仕事をする上で

「必死に仕事をする」

という事は

一見いいように

聴こえるが


「必死になり過ぎるのは禁物」


だと思う。


なぜなら

必死になり過ぎると

見えなくなるものがある。


それは


「余裕」


だ。


余裕とは

車のハンドルで言えば

「遊び」

みたいなもので

左右3センチぐらいずつ

余裕がなければ

急ハンドルを切った時

車は横転してしまう。


「必死に働け」

「必死に仕事しろ」


と言い

それが美学みたいに

なっている事もあるかと思うが


気をつけなければならない。


必死になり余裕がなくなると


自分が知らない事は

他人も知らない


自分の仕事が一番崇高な

仕事である


と位置付けがちで


結果


その人のプロの分野まで

教えてしまう

まさに

「釈迦に説法」

を無意識にしてしまう。


「釈迦に説法」

などしている間は

その人間が伸びる訳もない。


それがまた

無意識だから

罪なのだ。


俺が俺が

私が私が

は積極性という意味では

いいのだが


余裕がない場合は


仕事を頼みに行ったはずなのに

全部自分でやりたくなり

その仕事の優先順位を忘れ

本末転倒してしまう。


同時に

必死過ぎて余裕がない人は

勝手にテンパッてしまう。


テンパリスト。


全部

「自分がやらないと!」

「どうしよう自分!」

とハンドルの遊びがない分

右へ左へ蛇行を繰り返し


最後は


「何で私だけこんなに!」


と自分で

自分自分と

手を挙げておきながら

テンパる。


私と書きましたが

確かに

女性に多い。笑


よくあるのは

僕にテレビや服作りや

プロデュースのいろはを

教えてくる場合がある。笑


それも悪気がない。


自分が分かって来たから

人に話したいだけなのだ。

しかし相手を選ばないから

「釈迦に説法」になる。


それもこれも

「必死過ぎて余裕がない」

ことの結果なのではないか。


そんなのもったいない。


大体そういう人は

プロデューサー目線から言えば

肩に力が入り過ぎている。


必死もいいけど余裕もね。


おちまさと


モテる人を

前に勝手に分析した事がある。


結果


モテる人の共通項は


「余裕」


だった。


「俺、女とかマジでどうでもいいし」


「私、別に恋愛とかいいし」


みたいな人ほど

モテる。


必死じゃない。


余裕である。