大本命
『next to normal』復活公演を 観に
韓国DOOSAN ART CENTERに行ってきました。

『next to normal』は
2010年に ブロードウェイで観て
その後 戯曲を買ったのですが

2012年2月『next to normal』韓国公演
http://ameblo.jp/odashimatokue/entry-11163950803.html(森進一ver.)
http://ameblo.jp/odashimatokue/entry-11163971733.html(ほっしゃんver.)

に 行く前に
1幕を訳し、
2幕をざっくり読み終わったところで
手元から戯曲が消えてしまい、

今回 あらためて
1幕・2幕とも
Wikipediaと
歌詞を訳し、
さらに 自分の解釈を足して
A4用紙 7枚にまとめて
予習
いたしました。

この旅では 3回 観るのですが

この1回目(作品としてはトータル4回目)、
すっごい いいところで
隣のババアが うるさくて

最後も
いいところで
足を踏み鳴らしたり・・・

いっしょに 来ていたのが 娘さんだったので

もしかして この ババア
・・・ダイアナ


というわけで、この回は
戯曲解釈を 舞台と照らし合わせることに
専念
しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、間違っているかもしれませんが
キーワードを自分なりに 考えて 解釈したので
記しておきます。 コピペしたりパクッたりしないでください。

キャストは
精神科医以外
昨年の http://ameblo.jp/odashimatokue/entry-11163950803.html(森進一ver.)
と同じです。

★息子 

「He's Not Here」(ここのストリングス、本当に 綺麗ですね・・・)
の直前まで、はっきり
息子が死んだことは
演出でもセリフでも、わからないようになっています。

息子のゲイブは

心の背後に潜む 恐怖を餌に 生きている(「I'm Alive」)
僕の名前を呼ぶまで 化けて出てやるというゲームだ(「I'm Alive(Reprise)」)


と歌います。

母親のダイアナは、あれだけ息子が見えているのに
一回も、息子の名前を呼んでいません


最後の「I Am The One(Reprise)」で
父親のダンが初めて呼んで、成仏(?)
するんですよね。

「ゲイブ、
ゲイブリエル」

ゲイブは略称、
ゲイブリエルが本当の名前で
ゲイブリエルって 天使の名前だから
ここでもう 号泣なわけで・・・。

なので、あらすじにも パンフレットにも
息子の名前も 本当は 記してほしくない。
役名は「息子」で十分だと思っています。

東宝の『next to normal』のサイトには 息子の名前はともかく
死んでいる とまであらすじに載せているけど、
この意味でも、息子が死んだことは
やっぱりあらすじに記してほしくない
のです!


★Crazy/Dream/Cockoo/Normal 
Crazy

娘のナタリーに恋するヘンリーは
「この世界は壊れていて 平和は手の届かないところにある」
という 世界のCrazyさ のみならず、
自分たちだって いつ Crazyになるか
わからない、と 歌っています。

「Crazy」は 言わずもがな
「狂う」ですが
「夢中になる(例:Crazy For You)」という意味もあり、

だから ヘンリーは
「Crazy is Perfect」って 歌うんですよね。

ちなみに 今日のヘンリー役の人(昨年も同じ人で観たけど)、
見栄晴さま に 似ている・・・

顔は見栄晴さまなのに すっごい 上手いので
だんだん 好きになってきてしまいます。

恋を知った娘とは対照的に
母親・ダイアナの
ときに「Crazy」になってしまうほどの 感情のアップダウンを亡くしてしまう哀しみは
「I Miss The Mountains」という曲に集約されています。
感情の起伏を
「Mountains」で表現している名曲です。
I Miss The Mountains・・・
☆山としての山:若い頃にかけめぐった、あの山が懐かしい
☆感情のアップダウン:どんなに谷底に落ちようと、ハイな気持ちも、全部感じられたあの頃が懐かしい(今は薬で感情の起伏がおさえられてしまった)
☆沢山の(薬):だから私は、この大量の薬(mountains of drug)を 捨ててしまおう
っていう 3つの意味ですよね。 


Dream/Cockoo

母親のダイアナがCrazyな中で歌う ある種の脳内世界、
「I Dreamed a Dance」。
息子とダンスをしたかった と歌って
その後 息子に死の世界へ連れて行かれようとして
自殺未遂、

結局はダイアナも 電気ショック療法を受けることになるのですが、
そのときは完全に眠らされています(Dream)。

電気ショック療法を受ける前に
「精神を患って自殺してしまう人への療法は
電気ショックしかない」
と精神科医から言われたときに 
ダイアナが歌う

「Didn't I See This Movie?」

韓国語の歌詞だと 人物名の固有名詞が聞き取れませんが

「マクマーフィーとナースの映画をかつて私は観たんじゃないかしら。
病院は大変そうで、
Cuckoo's nest(カッコーの巣/精神病院)はなお悪くなる。
最終的に、いい人たちは電気ショック処刑(fry)された。
私はそれを観て、泣いた(cry)んじゃなかったかしら?」
「そう、あんたみたいな医者だったわよ」

わたくしも 大学4年のとき
青山円形劇場の ツナ太郎さまの マクマーフィー観たさに
教育実習をやめたので 教員免許を持っていない

という 過去があるのですが

それはともかく


Cockooは、カッコーという以外に Crazy という意味なので、
Cuckoo's nest(カッコーの巣)は、精神病院の蔑称。
(だから『One Flew Over The Cuckoo's Nest』って
最後、マクマーフィーの死体をしょって精神病院を出て行く彼 のことなのですね)

「私はシルビア・プラスじゃないのよ」

という歌詞もあり、
ブロードウェイで観たときは マクマーフィーとか
シルビア・プラスとか 固有名詞が出てくるたびに
客席が どっかんどっかん 沸いていた
のですが
(シルビア・プラスのネタ、『WARD9』というダンスを観たときも
あったなぁ・・・)


今度 日本版は
シルビア・グラブさまが ダイアナをやるので

「私は
シルビア・プラスじゃなく
シルビア・グラブよ」

という歌詞を追加してほしいです!

