家に比較的近い

青山葬儀所では

時代を彩ったスター達の

通夜や告別式が

行われることが多い。


その前を通る度に

言いようのない悲しみと

時の流れを感じさせられる。


今日も車で通ったとき

スーちゃんの通夜が

しめやかに営まれていた。


僕は性格上

想いがあっても

渦中に入って行くことが

できない。


心の中で

祈るタイプである。


こればかりは

子供の頃からの

性格である。


あとで

報道で観たが

ランちゃんとミキちゃんが

参列されて

ランちゃんがインタビューに

答えていた。


家族の一員として

ランちゃんとミキちゃんは

病室でスーちゃんの最期を

看取られたという。


スーちゃんは

最後7時間

がんばったと

ランちゃんが答える姿に

世代の一人としては

涙を堪えることが

できなかった。


思えば

キャンディーズという

アーティストは

輝きだけで

本当に影の部分が

感じられないスターだった。


しかし

こうして考えると

77年7月17日に

日比谷野音のコンサートで

いきなり本番で

「普通の女の子に戻りたい!」

と絶叫した瞬間から

78年の解散コンサートまで

ファンにとっては


「別れ」


がコンセプトとなった。


だから

余計に

寂しさが際立ってしまう

のかもしれない。


解散直前の

最後の歌

『微笑みがえし』の歌詞には

それまでの

キャンディーズのヒット曲の

タイトルがちりばめられている。


『春一番』

『わな』

『ハートのエースが出てこない』

『やさしい悪魔』

『アン・ドゥ・トロワ』


そんな風に

振り返ったあと

印象的なのは

二番の


「私達お別れなんですね」


という歌詞。


しかも一番は

「私達お別れなんですよ」


本当にお別れなんだと

子供ながらに寂しかったなぁ。


しかし

この歌が実は

最後の歌ではない。


もう一曲

解散コンサートの

最後の曲として歌われた

『つばさ』

という歌がある。


ランちゃん作詞なのだが


最後の歌詞が


「別れの時が来ても泣かないわ

あなたとすごした熱い青春

生きる勇気をくれたあなたが

いつもそばにいるから

真実の真実の 触れあいを 忘れない」


まるで

今日の告別式で

弔辞を読まれるという

ランちゃんの想いが

すでに語られているような

感じさえしてしまう。


この歌から

33年という時を経て


今再び

この歌詞が

こんなにも

意味を持ってくるとは。


そして

皮肉にも

再結成を一度もしなかった

キャンディーズが


「別れ」


により集結することになるとは

本当のスターの運命というしかない

のではないだろうか。


しかし

さっき

ランちゃんが語った

スーちゃんの

最期の7時間の

命の炎を聞いてから


とてつもない勇気を

いただいたような

気がしている。


やはり

人生は制限時間であり

時間もチャンスも貯金できない

ということを

改めて認識させられた。


田中好子さんは

輝かしい人生を

歩まれた。


しかも

19年病魔と闘いながら

公にせずに女優人生を

貫いた。


そして余談かもしれないが

彼女が女優として

開花された代表作が


原爆後の放射性降下物である


『黒い雨』


とても意味を

感じてしまう。


今年は

悲しいことが連発するが

前を向かなければならない。


田中好子さんの

御冥福をお祈りいたします。


おちまさと


キャンディーズは

もしかしたら初めて

「誰が好きか」で

男子がもめたグループ

かもしれない。


僕は小学生の時に

拾って来て飼った猫に


「ランちゃん」


と名付けた。


さっき流れた

気丈にコメントする

伊藤蘭さんに

勇気をいただいた。


いつも

キャンディーズは

「別れ」とともに「勇気」を

くれる気がする。


『年下の男の子』


は誰もが自分の事だと

思っていたあの頃。


キャンディーズの


「普通の女の子に戻りたい!」


と言う悲鳴に何かしたいと

思いながらも

何もできない自分が歯痒いと

感じたはずの

その頃の男子が

中軸を担う

2011年の日本。


あの歯痒さの分

それぞれの社会で

戦っているのかもしれない。