然仕事なんて出来ず。
 ~中略~
その状態で介護しても結果はこれです。
介護は報われるなんて、一部です。
結局、介護職の人には何もわからない。
綺麗事を言わないで欲しい

 

通りすがり

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通りすがりさんは、きっと優しい方なのです。

 

当たりどころがなくて、ご利用のデイケアにはその旨を理解いただけない折に、たまたまこのブログに辿り着いたところで「事業所側」から綺麗事が書かれていたから必死に書いたのでしょう。

 

だからと言って、そのデイケアに乗り込んでいくこともなく、父を見限ることもなく、相談できる人もなく、検索を頼りに日々を、その時をもがいていらっしゃるのだと感じました。

 

 

デイケア側にはデイケア側の制度や規則による縛りがあって、こうした対応を取らざるを得なかったことも推測はします。が、同業として支持は出来ません。

 

確かに、介護保険制度上の人員基準的縛りで、病院に連れて行ったり付き添ったりという事を行った場合、足りなくなるようであれば、減算や利用実績なしとして処理しなければばらないケースももちろん知っています。一人を守るために、その他大勢と事業を秤にかければ、自ずと「適切な対応だった」と主張するかもしれません。

 

しかし、通りすがりさんの家庭状況や事業・仕事の状態を察すると言ったことをせずして、「まだか」「任せられないのか」等、文句ととられて当然の対応をするこのデイケアが「まともなケア」をしているとは思えません。

 

もしも僕がそのデイケアの長で、そうした対応を告げているキャストを見かけたなら、受話器を奪い取り、厳重な注意をしたことでしょう。弊社からすれば完全な理念違反です。

 

 

急変や緊急対応が必要な事態はこの業界においては必ず起こり、その頻度は他サービス業を比べるまでもないでしょう。

 

家族に連絡を取り、呼び出さざるを得ない場合はあります。しかし、在宅介護は主介護者なくしては成り立ちません。利用者主体のサービスであっても、その利用者の事を思うならば、こんな対応はあり得ないのです。

 

じゃ、どうするというのか。状況が分からないとはいえ、僕なら、病院にお連れしたかもしれないし、事態が深刻なら減算や利用ナシを覚悟で看護師を付けてでも救急搬送したかもしれない。ただ、1~2時間迎えを待てずに利用者の家族の状況も考えることなく電話で騒ぎ立てていた状況であるならば、他にできることはいくらでもあっただろうと分かります。

 

 

問題なのは「こうした事業所に限って、制度や指導の通りに対応している訳だから、お咎めもなければ何のペナルティもなく、むしろ優秀な事業所である」という現実でありましょう。

 

弊所のように減算をわざわざ自主的に行い、それでもペナルティや指導を受けるかもしれない覚悟で、人道的な対応をするような事業所は、「不適切な事業所だ」と言われかねないのが現実で、当然、ボランティア覚悟・赤字覚悟・正直、我々の生活や命を削る覚悟で事に当たらざるをえません。

 

それでも制度か人かを問われれば、僕らは人道的立場を優先することでしょう。その結果、キャストは苦しい生活を強いられ、しかし、理念に沿って邁進してくれている。事と場合によっては、人道を重んじたがために、他利用者や自分たちの職を失う覚悟を以て日々対応してくれているのです。現実に「自主的にボランティアでしてるだけだから」と取りようによってはブラック企業と言われても仕方がない状況で頑張ってくれているキャストもいます。

 

 

改めて問いたい。人を護るための制度が、制度を守る為に人を犠牲にしている状況にメスを入れることなく「財源がない」などとひたすらに削ることばかりに逃げていて良いのでしょうか。「改正」とは事業所の経営を圧迫することを知りながら良いも悪いも弱いところは滅びて頂戴と切り捨てることを言うのでしょうか。何を正したというのでしょうか。

 

あえて申し上げるならば、人よりも制度を重んじ、コンプライアンスこそが絶対的に正しいとする考え方で福祉を語って良いのかという事を問いたいのです。福祉こそコンプライアンスがなくてはならないのは知っています。護っていれば罪は問われないことも分かっています。が、コンプライアンス上問題があると知っていても助けなければ自分自身に胸が張れない事態は生じるのです。僕はそういう危ない人間だから独立せざるを得なかったんです。

 

 

しかし、地域包括ケアとは人道的考え方なくしては成り立ちえないはずです。そこに期待をかけているのが正直なところでありましょう。

 

なのに、規模が大きくて経済力があって人道的考え方よりも合理的切り捨てができるところだけが「生き延びられる」現制度は、社会保障と言えるのでしょうか。経済保障・制度保障ではないと言い切れるのでしょうか。

 

 

僕はこれからも綺麗事を言うでしょう。

 

通りすがりさんであっても「介護など報われはしない」と書いてほしい訳ではないはずだから。

 

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