Normal

「Maybe (Next to Normal)」という曲で歌われる
娘のナタリーからの提案、

「Normalな人生など、遠すぎる、
Next to Normalくらいで いいんじゃない?」

ダイアナにとって ずっとInvisible Girlだった ナタリー。
それがナタリーは つらかったというのに、
このナタリーが 最後 希望の光を
家族に灯していくのが 泣けます。

★Dark/Light

一幕、
闇の中の「第1の光」として描かれる
「My Psychopharmacologist and I」の
たくさんの向精神薬
薬の名前を言うときに 出演者が 精神科医のメガネをかけて
薬を光らせて踊るところ、カッコいい~。

「第2の光」が
「There's a World」
の 手首に当たる光
ダイアナの自殺。

それを打破するための
電気ショック(ECT)。
それって「fry(『カッコーの巣の上を』における、電気ショックの処刑)じゃないか」と言うダイアナ。

これらの「光」は、すごく
皮肉です・・・。
(もともと『next to normal』ではなく『Feeling Electric』というタイトルでしたし)

息子が母親にとっては 一見 「光」になってしまっても
本来、彼は「闇(Dark)」の存在(舞台的に 息子は闇の象徴として描かれている)。
精神科医の催眠療法によって精神世界に入り込むとき、
夫のダンがいまのこの現状を言うとき
「Dark」という言葉が使われています。

そして
なぜ母親だけに息子が見えてしまうのか。

「息子を亡くしたこと(未解決の損失)は、うつや不安の恐れにつながる。
より多くを失うことを恐れて、多く失った何かに執着する。
うつ・不安/抑うつ・抑不安は、一方が他方につながり 悪循環だ」


と 精神科医が言っているとおりで

忘れようとしても忘れられない・・・
その苦しみが母親を縛っているのですが、

息子が幼くして
暗い病室で死んでしまったこと。
息子の腸閉塞がわからなかった夫。
そのときのから抜け切れない母親のダイアナ。。。

一幕の最後、
「光」を見つけようと歌う 夫のダン(「A Light In The Dark」)。
ダイアナが見ているのは
ダンではなく、闇の象徴である 息子、というのも 皮肉です。

一転、
二幕の最後は、
「Light」という曲で
ナタリーが電灯をつける。
ナタリーに父親のダンがロウソクを灯したケーキを運んでくる。

この 希望感!

ダイアナはあの家から出ることで、初めて自分自身の中に「光」が見え
明るい表情になる、あのラスト。

ダイアナにとっては
normalを望まないことで
初めて「光」が見えてくるのです。

これって『One Flew Over The Cuckoo's Nest』
(カッコーの巣から飛び出した一人)
ということなんじゃないでしょうか?

ただし、息子の死体はしょわずに。

話はそれますが
「Light」の
「We Love Anyway」
という歌詞は
ハイバイ『て』の 初演キャッチコピー
「どうやっても、家族」
って 訳したい
です!


★息子の ユダ的キッス

とことん家族の輪を乱そうとする息子。

今日の 息子役の ハン・チサンさまが 昨日 ユダをやっていたせいか

「(向精神)薬を捨ててくるよ」と 母に言うときに
キッス、

「I'm Alive」で
妹のナタリーに 母の薬を 見えるところに置く ハン・チサンさま。
(捨てるって言って トイレに流すフリしたのに
裏切り者のユダ!!!)


「There's A World」

母・ダイアナの手にキッスして
そのまま死の世界へ・・・


『ジーザス・クライスト=スーパースター』では
ジーザスを裏切る前に
ジーザスにも BLキッス
してたしね~~~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逆に 今でも わからないのは

◎「Just Another Day」で
なんで 息子は
ボクシングの格好してるの??


これについては ご主人さま
「ハン・チサンさまは
ぼくたちも観た『ワンドゥギ』やってましたからね」

あ~ じゃ
ワンドゥギ
だったのか!
(違)


◎「I Miss The Mountain」で
息子が3階部分(演出意図としては死後の天上)
で 本を読んでいますが
あれって
遺品ボックスに入ってる本を読んでいるように見えますが
その解釈でいいですか?


わかる方
教えて~~~~!

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しかしながら
この『next to normal』、

演出
音楽
光・照明 
衣装(紫の照明や紫の衣装で表される Crazyの世界、とか)
音響
役者
1階、2階、3階+セット(目のセットが出てくるときは 脳内世界、とか)
動き(息子が3階にいるときは おとなしいとき、とか)

が 完璧に キマりすぎていて、
これは どの国でやっても
新しい演出のしようがない気がします。
(『ジーザス・クライスト=スーパースター』
の 感想にも 同じようなことを書いたけれども
この旅で つくづく 舞台は総合芸術だな!と 思ったので。) 


下手に新演出などして、作品世界が壊されぬよう
祈るばかりです。
この文章、コピペしたりパクッたりしないでください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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