認知症になる事に必要以上に神経質な輩がいる。

僕はその輩が本当に恐れているものは何なのかの見当がついている。

認知症症状の症状パターンは様々あるとはいえ、僕はすべて病気として片付けている訳ではない。

いや、むしろ逆側の人間だ。

人の本質を知るには認知症症状を露呈した方が見えてくる。


怪奇だと言われているBPSD…すなわち行動・心理症状にこそ、その人が積み上げてきた人としての在り方が存分に発揮されると思っている。

なぜならば…そうでなくては、僕如きの知見の浅い人間が多くの認知症症状を露呈した人々の「次に起こすであろうアクション」を予測することなど出来る訳がないのですから。


認知症症状の有難いところは、直近の記憶に著しい障害が出たり、意識せずに行っていた諸動作の欠損であったり、「いまここ」が失われることにあります。

聡明な方々ならすでに察しがついている通りで、ほとんどの場合、意識を使ったフォローが効かなくなる、またはフォローがお粗末になります。

凶悪なまでに周囲を困らせる「進行は軽いのに行動・心理症状は重い」認知症症状の露呈者の多くは…敢えて書くなら「なにかしらの本性」をこれまでの人生の中で磨き上げてきている場合が多いのです。もちろん、全員が全員そうである訳ではありませんが。

こういうことをオープンに書くとやたら噛みついてくる人も多いのですが、それこそムキになるのは「とても公にできない本性持ってますよ」と言っているようなものでしょう。

僕?そりゃもう、ひと際磨き抜かれた牙を持つ凶悪な本性を僕は携えて生きています。願わくば全部晒し尽くして散りたいもの。


理性が効かなくなる、などと勘違いしている人がいますが、違うと思います。理性が根拠として使用する「情報」が主に欠損するというほうがスッキリします。

従って、時系列に歴史を辿れなくなっている事を恐怖し、自分自身の生き方そのものを隠し切れない焦りが次々と一見凶悪だとか奇行だとかに見える行動へと導くのです。

ほとんどの場合、積み上げてきた習慣は極めてワンパターンに実施され、嫌なことがあった時の反応や恐怖の抱き方、そしてそうした事に対した時に最もとってきた習慣が正確にトレースされるのです。

特定の原因があって、その原因を取り除きさえすれば行動が改善する、などと本気で思っているお偉いさん方には到底理解できないでしょうけど。


その目的側にも着目しないと次の展開は予測できないし、原因を取り除けば症状が治まるとは限りません。
何故なら、「その瞬間の本人にとっての原因」が「今の本人には存在しない」事はあまりにあるのですから。

「原因」と「目的」、そして本人のこれまでの「在り方」を知ることで、本人が今陥っている状況とその次の瞬間の行動パターンを先取りする。
種が知れてしまえば訳のないトリックで、僕が実際にやっているのは予知や予言なんかではありません。魔法使いの正体はタダのペテン師みたいなものです。

僕はそのトリックを使って、知りえてはならないいくつもの人の本性を貯め込んできました。


○務局の人でなしや○視庁の問題児、○鉄の詐欺師や○協のぺてん師など、僕は本当はそんな事は知りたくありませんでした。

ご丁寧に必死に取り繕うほど僕は知りたくもない「お偉い方々」の腹の内を見せつけられてきたのです。

彼らの名誉はしかし、僕は自分がそうなるまで話すことはないでしょう。


認知症介護とは人の本性と向き合う仕事でもあるかもしれない。

脆弱な精神では怒りに我を見失うこともありましょう。怒りに我を失う状況とは「認知症症状」と何ら変わりない状況です。

僕たちはあまりにも闇を抱え込み蓄え過ぎています。

このまま、墓に持っていくには僕らの道はあまりにも長すぎるようです。


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